「きのう何食べた?」 よしながふみ 講談社
登場人物(主にシロさん)の作る美味しそうなご飯が目に毒な漫画。誰か私に作ってほしい。
ゲイカップルのお話でもあり、2人の関係が年月を経て緩やかに変化していく様子やそれぞれの家族との関係性、他のゲイカップルとの交友関係などが描かれています。
よしながふみさんの漫画は基本的に素敵なものばかりだと思います。
和田亜美
著者名
記事タイトル
掲載開始日
山の人、町の人。先祖代々住む人、都会から越してきた人。猟師さん、農家さん、森の人、職人さん、商店さん、公務員…。
人口4,000人弱の土佐町にはいろいろな人がいて、いろいろな人生があります。
土佐町のいろいろな人々はどんな本を読んでいるのでしょうか?もしくは読んできたのでしょうか?
みなさんの好きな本、大切な本、誰かにおすすめしたい本を、かわりばんこに紹介してもらいます!
(敬称略・だいたい平日毎日お昼ごろ更新)
彼岸花が田のあぜや道端の空き地を、赤いじゅうたんのように彩っているのを見ると、いつも一人の婆さんを思い出す。70年以上も前になるのに、その表情まではっきり覚えている。
西石原の我が家の隣が、婆さんの家であった。私が小学生の頃にはもう70歳以上で、同じぐらいの年齢の爺さんと二人で住んでいた。みんな婆さんを「お勇ばあさん」と呼んでいた。子どもたちも「おゆうばあちゃん」と呼んだ。本名は坂本勇(ゆう)さんである。
そのお勇ばあちゃんが時々、彼岸花の球根で作った団子を持ってきてくれた。
最初に見た時は、白くてうまそうだと思いかぶりついたが、味と言えるものは全くなく実にそっけないものであった。持て余している私を見た祖母が、
「これをつけて食べてみ」
と、しょうゆに砂糖を入れて持ってきてくれたので、それをつけると、なんとか食べられた。
「彼岸花の根は、ふだんは食べん。大事な飢饉食じゃきに」
やっと食べ終えた私に、祖母が言った。私には初めて知ることだった。
彼岸花には毒があって、そのまま食べることはできない。食べるには相当な手間と時間をかけて毒抜きをしなければならないが、難しくて自分には出来ない。このあたりでそれが出来るのは、お勇ばあさんぐらいだろう。
祖母はそういうことを言ったあと、
「昔は飢饉が多かったきに、彼岸花の団子も大切な非常食じゃった。それで、田のあぜとか、畑の岸とか、余った土地にいっぱい植えてあるんよ」
と説明してくれた。
この話に興味が湧いて、私はすぐ隣に行き、祖母から聞いたことをお勇ばあちゃんに話した。
「そうよね。昔は米がとれん時に、これを食べたそうよ」
お勇ばあちゃんは、彼岸花団子をのせた皿を手に持って、若い頃の思い出を話してくれた。
「母親に聞いたんよ」
娘の頃、飢饉食としての彼岸花団子の作り方を教えてくれたという。球根をとって谷川の水にさらし、それをゆでて、またさらし、毒抜きをする。そうしてすり鉢ですって、団子にするというのである。谷川でさらす時間を体得するのに何年もかかったとか。
「今は大きな飢饉もないので、これを作れる人も居らん。けんど万一の時を考えたら、忘れたらいかん。そう思うて、今も時々作ってみるんよ」
あちこちに見える彼岸花に目をやりながら、お勇ばあちゃんは笑みを浮かべていた。
田舎では彼岸花をシレエ(死霊)と呼んでいる。広辞苑によるとカミソリバナ、シビトバナ、トウロウバナ、マンジュシャゲ、捨子花、天蓋花という異名がある。
飢饉の時の非常食であったことが、このいくつかの異名からもうかがえるようだ。
窪内隆起さんは、元サンケイ新聞記者。司馬遼太郎さんが「竜馬がゆく」「坂の上の雲」を連載していた際の担当編集者です。
その窪内さんの出身は土佐町石原。中学校にあがる十二歳までを西石原の家で過ごされたそうで、その頃の思い出をとても大切にされていることが、ご本人とお話ししているとじんわりと伝わってきます。
現在は高知市にお住まいですが、ご自宅に伺うと、少年時代に自作した金突鉄砲や草履などが、今でも(驚くほど)大切に保管されています。
「山峡のおぼろ」は窪内さんが故郷である土佐町の日々を描いた連載です。
とさちょうものがたり編集部
記念すべき初回は「彼岸花団子」。必見です!!
「たて糸よこ糸」 窪内隆起 短歌芸術社
著者の窪内隆起さんは、土佐町石原の育ち。12歳までを西石原のお家で過ごし、現在は高知市にお住まいです。
長年、サンケイ新聞社に在籍し、文化部で司馬遼太郎さんなど数多くの作家を担当しました。
司馬さんが「竜馬がゆく」「坂の上の雲」をサンケイ紙上で連載していた、まさにその時に司馬さんを裏から支えていたのが窪内さんなのです。
この本「たて糸よこ糸」は窪内さんが司馬さんや土佐町、新聞記者時代の思い出、釣りや狩猟について書いたエッセイをまとめたもの。
写真にある「司馬さんの情」というお話は、窪内さんがどれほど司馬さんに信頼され、かわいがられていたのかが伝わってきます。作家と担当編集者というより師弟関係のような温かいものが流れています。
今回とさちょうものがたりで始まった新連載「山峡のおぼろ」は、その窪内さんが土佐町の思い出を描いた書き下ろしエッセイ集。必見です。
石川拓也
「おんじゃく」はまっ白な石。
その石で地面に書くと白くついてチョークで書いたように見え、ケンケンパーや石けりなどを地面に書くときれいに描けた。
どこにでもあるものではなく、能地の山奥にあると聞いた覚えがある。
おんじゃくの持ってないみんなあ(3にんよればみんなあと言うと母によく言われた)で川に行っていろいろな石を岩にこすりつけながら、色のつくのを捜した。
それを「めんじゃく」とよんでいた。
なんでめんじゃくと言うたろう。おんじゃくが男でめんじゃくが女??
めんじゃくで書くと灰色っぽくおんじゃくの白さにはとうていかなわない。
覚えているのは中学校の校庭で小学生の頃。夕方近かったので秋の放課後かなあ??
地面におんじゃくで書いているのは、幹勇館にいる三代さんやった。
その石を割って分けてくれんろうかと、うまをあわせたけれど分けてもらってよろこんだ覚えはない。
それほど貴重で自慢のものやったかも知れん。
後日、友達夫婦に「おんじゃくって覚えちゅう?」と聞いたら、旦那さん(新宮出身)が「新宮から山越えで三島に抜ける峠をおんじゃく峠があってそこにはおんじゃくがあったらしい」と言っていた。
又、又、後日三代さんにおんじゃくの話しをしたら「能地は私の生まれどころやき、おじいちゃんが山へ行ってとってきてくれたろうかねえ」と言い、おまけに「分けちゃるわけがないろう」とにやりと笑うた。
やっぱりそうやったか~。
「ふしぎの国のバード」 佐々木大河 KADOKAWA
友人に勧められて手に取った「ふしぎの国のバード」、今発売されている5巻まで一気に読みました。
イザベラ・バードは、イギリスの女性冒険家。1831年に来日し、通訳の伊藤鶴吉と共に横浜から日光、新潟、北海道へ至る旅をした実在の人物です。
消えていく日本の文化や風習をイギリス人の視点から記した本があるとのこと、今度読んでみたいと思っています。
笠を被り、蓑を着て馬に乗り、虫や蜂、蛇と格闘しながら道を進むバード。
汗だくになりながら人力車を弾き続けた「ヤへーさん」に薬を手渡そうとしますが、ヤへーさんは受け取れないと断ります。
その時にバードは言いました。
「あなたにはわからないでしょう
人力車から降りる時、さしのべてくれた手が
目隠しのかわりにと言って吊るしてくれた蚊帳が
あなたのくれた小さな木苺が
私をどれほど励ましてくれたか
その優しさに私がどれほど感謝しているか」
毎日のなかにある、一見ささやかなちいさな出来事に私も支えられて生きている。そのことをあらためて思い出させてくれました。
2018年11月11日、美しい青空のもと、さめうらの郷湖畔マラソン大会が開催されました。
第34回目となるこの大会は「今までで一番いい天気に恵まれた」とのこと。
向かいの鎌滝山のふもとに広がる赤や黄色の木々が早明浦湖畔に映り、本当に美しかったです。
シルクスクリーンで制作したTシャツを着ている方がたくさんいて、思わず話しかけてしまったくらい、とてもとてもうれしく思いました。
購入してくださったみなさま、本当にありがとうございました!
審判長である“NPOさめうらプロジェクト”辻村幸生さんの挨拶。辻村さんはどんぐりさんとのシルクスクリーンの取り組みを応援したいと「このTシャツを着て挨拶するから!」と言い、メンバーで着たいとTシャツを購入してくださいました。辻村さんのお気持ちがありがたくうれしかったです。本当にありがとうございます。
BlueLake ブレイクのみなさんがこのTシャツを着て自転車に乗り、ランナーさんの安全を守ってくれました。頼もしくかっこいい!中学生、高校生、大学生…、ブレイクの活動はとても素晴らしいなと思います。
Tシャツやトートバック、どんぐりさんのクッキーをブースで販売しました。「このTシャツがほしかったので」とわざわざ来てくれた方もいました。「娘がマラソンに出てるから応援に来た」というお父さんは以前土佐町で仕事をしていたそうで「土佐町はとてもいいところ。人の気持ちが温かい。いつ来ても懐かしいねえ。」と目を細めながら話してくれました。
Tシャツは、ランナーさんが大会への申し込みをする時に注文できるようにしていました。200人のランナーさんにご注文いただき、どんぐりのメンバーさんが一枚一枚印刷しました。
マラソン大会当日も、ブースで販売しました!
前回、ブータンのGNH(国民総幸福度)について触れました。
繰り返しになりますが、GNHはGNP(国民総生産)では計れない、本当の「豊かさ」を計り、国民がより幸せを感じる国にしていきましょうという指標です。
と、このあとGNPの問題点などを書こうと思ったのですが‥‥
なぜなら、本に書いてあるようなことをくどくどと解説するのはこの連載の目的ではない、と気づいたから。当初の予定は、GNHについての理解を深めた上で、では土佐町のやりたいことは?という話の進め方をしようとぼんやり思っていたのですが、ぜんぶやめます!
土佐町では今このときにも、現実が刻一刻と動いています。本を読めばわかることをここで書いているヒマはない。現在、土佐町役場が取り組んでいるGNHに基づいた「土佐町のものさし」作りはもうすでにスタートしています。この連載は、その「現実の取り組み」を中心に追いかけていきます。2話目で突然すみません^^;
さて、土佐町。
大まかに取り組みの流れをざっと書くと、
この一連の流れの目的は、「土佐町の考え方の軸」を作ること。シャレた言い方をすれば「土佐町のグランド・デザイン」を作ることと言っても良いでしょう。ここではシャレた言い方をする必要はないので、「土佐町のものさし」がしっくりきますね。
2018年11月現在は、住民幸福度調査アンケート。実施へ向けてのアンケート作りが行われている真っ最中。これが実は一筋縄ではいかない、でも今後の流れの大元になる大切なものなのです。
まず、アンケートの目的です。「幸福度を測る」とひと言で言っても考え方は一通りではありません。なんのためのアンケート?誰のためのアンケート?そういったスタート地点を常に確認しながら一歩一歩進んでいく作業になります。
ここで大きな分岐点となった疑問。それが、「他の自治体や国と土佐町を比べるべきか?」というものです。
「他の自治体と比べること」を目的としているならば、他の自治体も広く実施したことがあるアンケート内容にすべきです。でないと比べることができなくなります。おのずと質問内容は土佐町の風土に特化したものではなくなります。
「比べる必要がない」のなら、土佐町は土佐町独自の価値観に基づいたアンケート内容、土佐町の生活に根付いたアンケート内容にすべきです。こっちの道を行くのなら、質問内容は土佐町の風土に特化したものになる。もっと言えば、質問内容そのものが土佐町の「幸せ」を体現したメッセージになる可能性もあります。「こういうことを土佐町では幸せと考えます」そういう意思がアンケート内容に反映されるでしょう。
例えば土佐町が他県の自治体より上の順位だったとして、それが「土佐町の人々の幸福」にとって一体どんな意味があるのでしょう?もしくは下位だったとして、上位の町や市を「追い抜け追い越せ」レースが始まるんでしょうか?それってなんかおかしくないですか?
実は「他と比べること」というのは幸福度という視点から見ると、幸せ度合いを下げる考え方だそうです。「隣の芝生は青い」と言いますが、それで勝手に悔しくなるのは「幸福度」と離れていく可能性の高い考え方だそうです。なんとなくわかりますね。そういえば、FacebookなどのSNSも「他と比べるツール」として幸福度を下げるものとされています。
ではなんのためのアンケートなのか?
スタート地点に戻りましょう。この一連の取り組みは「土佐町の人々がより幸福を感じる町になるためのもの」。アンケートもそのためにあるべきです。
となると、現時点での結論は「土佐町の幸福の現在地」を知るためのアンケート。町の人はどんなことに幸福を感じ、どのような町になりたいと思っているのか?
そのことを知った上で、やっと次にやるべきステップが見えてくる。そのためのアンケート。
この幸福度調査アンケートは一度きりのものではありません。今回の結果をもとに、さらに深く土佐町の幸せについて考えていく。そうやって考えたことを現実の行動や施策に反映していく。(←この現実の行動にしていくところが最も大切です)
2018年度の調査結果を踏まえて行動し、次のアンケートの時には幸福度が上がっているように努める。つまり、過去のアンケート結果と比べるということです。その「ものさし」を作る最初のとっかかりが、この幸福度調査アンケートなのです。
ここで参考になったのは、GNHの大元であり先輩でもある、幸せの国ブータン。ブータン先輩と呼んでかまわないでしょう。あ、それで思い出したのですが僕の高校の先輩で「ぶーちゃん先輩」と呼ばれている人がいました。ご想像の通り、体重100キロオーバーの巨漢です。
‥‥話が逸れました。ブータン先輩、2010年と2015年、5年づつ大きなアンケート調査をやっています。そしてその都度詳細な報告書をあげています。さて、ここで問題です。ブータンは他の国と比較するためにアンケート調査をやっているのでしょうか?
答えはノーです。否です。ニェットです。ブータンの国民幸福度調査アンケートの目的は、ネパールやインドやフランスなどの他国の幸福度と比較するためではありません。
ブータンのGNH調査報告書の冒頭近辺に明記している言葉、それは
幸福度を前進させる行動の指標を作るため
とあります。目的はこれ一点。「行動のためのもの」というのがいいですね。今回書いた土佐町の小さな結論には、ブータン先輩のこの文章が小さくない影響を与えてくれました。
「心の色 ことばの光」 清水妙 新日本出版社
「万葉集」の天武天皇と、妃のひとり藤原夫人の雪のうたのやりとり。
【天皇】わが里に大雪降れり大原の 古りにし里にふらまくは後(のち)
→私のところには大雪が降ったぞ。だかあなたのいる大原は古ぼけた時代遅れの田舎だから、雪のもうちょっと後になって降るだろうな
【藤原夫人】わが岡のおかみに言ひて降らしめし 雪のくだけしそこに散りけむ (*おかみ…岡や水辺に住む龍神)
→何をおっしゃいます。私の岡の龍神に命令して降らせた雪のそのちいさなかけらがそちらに散っていたのでしょう。
天皇のからかいの歌に対し、余裕の笑みを浮かべて答えた藤原夫人。2人の住まいは歩いて15分ほどの近さであったことも可笑しい。
仲の良いふたりがしゃれた言葉あそびをしている。
「徒然草」「枕草子」「方丈記」など古典に出てくる人々は、真面目で堅苦しいイメージを持ちやすいですが、彼らはユーモア、ロマンティスト、男気、色気、ポジティブ、せっかち、涙もろい、恋多いなど親しみのもてる素の性質が歌に入り、この本を通してとても魅力的な人々に出会えた。そんなうれしさを味わった。
ことばの言い回しが難しいので、学生の頃から全く興味を持てなかった古典。故の知識のなさにちいさなコンプレックスを持っていたけれど、現代語の説明があるこの本に、まさに「学び直し」させていただき、ためになった!得した気分です。
藤田純子