「風光る」 渡辺多恵子 小学館
幕末という激動の時代を自らの信念を貫いて駆け抜け、散っていった新選組。
新選組にどっぷりハマった時期がありました。
新選組関係の漫画も色々ありますが、私がハマったのはこの「風光る」。
野暮天沖田総司と、そんな沖田に恋する、男装して新選組に入り込んだ女の子、神谷清三郎とのお話。
結末は史実通りなのか、それとも・・・?
和田亜美
著者名
記事タイトル
掲載開始日
山の人、町の人。先祖代々住む人、都会から越してきた人。猟師さん、農家さん、森の人、職人さん、商店さん、公務員…。
人口4,000人弱の土佐町にはいろいろな人がいて、いろいろな人生があります。
土佐町のいろいろな人々はどんな本を読んでいるのでしょうか?もしくは読んできたのでしょうか?
みなさんの好きな本、大切な本、誰かにおすすめしたい本を、かわりばんこに紹介してもらいます!
(敬称略・だいたい平日毎日お昼ごろ更新)
さめうらの郷湖畔マラソン大会Tシャツを作りました!
「とさちょうものがたり」×「どんぐり」、さめうらの郷湖畔マラソン大会のTシャツを作りました!
2018年11月11日(日)に土佐町で開催される「さめうらの郷湖畔マラソン大会」。毎年1200人のランナーさんが参加しています。
参加申し込み時に約200人のランナーさんからTシャツの申し込みをいただきました。
多くの方のご協力のおかげです。本当にありがとうございます!
「水で活きる」をテーマに掲げる土佐町。人類最初の哲学者・古代ギリシャのタレスの「万物の原初(アルケー)は水である」という言葉と、土佐町の自然豊かな生活を古代壁画風にデザインしました。
胸には「とさちょうものがたり」のロゴを。
背中と胸のデザインを一枚一枚手刷りし、完成したものはハンガーに吊るして並べていきます。
ずらりと並んだTシャツたちは、なかなかの迫力がありました。
視界がブルー一色になって「目がチカチカする(笑)」とどんぐりの職員さんの筒井さんが言い、どんぐりのメンバーさんの石川寿光さんは一枚一枚が積み重なっていく様子を「めっちゃやりがいありますよ!」と話してくれました。
一枚一枚検品し、サイズ別にまとめています。
参加申し込み時に注文いただいたTシャツ200枚は全て完成し、あとは当日ランナーさんに着ていただくのを待つばかり!
「あ!Tシャツを申し込みし忘れた!」「やっぱりこのTシャツを着て走りたい!」という方。
ご安心ください!マラソン大会当日もこのTシャツを販売します!
2018年11月11日、土佐町の空の下で、このTシャツを着て走るランナーさんの姿を楽しみにしています!
「いたずらこねこ」 バーナディン・クック作, レミイ・シャーリップ絵 福音館書店
生まれた初めて「かめ」に出会ったこねこは、何だろう?と思いながら、ちょっとした恐怖とそれを上回る好奇心でかめに近づきます。
頭と手足を甲羅の中に引っ込め、そして再び手足を出し、歩き始めるかめ。こねこはかめが自分の方へ歩いてくるので、たじたじと後ろへ下がる。
そして、バチャーーン!
かつて幼稚園で働いていた時、クラスの子どもたちとこの本を何度も一緒に読みました。(今はもう本当に大きくなって20歳を超えています!)
こねことかめの一歩ずつを息を呑んで見つめていた目、バチャーーン!と池に落ちるシーンでいつも決まって大笑いしていた子どもたち。
この本を開くと、幼稚園で一緒に過ごしたあの子たちのことをいつも思い出すのです。
また会えたらうれしいな。
鳥山百合子
「泣きたくなったあなたへ」 松浦弥太郎 PHP研究所
『年齢を重ねるにつれて、いろいろなことができるようになります。
たいていのことに、うまく対応するコツみたいなものができてきます。
でもなぜが年齢を重ねるにつれて、不安はより身近に、くっきりと大きくなり、見て見ぬふりができなくなります。
そうしてどんなに疲れていても眠れないのです。
あれこれが目の前に迫ってきます。
将来の不安。自分の弱さ。一日のわだかたまり。
もうごまかしはきかない。しっかりと向きあわざるを得ないのです。歳をとればとるほど…。』
これは、作者のまえがきの一部ですが、この文章に心をグッと掴まれて読み始めました。
気をはらず、無理をせず、自然体でいながら大切なことを忘れない生き方、日々の小さな気づきに向き合う少しの努力…。
優しい人になれそうな気がします。
藤田純子
「ふくろうくん」 アーノルド・ローベル作 文化出版局
座ってお茶を飲むのが大好きで、いつも大まじめ。それでいていつもクスッと笑わせてくれるふくろうくんが大好きです。
この本の中には5つお話があって、その中でも『うえとした』というお話を子どもたちは気に入っています。
「ぼくんちの2かいはどうなっているのかなあ。いっぺんに2かいと1かいにいられるやり方があるはずだぞ」。
そう考えたふくろうくんは、階段をものすごい勢いで一晩中上がったり下がったり駆けどおし。
「ぼくがうえにいるときは、ぼくはしたにいないんだ。ぼくがしたにいるときには ぼくはうえにはいないんだよ」。
ふくろうくんはそう悟ります。
ふくろうくんのような人と一緒に暮らしたらきっと楽しい。
表紙の写真にある羽は、ふくろうくんが階段を駆けのぼったときに抜け落ちた羽。。かな?
鳥山百合子
また古老によるとこの手洗石を運び始めたのは、明治10年のこと、地蔵寺の岡田勝次なる者で、神社まで6kmの坂道を運ぶ計画をたてた。
「石は大きな木のまた枝でつくった木馬にのせ、しばりつけて、おん綱めん綱をかけた。おん綱には赤ハチマキの男衆。めん綱には赤手拭い赤だすきの女衆が、声をそろえ力を合わせた。
石の上には高知から来た歌い手が乗り、赤手拭いでほうかむりし、手に紅白のざいを持ってこれをかつぎ、
高峯神社の石引きは、忠臣蔵のお芝居か、お石はおかるぢやヤレコケヤサアノウウン
など木遣節のはやしを合わせ数百人、人海戦術で山坂をずるずる引き上げたものだそうな。
引き手を引き子といい、若い元気な男女は遠くの者も聞き伝え、嶺北地方の各村、群の中部、南部、高知や遠く高岡郡南部、東は岸本あたりからも参加し、毎日数百名が奉仕したらしい。
当時は酒も土地酒をつくり、毎日40ℓから50ℓもあけることがあったというし、直径1メートルものひきなべ3杯の汁を炊き、大釜で20kgから、時によると30kgの飯を炊いたので、米が食えるという魅力で参加する者も増したという。
農閑期を利用し年中行事のようになり、明治15年、5年目、安吉部落の入り口、通称「境」というところで中止となった。
当時経済上の問題や宗教上の問題やで四国で讃岐の琴平と並び称され信仰の篤かった三宝山高峯神社の神仏合祀の大権現に紛争が生じたりして中止になったものと思われる。
爾来、歳月は流れて1928年、石が座ってから43年目、昭和の御大典記念事業にと昭和3年3月、時の地蔵寺村村長・西村繁太郎さんの肝入りで石引きが再開された。
当時の青年が中心になって奉仕したが、今度は知恵と工夫、機械器具の進歩がモノを言って人海戦術に頼らず、ぞうさなく引きつけた、とも言われている。
町史
高峯神社の倉庫には、その時に使用した綱が現在も保存されています。
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