着物が素敵な野村昌子さんは、日本舞踊の若柳流をもう23年も続けてこられたそうです。
地蔵寺に生まれ、現在は地域のお仕事もたくさんされていて毎日楽しい日々なんだそうです。
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土佐町の現在の人口です。(2017年6月末時点・土佐町公式サイトによる)
注:土佐町の総人口が3,997人(2017年4月末時点)から4,001人(6月末時点)に増加したことに伴い、当プロジェクト名も「4,001プロジェクト」に変更になりました。
“4,001プロジェクト”は土佐町に住む人々を、全員もれなく、写真家の石川拓也が撮影する計画。
念のため書いておくと、「全員もれなく」…あくまで目標です。
土佐町の人口の増減によって、タイトルもたまに変わります。 (敬称略・撮れたときに不定期更新)
先日この欄でご紹介させていただいた和田直也さんのお母さんが、和田美和子さん。
和田スタジオが現在の姿になる以前には、美和子さんのお師匠である秦泉寺さんという方が営んでいる写真館があったそうです。
美和子さんはある日その秦泉寺さんから「写真をやってみませんか?」と声をかけられたそうです。
当時美和子さんが写真をやっていたり技術があったわけでもなく、美和子さんご本人も「なんで私?」という思いだったそうですが、お師匠は何かしら眼力が働いたのでしょう。
その後美和子さんは秦泉寺さんの元で写真を学び、師匠が引退された後は日本写真文化協会主催の写真学校(東京)に行って勉強し、その後労働大臣検定一級技能士の資格を取得し、「和田スタジオ」として写真館の主に。
それが現在も続く「和田スタジオ」のストーリーだそうです。
美和子さんのキャリアの初期にはカメラもフィルムも全てが大きく、撮影したフィルムを暗室で現像という工程もご自身でされていたそうです。(この辺りの話は僕も興味が尽きず、止めどなく長引いてしまうので自制します)
少しおおざっぱな記述ですが、美和子さんが写真館をご自身で経営し始めたのが昭和50年頃。現在の「和田スタジオ」の姿になったのは昭和62年頃。
女性カメラマンとしても、女性経営者としても、おそらく非常に珍しく、高知だけでなく全国でも草分け的な存在だったのではないでしょうか。
土佐町小中学校のALT(英語教師)であるエヴァン。
2年ほど前に土佐町に赴任してからというもの、とさちょうものがたりの活動にもとても興味を持ってくれていて、時には手伝ってくれたり、度々編集部を訪問してくれたり。
ずっと仲良くしてもらっています。
そんなエヴァンのお母さんがFaith(フェイス)。アメリカ・マサチューセッツに住むお母さんが、日本に住む息子Evanを訪ねてきた、というわけです。
Faithは、アフリカのナイジェリア育ち。20代でアメリカに移住。紆余曲折あったものの、長年看護師として働いてきました。
母国ではない国で生き抜いて、子供たちも育て上げたFaithは、様々な苦労があっただろうと想像しますが、そんなことは微塵も感じさせないほど豪快な「肝っ玉母ちゃん」なのでした。