渡貫洋介

笹のいえ

くんくん(前編)

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笹のいえに約11ヶ月間滞在していた子が、3月のある日に笹を卒業した。

満月(みつき)さんは16歳。あだ名は「くんくん」。まだ赤ちゃんのとき、名前を呼ばれると自分で「みつき」と言ってるつもりで「くぅんくぅん」と返事したので、以来こう呼ばれているとか。

土佐町に移住してきた知り合い家族を訪ねてやって来て、笹のいえにも泊まってくれたことからご縁がはじまった。

ここの生活を気に入ってくれた彼女は、中学を卒業するころ手紙をくれた。そこには、笹で一年間暮らしたいと手書きで丁寧に書いてあった。その字から彼女の想いが溢れている気がして、心がじんわりと温かくなったのを覚えてる。

それまでも何度か笹に遊びに来てくれたので、子どもたちは彼女に懐いていたし、田畑の経験もある。料理上手だし、うちら的には大歓迎。が、ひとつ考えなくてはいけないことがあった。

彼女は、化学物質過敏症なのだ。

ケミカルなものに身体が反応して、気分や悪くなったり、体調不良になったりする。

例えば、化学的な建材が使われているは建物には入ることができない。香料や除菌剤入り洗剤や柔軟剤で洗濯された服を着た人には近づけないなど。

繁盛はしていないけれど、いちおう「宿泊業」な笹のいえにはいろんな人の出入りがある。彼女の苦手な香料を使用した服を着た人もやって来るだろう。お客さんに「その服ではうちに泊まれません」なんて宿はない。そもそも、化学物質過敏症のことを全く知らなかった僕は、一緒に暮らせるのかどうかもイメージできなかった。

それでも、ここで暮らしてみたいという彼女の強い意志を受けて、僕らも「どうなるかわからないけれど、これもご縁だし、とりあえずやってみよう」と決めた。

一緒に住みはじめてみると、当たり前だけど、普通の子と変わらない。いや、それ以上だった。薪の扱いには慣れてるし、家事もこなし、子どもの相手もドンとこい。畑や田んぼの作業では効率的に動き、笹の暮らしにピッタリだった。

後編へつづく)

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笹のいえ

椎茸栽培

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母屋の裏山の一部はもともと段々畑だったのだが、その後、現金収入が見込まれる椎茸栽培のために原木となるクヌギの苗を植えたそうだ。それから何度か伐採しているらしいが、今は十年以上成長したクヌギがたくさん立っている。母屋のすぐ裏にあるので、幹があまり太り過ぎても伐採が難しくなるし、落ち葉が雨樋に溜まるので、大家さんに相談して数本切らせてもらった。

せっかくなので、僕も椎茸の原木を作ることにした。

木を切ったら葉が落ちるまで放置し、1mほどに長さに切って小口にヒビが入るまで乾燥させた後、椎茸菌の駒を打ち付けていく。

まず林から木を運び、専用のビットを取り付けたインパクトドライバーで穴を開け、種駒を木槌で打ち込んでいく。駒はホームセンターや森林組合などで手に入る。椎茸以外にもナメコやヒラタケなど数種類ある。

今年は2,000個近い駒を打ち込むことになった。

穴開けて、駒打って、、、果てしないひとり作業になるはずだったが、ありがたいことに助っ人数名がお手伝いに来てくれた。駒打ち作業は子どもたちが気に入ったようで、飽きるまでトントンしていた。

ほだ木(菌打ちをした木)は風通しの良い日影に横積みしておき(←イマココ)、小口に白い菌が見えたら、収穫しやすいように立てかける。

決して楽な仕事ではないが、これで翌年の秋には椎茸が採れるようになる。木の太さや種類によるが、二年から三年間、春と秋に収穫できる。

この地域では椎茸栽培が身近だ。自家栽培している方は多いし、椎茸農家さんもいる。山道を歩いていると、そこここでほだ木がある。旬になると、地域の道の駅やスーパーでパック詰めされた原木椎茸が売られる。

新鮮な原木椎茸の旨さは栽培者の特権だ。はじめて食べたときは、その美味しさにびっくりした。旨味がギュッと詰まってて、滋味がある。採れすぎても天日乾燥させれば、長期保存できる。

今、去年菌打ちしたほだ木から椎茸が出てる。まだ小さいと思っても、雨や朝露で一気に大きくなるので、小ぶりのうちに収穫しておく。採り忘れて大きくなりすぎてしまったものは、バター醤油でステーキ風にして焼くと、まっこと美味だ。

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笹のいえ

花粉症

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2月が終わろうとするある日、鼻や目の奥がピリピリとしだして「ああ、今年もこの時期か」と思う。

花粉症とは大学時代からの付き合いだ。僕は杉花粉に反応するので、杉の無い小笠原諸島父島に住んでいたとき以外、毎年この季節は気持ちが重い。

その僕が、どうして杉に囲まれたこの地域に引っ越してきてしまったのか。人生って不思議だ。

発症当初、酷い時は目と喉の痒さで目が覚め、薬なしではいられなかった。しかし、「食べるもので体質が変化する」と知ってから、それまで毎日のように食べていた乳製品や甘いものを控えてみたら症状が軽減された。食事が菜食寄りになったのも影響があるかもしれない。個人差があると思うので、あくまでも僕の場合だけど。今も相変わらず目の痒みと鼻水が出るのだが、以前よりだいぶマシになった。薬を飲まず、マスクをするくらいでなんとか過ごしてる。

笹のいえの前の山は杉檜が植林され、風が吹くと黄色い花粉が放出し、霞がかかったようになることもある。目をショボショボさせながら、あの木を全部伐採してしまいたいという気持ちは花粉症の方なら理解してくれるだろうか。でも、木を切ると花粉を頭から被ることになるからやっぱり止めておこう。

花粉症に懸かる理由を調べていると、昔ほとんど耳にすることのなかったこの症状が蔓延しているのは僕ら現代人の免疫力が下がっているから、という記事を見つけた。免疫力のほとんどは腸でつくられるから、腸内環境を整えるのが有効らしい。小食にしたり、食事の回数を減らしたりすると調子が良いのは、免疫が上がるからなのかもしれない。

お酒もNG。呑むと途端に目や鼻の粘膜が充血し悪化する。毎日の晩酌が生きる喜びの僕には、これが一番堪える。飲みたいのに、飲めない。

ひたすら我慢して、花粉が去るのを待つしかない。

普段の食べ過ぎ飲み過ぎを反省し、身体に向き合う数カ月間。これはこれで必要な時間なのだろうなあと納得することにしている。

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笹のいえ

蔵の解体

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母屋から風呂とトイレの小屋を挟んで、二階建ての建屋がある。

かつて、一階を牛小屋、二階を子供部屋として使っていたそうだ。その佇まいから、僕らはなんとなく「蔵」と呼んでいた。

たいそう大きな建物で、使われている材も立派。柱は五寸以上のものもあるし、棟木は一抱えもあるような松の木だ。

正確な築年数は不明だが、50年以上経っているだろう。重機などの機械が現代ほど発達しておらず、人力に頼る部分が多かった時代に、これだけの材木を製材し、運び、家を建てるのはちょっと想像しづらい。

しかし、人が住まなくなってから何年も放置され、僕らが引っ越してきたときにはだいぶ傷みが進んでいた。朽ち落ちた材には錆びた釘が打ってあったり、雨風で瓦が落ちてきたりすることもあり、子どもが近くで遊んでいることを考えると、なるべく早く壊す必要があった。

業者に頼み、機械の力で一気に壊す手もあった。でも、材を取り外して再利用したい、無理なら分別して後処理をちゃんとしたいと思っていた。そして、なぜかこの蔵に対する畏怖の念のようなものを持っていた僕は「自分の手で丁寧に解体したい」とも考えていた。とはいえ、作業には危険を伴うし、解体なんてしたことのない、しかも高いところが大の苦手の僕がひとりで作業するモチベーションもない。どうしようどうしようと思いつつ、4年が経った。

ふと思いついて、知り合いの左官さんに相談してみると、どうにかやってみよう、というありがたい返事が来た。彼に棟梁をお願いしたのは、慎重で無理をしない人柄に安全第一に作業を進めてくれると確信していたからだった。なにより、これまで土壁や釜戸つくりなど一緒に作業して、気心が知れている。

友人二人にも声掛け、はたして作業ははじまった。

まずは屋根から。

足元の悪い瓦の上を踏み抜かないように歩きながら、瓦を落としていく。

状態の良いものは積んで取っておき、割れたのは軽トラに積んで、隣町の処分場へ何往復もして運んだ。

瓦の下に敷かれていた土はそのまま地面に落とし、必要なら後で田畑に入れる。ルーフィングの役目していた大量の杉の皮は焚き付けに使う。建具も外し、ストックする。

そして、いよいよ構造材が露わになった。

年月によって建物自体が歪んでいるし、腐っている箇所もあるため、どういう順番でどの材を外していくか、ひとつひとつ確認しながら作業する。ときにチェーンソーで材を切り、ときにロープで柱を引っ張りしながら、少しずつ建物が細く小さくなっていく。

驚いたのは、木が保つ粘りだ。

ボロボロの建屋だったが、ホゾで組まれた材は、加わった力を四方に逃がすようになっていた。四人以上の大人がロープで引っ張っても捻ってもビクともしない。前述したように、可能なら材を綺麗に取り外したいと思っていたが、材自体が重いこと、がっちりと組まれているため手で外すのは困難なことがわかってきた。結局、安全を一番に、材の再利用は諦め、解体を進めることにした。

五日間の作業の末、どうにか無事に終えることができた。目の前には、たくさんの材が山となった。二三年は焚き物に困らなさそうだ。無事故で解体させてくれた蔵に、皆で感謝した。

在来建築の構造や技術に感心したり、驚いたりすることが多かった。昔の大工さんは、木の性質を理解し、材となった木の上下や微細なねじれさえも考慮し家を建てたそうだ。プレカットが主流の近代建築とはだいぶ異なる。また、験(げん)を担いだり、山や家の神様にお祈りをして作業の安全を願った。蔵に触れながら、当時の空気を吸っているような、タイムスリップしたような不思議な感覚を覚えることがあった。

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笹のいえ

さんぽにいこう

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これまでの寒さがうそのように気温が上がった土曜日。

風はまだ冷たいけれど、子どもたちを散歩に誘った。

上の二人はそれぞれ小学校と保育園に通っているため、日中に兄弟三人揃って遊ぶ時間が以前よりだいぶ減った。成長するにつれて、こんな機会はもっと少なくなるかもしれない。そんな思いもあった。

家で退屈していた子どもたちは、二つ返事で外に出た。

歩きながら、枝を見つければチャンバラ、落ち葉を集めれば即席のレストランがオープンする。

この散歩自体が道草みたいなものだから、特に目的地もなく、あっちへふらふらこっちへふらふら。

そのうちお姉ちゃんが陽だまりを見つけて、地べたにゴロンと転がった。それを見た弟たちも、ゴロンゴロン。

服や髪の毛が汚れるのなんてお構いなしに、楽しそうにじゃれ合ってる。

親としては、自然満載のこの環境に、植物を詳しく観察したり、虫の名前や生態に少しは興味を持ってくれないかなあと願わなくもない。けれど、兄弟揃って道に寝そべって、日向ぼっこするのも、全然悪くない。

僕は春を感じる日差しの中で眠気を感じながら、今日一緒に歩けて良かったなと思う。

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笹のいえ

珈琲

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太陽の昇る前、のそりと布団から這い出して、台所へ。

ストーブに火を入れ、寒さで水が凍ってないことを確認して、ヤカンで湯を沸かす。
予め自分の好みに焙煎したいつもの豆を、いつもの量ミルサーに入れ、外に出る。ゴリゴリと豆を挽く音で、熟睡中の家族を起こさないように。挽き具合は少し粗め。

冷たい空気を吸い込んで、白い息を吐く。今朝もしっかりと冷い。起きはじめた頭の中で、ぼんやりと今日一日何をしようか考える。

しゅんしゅんとヤカンが湯気を上げはじめたら、片手鍋とタンブラーと茶漉しを準備する。

紙のフィルターやネル、繰り返し使えるエコフィルター、水出しにフレンチプレスなど、いろんな淹れ方を試しているが、最近は茶漉しでやってる。

ストーブの熱で温まった片手鍋に、珈琲が浸るくらいのお湯を先に入れてから粉を投入し、二分ほど蒸らす。

それから適量のお湯を加えて30秒くらいしたら、茶漉しをセットしたタンブラーに注ぐ。

目が荒いので、底に細かい粉が溜まるが、慣れれば気にならない。

抽出後の珈琲はコンポストバケツに。

フィルターを買う必要が無いし、ゴミも出ないので気にいってる。

以前、七輪で炭を熾して焙煎していたが、ものすごく時間が掛かったのでやめてしまった。最近ネットで手回しの焙煎器を購入し、カセットコンロで炒ってる。生豆もネットで買い、申し訳程度にハンドピッキングする。ここで弾かれたクズ豆もコンポスト行き。

焙煎時間は15分くらいが目安。二ハゼがはじまって白い煙が出るころ、豆に少し油が出るくらいが好み。酸味はほとんどなく、雑味が多いが、僕の好きな味だ。

タンブラーからお気に入りのカップに珈琲を注いで、鼻に届く香りと一緒に最初のひと口を啜る。これが一番美味しい。体調や気分によって味の感じ方が違うから面白い。

膝に置いたラップトップでネットサーフィンしながら珈琲を楽しんでいると、ゴソゴソと家族の起きる音がしてくる。

今日も一日がはじまる。

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笹のいえ

豆炭

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薪ストーブと並び、冬に欠かせないアイテム、豆炭。

寒い時期、僕らはこれなしでは、もはや一日だって生き延びられやしない。

豆炭は石炭を固めたもので、丸みを帯びた豆型をしてる。大きさはゴルフボールくらい。かまどや薪ストーブの火で着火し、専用容器に入れて使用する。一番ポピュラーなのは、豆炭あんかだろう。布団に忍ばせておけば、ポカポカで寝ることができるし、翌日も温かなので、寒い朝も布団から出やすい。お腹や背中に入れておけば、ホッカイロとしても活躍する(動きにくいけど)。

それから、うちには豆炭こたつがある。数年前友人から譲り受けたもので、外見は電気こたつと一緒だが、発熱部分に豆炭を最大四つ入れられる。足を入れると電気とは違った温かさがじんわりと体を温めてくれる。ただし、燃焼中は一酸化酸素が発生するので、注意が必要だ。

米麹を作るときは、こたつが麹室になる。

晒し布で包んだ米を麹葢に入れ、こたつで温める。数時間ごとに切り返して温度を調整していくが、こたつを開ける度に麹の良い匂いがして、幸せな気持ちになる。三日後に麹が完成するが、この間は夜もこたつが温かいので、ついつい夜更かしをしてしまう。

豆炭は微量ながら重金属を含んでいるらしいので、灰は一般ゴミとして処理している。

いまや豆炭を使っている家庭は珍しいと思う。でも、ホームセンターでも取り扱っているからそこそこの需要があるのだろうか。12キロ袋で千円台。僕らの使い方で、ひと袋あれば冬を越せる。

 

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笹のいえ

Snow

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この日は、積もるほどしっかり雪が降った。
雪景色にはしゃぐ末っ子を連れて、家の周りを散歩しながら「はて、これほど雪が降ったのはいつぶりだろう」と考える。そうだ、土佐町に引っ越してきて最初の冬に軽トラの腹を擦るくらいの積雪があったんだと思い出す。

季節が記憶を呼び起こす。
記憶が積み重なり、知恵となり、技術となる。

凍えるような気温にも、好奇心が勝り、懸命にとうちゃんの後をついてくる息子に成長を感じつつ。

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笹のいえ

コンポストトイレ 後編

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(前編はこちらです)

さて、実際に大と小をし分けることは可能なのだろうか。

慣れは必要だが、コツを掴めば問題ない。

まずどちらかの便座に腰を下ろし、気持ちを落ち着かせ、意識を自分の内側に向ける。

そうすると、どちらが先にやってきそうかなんとなく分かる。目的のバケツに移動し、実行する。

もし一緒に出てしまっても、ドントウオーリー、気にすることはない。

自分でお尻を動かすこのやり方を、遊びにやってきた義母が「全自動式」と名付けた。「全て」「自分(の尻)が」「動く」方式という意味だ。なるほど。

おっきいのは刈った草やら畑の残渣やらと一緒に積んでおき、年に一、二回天地返しをして発酵を促す。完全に分解されたうんちは、土の良い匂いがする。はじめて恐る恐る嗅いだときは感動した。

ちいさいのは、水で数倍に薄めて土に流す。栄養分は土に残り、余分な水分は土壌にフィルターされて川に流れていく。

汲み取りする必要がないのでコストが抑えられるのは嬉しいメリットだが、それ以上に、自分たちがこの環境の一部になっているという実感は大きな喜びだ。

自分たちから出たものが大地に還ることで、どんな食物が自然への負担が少ないのか、なにを口にするのか、を考えるようになった。誰もが健康を望む世の中で、一般的に「何を食べるのか」は話題になるが、身体から出て行くものはあまり語られない。しかし、出すものを気にすることは、生き方を考えることにつながっていく。

そんなわけで、毎日のトイレタイムを楽しんでいる我が家だが、改良&挑戦したいことがある。

温かい季節になるとどうしても虫が出るので、処理する場所を母屋からより離すか、場所自体になにか工夫をするか検討中。

そしてトイレットペーパーは購入しているので、将来はその辺の葉っぱを取ってきて代わりに使おうか?と企んでいる。例えば、蕗(ふき)の葉はとても柔らかく、「拭き」心地が良い。名前の由来がそこから来ているという説もあって、なんだか嬉しくなる。

 

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笹のいえ

コンポストトイレ 前編

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笹のいえに出会う前、循環できる生活を夢見ていた僕たち。

自分たちから出た排泄物も土に還し、その大地の上で暮らそうという想いに至るのは、とても自然なことだった。移住先の家ではコンポストトイレを使って、毎日出てくる僕らの分身を無理なく無駄なく処理したいと考えていた。

笹にあったトイレはもともと汲み取り式(「厠」という言葉がピッタリな佇まいだった)。

これをコンポストトイレに改修するにあたって、

・自分たちで作り、直せること

・部品はあるもので、もしくは安易に手に入ること

・手入れと掃除が楽なこと

が大切だと考えた。

ネットで世界のコンポストトイレを検索したり、すでに実践してる友人のを見せてもらったりして、イメージを膨らませていった。

一番参考にしたのは、以前住んでいた小笠原諸島父島にある宿のトイレ。

大用と小用とバケツを分けて用を足しそれぞれを処分するやり方で、これだと臭いがかなり抑えられるし、清掃も苦にならない。流す必要がないので、水も不要だ。

使い方も簡単。

おしっこのときは、便座に座り用を足す。水洗トイレと違うのは、使ったペーパーを屑かごに捨てること。ゴミは薪風呂を沸かすときにまとめて燃やす。

うんちの場合、全体が隠れるくらいくん炭やおがくずを掛ける。特にくん炭には細微な穴が空いているため、ここが微生物の住処となる。また炭は土壌改良材としても優秀だ。

バケツにある程度貯まったら、決めた場所に積んだり流したりする。バケツをさっと洗って、ときどき日に当ててから元に戻す。慣れるまでは、排泄物を自分で処理することが最大の難関だが、こういうものだと腹をくくればなんてことない。手についたら、洗えばいい。

毎年行っている夏キャンプで子どもたちがトイレ掃除をするとき、ほとんどの子が嫌々バケツから顔を背けながらやる。「おえ〜」「きたな〜い」そんな声も聞こえてくる。そんなときに「どうして汚いって思うんだろうね。さっきまで自分のお腹の中にあったのに」と質問すると、うーん、と考え込んでしまう子がいたりして面白い。

僕はトイレに関してよっぽど言いたいことがあるみたいだ。長くなりそうなので、後編に続きます。

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