とさちょうものがたり

みんなのアルバム

映冩機

  • 日時1940年(昭和15年)

  • 場所相川小学校

  • 撮影者不明

  • 投稿者とさちょうものがたり

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相川小学校にあった、古いアルバムからの1枚です。

みなさん、キリッとしたやや緊張の面持ちですね。

映写機をのせた台に、「紀元二千六百年記念 寄贈映冩機 付属品一式 式地利吉」の文字が見えます。

一瞬、紀元二千六百年??と頭の中が「?」になってしまいますが、、、

紀元二千六百年記念とは、1940年(昭和15年)に神武天皇即位紀元(皇紀)2600年を祝ったもので、全国各地でさまざまな記念行事が催されたそうです。

これはその翌年に配給された記念映画、『天業奉頌』を鑑賞したときのものだろうと思われます。当時、日本の視聴系メディアといえば、国営放送のNHKラジオ第一しかなかった時代。映像を観ることは特別に価値あることだったのでしょうね。

ちなみに、『天業奉頌』は、youtubeでアップされていました。ご興味のある方は当時を思いながらご覧になってはいかがでしょうか。

それから、「式地利吉さん」をご存知のかたがいらっしゃいましたら、ぜひご一報くださいませ!

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2018年11月9日、絵本作家である西村繁男さんといまきみちさんが土佐町に来てくれました。お二人ともたくさんの絵本を執筆されている経験豊富な作家さんです。

西村さんは3年前にも土佐町を訪れてくれたことがあり、その時の縁で今回もご連絡くださり、みつば保育園でのおはなし会が実現することとなりました。

当日は、土佐町立図書館やとさちょうものがたりのシルクスクリーン作業場を訪れました。みつば保育園でのおはなし会では子どもたちから大歓声があがるほどの盛り上がり。その後の笹のいえでの夜の時間…。編集部も西村さんといまきさんのお二人とご一緒させていただいて、とてもゆたかな時間をすごすことができました。

今回の訪問前に、とさちょうものがたり編集部は、西村さんにひとつのお願いをしていました。それは「今回の土佐町での経験を文章にして伝えてもらえませんか?」ということ。

それからしばらく経った先日、編集部宛に西村さんから一本のエッセイが届きました。

土佐町で過ごした時間を、おふたりはとても楽しんでくれたようです。

 

 

 

 

土佐町と若い人たち

西村繁男


 

我が家のシンちゃんが亡くなった。シンちゃんは阪神淡路大震災のとき保護され、縁あってわが家にやってきた猫である。23歳の大往生であった。家に生き物がいると、夫婦そろっての長旅は無理だったのができるようになった。

墓参りを兼ねて夫婦で旅に出た。お墓は土佐町地蔵寺に在る。私は2年ぶり、妻のいまきみちは10年ぶりの土佐町である。

 

私は3年前、土佐町を訪れたとき鳥山さんに会った。
私も妻も絵本を作っている。絵本を作って有難いと思うのは、私の作った絵本を見たことのある人が各地にいることだ。鳥山さんも私の絵本をよく知ってくれていた。その縁でそのときは土佐町立図書館で絵本についての小さな集まりを開いてもらった。
鳥山さんは東日本大震災の後、神奈川県から移住してこられそうだが、子育てしながら土佐町での生活を生き生きと楽しんでいる様子がうかがえた。
そして鳥山さんの他にも移住してきた若い人たちが面白いことを始めているらしいことも分かった。

今回の土佐町ではそんな若い人たちの活動を見てみたかったのである。

 

私の家は神奈川県の最北部の山間部にある。相模原市に合併される前は藤野町といった。ここに住んで38年になる。子育て中の若い人たちも増え面白い所となっている。
東京にも近いので空き家を求めて彫刻家や陶芸家や絵描きなどが自然と移り住んできていたところに、県が藤野町をふるさと芸術村に指定した。藤野に住み始めて10年ほどは何処に誰が住んでいるのかも分からない状態だったが、それを契機に藤野町在住の芸術家同士の交流が始まり、展覧会や催しがたびたび開かれる様になった。
その後、パーマカルチャーの農業講習に来た若者や、廃校になった小学校に移ってきたシュタイナー学園関係の人たちが環境問題や地域通貨など新しいことを始め、層が広がり多様になった。
藤野では、自らやりたいことを持った人がこの指とまれと手を上げると賛同した仲間が輪を作り、そんな輪があちらこちらに在って、それが少しずつ重なりあい、人と人がゆるく自然に繋がっている。

土佐町では若い人たちがどんな形で自分たちの町作りをしているのだろうか。

 

高知から車で地蔵寺に向かった。途中で道を違えて偶然目にした相川の棚田に並ぶ三角形の稲わらの黄色がとてもきれいだった。
午前中に墓参りを済ませ、午後に土佐町立図書館で鳥山百合子さんと会った。この日のスケジュールは鳥山さんにお願いしていた。

紹介してもらった図書館の瀬戸彬子さんと杉尾奈緒子さんは、2人とも移住してきた若い方たちだった。笑顔の応対を見れば、図書の仕事を楽しんでいるのがよく分かる。

土佐町立図書館に寄贈してくれた絵本『あからん』。「あからん」とは、ひらがな50音の文字『“あ”から、“ん”まで』という意味なのだそうです。

 

 

次に案内してもらったのは「とさちょうシルクスクリーン工房」であった。とさちょうものがたり編集長でカメラマンの石川拓也さんと会い、工房の説明をしてもらった。石川さんも移住してきた若い人だった。
シルクスクリーンを通して人と人が繋がっていくのはとても良いアイデアだと思った。町にいい風が吹くためにアートは欠かせない。

子どもの頃に西村さんが遊んだ地蔵寺川のこと、絵本のこと、今暮らしている藤野町のこと…。お茶を飲みながら色々なお話をしました。

 

 

この後みつば保育園に向かった。西村繁男といまきみちの絵本を音楽に合わせて動かすスライドショーをするためだ。挨拶もそこそこに上映を始めた。
私はまず『おばけでんしゃ』をやったのだが、子どもたちは絵本ですでに見覚えのあるものが音に乗って展開することに興奮して大歓声で答えてくれた。
こんなにも元気な子どもたちの反応は初めてのことだった。

質問のとき「すきなくだものはなんですか」と同じことを2人の子に聞かれた。子どもは素晴らしい。子どもたちに元気をもらった。

子どもたちは聞きたいことがたくさん!西村さんの好きな果物は「高知出身だし、文旦!」と「ブルーベリー」なのだそうです。

 

 

この日の宿は「笹のいえ」である。宿の主は渡貫洋介さんと中島子嶺麻さんと4人の子どもたちである。
彼らも3・11の後千葉から移住してきたそうだ。3・11は原発の問題も大きく、生き方そのものを見つめ直した若い人たちがいて、こうして地についた生き方を始めていたのだ。夜は鳥山太郎さんと3人の子どもとアーティストの川原将太さんも参加してくれた。

子嶺麻さんの作ってくれたマクロビ料理がたくさん並びみんなで美味しくいただいた。
五右衛門風呂とコンポストトイレも貴重な体験だった。

笹のいえの子嶺麻さんから、コンポストトイレの使い方を教えてもらうおふたり。

 

 

祖父や父が地蔵寺の出ということで小学生のころは姉弟、従妹たちと夏休みは地蔵寺と北川村の大北川に行くのが恒例であった。
60年も昔の話で、その後は土佐町も過疎化が進んでいると思っていたけれど、今度の旅では若い人たちが身の丈の自分を大切にして活動している姿を見ることができて嬉しかった。そして若い人たちが土佐町の先人たちが営んできた生活を大切に思い、掘り起こし学ぼうとする姿に、藤野と違った優しさを感じた。

 

おまけ:途中で寄った室戸廃校水族館は学校プールにシュモクザメが泳いでいてとてもよかった。

 

「新しい絵本ができました」と、この原稿と共にサイン入りの絵本を送ってくれました。

 

 

*西村さんが来てくれた日の記事はこちらです。

西村繁男さんが土佐町にやってきた!

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くだらな土佐弁辞典

お〜の

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お〜の

【感嘆詞】Oh No! Oh my god!!  *標準語ではなかなかぴったりなものがなく、ニュアンスとして英語のこんな感じです。

(例) 「お〜の、道のまんなかに蛇がおるで」「オーノー!」(Oh No!)

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とさちょうものづくり

Zine 03号、発刊です!

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フルカラー 48ページ A4  文・写真 渡貫洋介

とさちょうものがたりの雑誌版「ZINE」の3号目を作りました!

12月20日発行、土佐町のみなさんのお手元にはすぐに届く頃かと思います。

03号は「笹のいえ、土佐町の暮らし。」

とさちょうものがたりのスタート時から続く連載「笹のいえ」。ZINE03ではこの素敵な連載を一冊にまとめました。

土佐町の豊かな自然の中で循環型生活を営む「笹のいえ」の歳時記を、みなさまぜひ手に取ってみてください!

 

●配布について

土佐町のみなさまには、全世帯に配布されます。12月20日以降にお手元に届く予定ですので、少々お待ちください。

 

●ISBNとバーコードについて

とさちょうものがたりZINEは今回の03号から、裏表紙にISBN(国際標準図書番号)とバーコードがつきました。

定価600円と印刷しておりますが、これは無料配付後の販売のためのもので、とさちょうものがたりZINEは、配布期間中は従来通り無料です。

配布期間が終了した時点で、バックナンバーとしての販売期間となります。配布から販売へ移行する際には事前に皆様にお知らせいたします。

 

●配布場所について

現在とさちょうものがたりZINEを配布していただいている施設・商店は以下のリンクからご覧ください。

土佐町内以外でも、高知市内・香川・東京や大阪などの美術館や書店などでも配布していただいております。

現在03号を各施設に送付中ですが、場所によっては到着まで時間がかかることがあります。(町外の施設の多くは年明けになる可能性があります)また、在庫状況などは施設ごとに異なります。ご注意ください。

また、とさちょうものがたりZINEを置いていただける施設や商店の方がいらしたら、ぜひとさちょうものがたり編集部までご連絡いただければ嬉しいかぎりです。

ZINE

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土佐町ストーリーズ

近世の土佐町 〜兵農分離と一揆〜

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山内氏入国と兵農分離

 

近世、徳川家康が江戸に幕府を開いたころの土佐町地域の話です。

1600年、徳川家康が天下をとった「関ヶ原の戦い」で、戦いに参加せず敗走した長宗我部盛親は、その後家康の怒りを買い、土佐国を没収されてしまいます。

それにより、それまで四国を支配していた長宗我部氏は滅亡。

土佐新国主に任命されたのは、山内一豊でした。
尾張の豪族出身で、戦国時代に活躍して大出世を果たした一豊ですが、土佐では山内氏入国に対して大反対にあいます。

長宗我部氏の統治下で半農半兵として生活していた「一領具足」たちが、山内氏により「兵農分離」が進められることについて激しく抵抗したのです。

長宗我部氏の遺臣たちが浦戸城下に馳せ集まって、浦戸一揆が勃発。
50日間の奮闘もむなしく彼らは敗北し、293人の犠牲者を出す悲劇に終わりました。

その後土佐町地域でも、容赦なく兵農分離が進みます。
すべての土地は武士のもの。一領具足は所領を没収されて農民となる。
もちろん農民となれば年貢を納めなければなりません。

本山郷でも、その年貢を出し渋って反抗した高石馬之助兄弟による滝山一揆が起こりましたが、やはり山内氏によって土佐国から追放されてしまいます。

当時、森郷領主であった森氏は名家の誇りを捨て、瀬戸村で農民となる道を選んでいます。
森氏没落ののち、西の土居は山内氏の直領(蔵入地)となり、近隣の手作地であった土地は山内氏の家臣・安田氏に知行地として与えられました。

土佐町地域では、平野部と比べて兵農分離が12年遅れたこと、また蔵入地が少なかったのは(知行地に対し約1/4)、嶺北から城下に米を輸送するのが楽でなかったことや、「まず城下に近い平野部を掌握して権力の安定を図ろう」と考えた山内氏の思惑を知れば納得、ですね。

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私の一冊

上田大

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「満月」 相川小学校PTA文集

文集「満月」は、相川小学校のPTA活動として昭和48年から始まったそうです。

毎年発行していたこの文集は、子育ての話だけでなく、何気ない暮らしのエピソード、誰も知らないような地域の昔話、俳句や短歌、漫画などなど多彩な内容で、当時の地域の方々の想いが綴られています。

自分の親が書いた文章も残っていて、なんだか懐かしく感じました。

小学校の廃校とともに、この文集の発刊も終了しました。

相川の人の暮らしや想いを綴り、将来地域を担う子どもたちに残す文集「満月」、復活できたらうれしいなあ…。

上田大

 

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くだらな土佐弁辞典

たれもつれる

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たれもつれる

【動】忙しくて手が回らない。思うように処理できない。

例:たれパンダが育児でたれもつれちゅう。

(たれパンダが育児で忙しくて手が回らない。)

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私の一冊

田岡裕未

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「どろんこハリー」 ジーン・ジオン文 福音館書店

 

子供の頃、家の本棚にあった、お気に入りの1冊です。今では私の息子と娘も好きなこの絵本。

お風呂嫌いなハリーがお茶目で、なんとも可愛らしくてたまりません。
ハリーの家族も優しくて大好きです。

家出をしてどろんこになって帰ってきて嫌いなお風呂に入れられても、やっぱりお家っていいな、としみじみ感じているハリーに、本当にその通りだと共感させられます。

子供達は「もし、僕がハリーみたいにどろんこになって帰ってきたらどうするー?」「えー絶対わからんろう!」なんて事を、話しながら兄妹で楽しそうに読んでいます。

我が家が家族にとって、やっぱりお家っていいなぁ、帰りたいなぁと、ハリーのように、そう思ってもらえるような家庭でありたいものです。

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土佐町ストーリーズ

早明浦の孫七(早明浦)

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早明浦に孫七と言う、ひょうげな(おもしろい)男が居って人を笑わせたのは明治の中頃じゃったそうなが、こんな話が残っちょる。

ある時のことよ、わしが鉄砲を持ってツグミを撃ちに行た。

ぼっちり滝(断崖)から出た小枝にツグミが居ったきに、そいつを狙うて撃った。
たまるか、弾丸がそれて滝の角岩に当たって、ガラガラ、ガラガラ、滝が崩れて、下の淵へ雨と散ったわよ。

その淵に鴨が十羽居って、それが落ちて来た石に当たって、十羽とも死んでしもうた。
たかあ調子のええ時はええもんで、崩れた滝を見てみるに何やら白いもんが見える。
上がってみるに、崩れた滝から出てきた山芋じゃった。

引き抜いて集めたら、なんと十貫(一貫は三、七五キログラム)あった。ツグミに弾は当たらざったが、その一発の弾丸で十羽の鴨と山芋を十貫取ったきに、わしも損したようには思わざった。

高知県まちづくり研究会発行
「高知五十三次ひざくりげ」より

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みんなのアルバム

生業卒度年元正大

写っている人
  • 日時大正元年(1912年)

  • 場所相川小学校

  • 撮影者不明

  • 投稿者とさちょうものがたり

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相川小学校(現在は廃校)の戸棚に大切に保存されているアルバムの中の一枚。

「生業卒度年元正大」と書かれています。説明するまでもなく「大正元年度卒業生」。

当時はまだ右から左に書いていたんですね。ちなみに左から右の書き順になったのは戦後からなんだそうです。

写っている人がどなたなのか、まったくわからない写真です。当時の相川地区の子供たちなのでしょうね。

服装も雰囲気を作っているのでしょうが、子供たち一人一人の顔つきが、キリッとしてどう見てもみんな根性ありそう。当時の写真は「笑って!」とは言わなかったんでしょうね。

「これ、うちのおばあちゃんや!」なんて思った方は、ぜひ編集部までお知らせください!

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