「遍路まんだら」 村上護 佼成出版社
著者名
記事タイトル
掲載開始日
山の人、町の人。先祖代々住む人、都会から越してきた人。猟師さん、農家さん、森の人、職人さん、商店さん、公務員…。
人口4,000人弱の土佐町にはいろいろな人がいて、いろいろな人生があります。
土佐町のいろいろな人々はどんな本を読んでいるのでしょうか?もしくは読んできたのでしょうか?
みなさんの好きな本、大切な本、誰かにおすすめしたい本を、かわりばんこに紹介してもらいます!
(敬称略・だいたい平日毎日お昼ごろ更新)
「遍路まんだら」 村上護 佼成出版社
「ばあば!ばあばらぁの時の部活はどんなやった?ばあばは、バレー部やったんやろ?」と、中学一年生の孫。
私:「ばあばらぁの時はねえ、バレーボール大会があるちょっと前に、先生がバレー出来そうな子を集めて、1か月ばぁ練習して試合へ行ったんで。」
孫:「ふ~ん」
私:「陸上の大会がある時も、大会の前に、先生が選手を決めて、少し練習して大会へ行ったんで。冬はスポーツの大会がないき書道をしたんで。」
孫:「アハハハ!変なの!」
そういえば、中2の夏、高知市でバレーボールの大会があった。
私はセッター。一級先輩には、後に実業団へ行ったほどの運動神経抜群のエースアタッカー。
当時は、体育館などないので、外の運動場が試合会場。
ところが、高知市の空は広い。運動場も広い。
私は、あまりの眩しさに頭が真っ白になってしまった。
うまくエースアタッカーにトスが上げられない。
当然、試合は一回戦敗退。
半世紀過ぎても、苦い想い出。
このことは、孫には内緒にした。
・・・が・・・
後日、別の孫が少し落ち込んでいる時、この話をすると、孫の右頬がニヤッとした。
「萩殺人事件」 内田康夫 光文社文庫
「須磨明石殺人事件」 内田康夫 光文社文庫
「藍色回廊殺人事件」 内田康夫 光文社文庫
我が家の本棚には日本文学全集がずら〜〜っと並んでいる。これは自分が退職後にゆっくり読もうと思って在職中に購入したのだが退職して9年…。まだ一冊も読破していない。まあ死ぬまでには何とか読むかな…。
今、私のベッドの枕元には内田康夫の浅見光彦シリーズのサスペンスが常に置かれている。これは浅見光彦というルポライターが「旅と歴史」の原稿を書く取材の途中で殺人事件に遭遇し、難事件を解決する話だ。事件に出会って警察に疑われると、水戸黄門の印籠のような刑事局長の兄が出てきて堂々と捜査に参加する。パターンは同じだが、あちこちの地方の様子や旅先の風景やふれあった人のやさしさ等、旅情や人情を感じながら自分もその場所へ旅した気持ちになってくる。
そして、何と言っても身長180㎝、イケメン、おっとりとやさしい性格。かなりのマザコンだが、警察の組織力を出し抜く抜群の推理力…。年齢は永遠の33歳(ここから歳をとらない)。「彼の鳶色の瞳に見つめられると…」という表現がよく出てくるが、ぜひ見つめられたいものだ。
こんな彼がいるといいな…、もう無理!!せめて娘の彼にでも…、これも無理!!
他に信濃のコロンボこと竹村岩男警部、警視庁捜査一課の岡部和雄警部と魅力的な男性が出てきて、さっそうと事件を解決するシリーズ等、今夜もサスペンスの世界に浸りながら眠りにつく私です。
川田ルミ
土佐町相川地区。美しい棚田が広がり「相川米」という名のついた美味しいお米の生産地です。
夕方になると、水を張った田んぼは向かいの山々の輪郭や夕焼け空を鏡のように映し出し、その時を待っていたかのように、あっちからこっちからカエルが大合唱を始めます。「これは土佐町の第九やね」と言った人がいましたが、なんとも上手くその時の様子を言い表していると思います。
こんな風景を土佐町の毎日のなかに見ることができるのは、田んぼを守り続けている人たちがいるからです。
今年も田んぼの準備が始まっています。3月下旬ごろから、土佐町の田んぼに「畦(あぜ)」が付きます。
今は機械で畦をつける人が多いですが、昔は又鍬と平鍬を使い、田んぼの周りをぐるりと一周、人が畦を付けていました。
必要最低限の機械と人の力でお米を作っている人は、一年間の田んぼの仕事の中で「畦付けが一番しんどい」と言います。
土佐町相川地区高須の沢田清敏さんが「これから畦を付けるき」と言うので、その様子を見せてもらいました。
清敏さんは麦わら帽子をかぶり、三又鍬を肩に担って、ずぶずぶと田んぼに入っていきます。
清敏さんの田んぼはすでに機械で畦が付けられていますが、機械が大きいのでどうしても「手の届かないところ」が出てきます。その部分を人の力で付けるのです。
「昔は田んぼに水を溜める前に畦を「かいで」た。平鍬でかいで、かいだら水を貯める。昔は畦付け機なんかなかったきね、田んぼの縁周り、ぜーんぶ平鍬で、かがないかんかった。」
これが「平鍬」
「かいだ土を練って、練ったものを又鍬で畦を付ける。ほいで、この上をもう一回、平鍬で、左官屋さんがするみたいに、すーーーっ、と平くするがよ。今はそういうことはせんなったけど。
そこの角なんかはどうしても機械で付けれんろ。付けれんところは手で付けるがよ。」
「でも今日は平鍬でまでようせん。そこまでしよったら大変! 見えは悪いけんどね。ようは、もぐらが穴を開けて水を漏らさんために畦を塗るがやきよね。」
清敏さんの田んぼは、一部コンクリートになっているところがあります。
「コンクリートのところも機械で(畦を)付けれるけんど、コンクリートの縁まで機械がぴったりいかんき、縁周りの畦の幅がひろうなるわけよ。もったいないわね。やき、コンクリートのところは手で畦を付ける。しんどいけんど、その分苗が植えれる。一株でも多く植えれるように。楽をしようと思ったらこんなことせんでも構わんけんど。」
その言葉には、清敏さんの姿勢が現れているような気がします。
コンクリートの縁にも畦を付けていく
「畦を付けるろ、田植えの一週間くらい前に肥料を振って、もう一回代掻きをするがよ。叩いたら(意味:耕したら)土がどうしてもやりこい。土を落ち着かすがよ。
あんまりドロドロのところを植えたら、どうしても植えた時に「かやる」。苗が立たなあね。一週間ばあ置いちゃったら土も落ち着くし、水の中で土が固くなってくる。」
「ほんなら帰って、自分くのやってみて!」 そう言って清敏さんは笑った。
「畦をつける時は、雨が振って4〜5日ばあ経ってから。もうそろそろ畦をつけないかんというても、あんまり天気が続いて土そのものがカラカラやったら山ができん。ある程度水分を持たしたら山ができるろ。そういう感じよ。
みんな天気予報を見ながら段取りを考えゆう。雨が振ったら『4〜5日後に畦つけるぞ』と思うちゅう。
ちょうどいい土の状態を見て『明日やろう』って決めるがよ。」
清敏さんに聞きました。
「畦を付ける頃、もし雨が降らんかったらどうするんですか?」
清敏さんは、少し考えて答えてくれました。
「春先、桜の花が咲く時分いうたら、いつでも毎年よう雨が降らあ。今年は桜の花が咲いた時分、うんと天気が続くのは続いたけんど。大体普段は一週間に一回は降るもんよ。」
清敏さんの言葉には迷いがありませんでした。
まっこと自然はうまいことできているなあ!と思います。
「田んぼに足音を聞かせてあげなさい。」と近所のおばあちゃんが話してくれたことがあります。
それがお米を育てる一番の秘訣だ、と。
土佐町の先人たちが引き継いできた田んぼに、今年も足跡が重ねられていきます。
又鍬で畦を付ける沢田清敏さん
機械で畦を付ける 協力:澤田光明さん
この日は午後から雨予報だった。
西の空から灰色の雲が近づくと、湿度が上がりはじめて、ひんやりとした風の中に雨を感じる。
カエルたちがケロケロと鳴きはじめる。
彼らの鳴き声雨予報はかなりの精度なので、聞き逃してはいけない。
「そろそろだな」とお昼ご飯もそこそこに、洗濯物や日干ししてあるものを家の中に取り込んでいると、そのうちにポツポツと来た。
雨が降ると、いろんな匂いが漂ってくる。
水の匂い 山の匂い 土の匂い それから、アスファルトの匂い
仕事の手を休め、深呼吸をひとつして、雨の音に耳を傾ける。
頭の中で、予定していた作業を雨仕様に組み立て直す。
降りはじめのシンプルな雨音が徐々に重なり合い、本降りになってきた。
雨が落ちる音に混じって、別の音がする。何が鳴っているのか考える。
「あ、アレ仕舞い忘れてる」と気が付いて、片付けに走る。
残念ながら雨読晴耕とはいかなくて、雨の日には雨の日の作業がある。でも、雨の音をBGMに普段後回しになりがちなことをするのは良い気分転換だ。
大雨が続くと、山水のパイプが詰まったり、崖が崩れたりして、大ごと(大変なこと)になることがあるので困るけれど、適度の雨は、ひとにも田畑にも心地が良い。
いつの間にか、カエルたちの鳴き声は大合唱になっていた。
「江戸川乱歩傑作選」 江戸川乱歩 新潮文庫
江戸川乱歩との出会いは小学生の時。
近所のおじさんの家にあった『屋根裏の散歩者』のハードカバーの表紙が怖くて怖くてこの本は一体どんな本だろうとドキドキしたのを覚えています。
結局読んだのは中学生になってからだったのですが。
この短編集の物語はどれもこれも一体最後はどうなってしまうんだろう?と思わせるものばかり。
『鏡地獄』を読んで、ガラスの球体の中心とはいったいどんなものだろうと想像してみようとしては想像すらできません。
私が一番好きなのは『芋虫』なのですが、かつて伏字だらけで発表され、戦時中には発禁処分となったのだそう。
そうなるのも頷ける、そんな物語です。
和田亜美