喜び
高廣さんと規共さんにそれぞれ、喜びを感じるのはどういう時かを聞いた。
高廣さんは「自分が餌の配合を考えてやってきた中で、当時は枝肉としての大きさは少なかったけど、賞をとった時もあった」と話してくれた。すぐ別の話になったため賞について聞きそびれ、後日調べて驚いた。2012(平成24)年10月、長崎県で行われた全国和牛能力共進会で、高廣さんの育てた牛が賞を受賞していた。全国和牛能力共進会は5年に1度開催される全国規模の和牛の品評会で、別名「和牛のオリンピック」と呼ばれている。牛は区分ごとに審査され、高廣さんは第9区の「去勢肥育牛」に出品。見事1等賞に輝いていた。そういえば、賞を受賞した枝肉の写真が川井畜産の事務所の壁に貼ってあった。「この系統がえいにゃあと飼いよったのが、えい牛になるという達成感、それがやっぱりえい。それだけやない?」生き生きとそう話していたが、壁の写真について高廣さんは何も言っていなかった。
また、規共さんは「おいしかったと言ってもらった時は、やりがいを感じる」と話していた。他にもありますか?と聞くと「肉の品評会で入賞した時はうれしい」と一言。それは壁に貼っていた高廣さんの枝肉のことかなと思い込んでしまったのだが、これもまた調べてみると2025(令和7)年、高知県嶺北地域の嶺北畜産能力共進会で、規共さんが出品した母牛がグランドチャンピオンになっていた。
賞はこれだけではないと、後日聞いた。全国規模や高知県の他の共進会などで何度も受賞しているそうだ。お二人とも自ら賞のことは話さなかった。高廣さんも規共さんも進んで話すのは牛のことで、賞のことは聞かれたから言い添えたという感じだった。こういった姿は、お二人の実直な人柄そのものを表しているなあと思う。あくまで賞はあとからついてきたもので、最も大切なのは日々の仕事の積み重ね。お二人の背中がそう言っているようだった。

Tosa Rouge Beef
2020年4月、高知県独自の土佐あかうしの評価基準である「TRB規格」ができた。「TRB規格」は「T=土佐あかうし、R=らしい、B=Beef (肉)」、すなわち土佐あかうしらしさを評価する基準のこと。月齢 29ヶ月以上のA2やA3の枝肉を「ロース芯の霜降り傾向、ロース芯面積、皮下脂肪厚、肉の色、光沢」の5段階で再評価。優れた品質のものをR5、標準以上をR4と格付けし、「Tosa Rouge Beef(トサ ルージュ ビーフ)」として新たにブランド化することになった。
「TRB規格」がスタートし、2020(令和2)年6月、競りで最高ランクのR5の枝肉が出た。A5を上回る価格で落札された土佐あかうしは、高廣さんと規共さんが営む川井畜産の牛だった。
川井畜産ではこれまでも、土佐あかうしはA4を目指して飼育してきた。けれども個体によってはA3やA2になることも多い。その差は経営に直結する。A4とA2のkg単価は数百円以上も異なる。それが牛一頭分ともなると何十万円も変わってくる。「TRB規格」ができたことで、A3やA2だったとしても、「Tosa Rouge Beef」としての高評価を得ることができる。
実際、「Tosa Rouge Beef」として再評価されるようになったことで、川井畜産の土佐あかうしは「あかうしのA3の後半は、価格が黒牛よりええ」「A2やA3のあかうしでも、A4くらいの価格をつけられる」ようになった。
土佐あかうしと黒牛は、同じA4等級の肉でも脂の質が全く違う。「あかうしは脂がさっぱりしてて、ねちっこくない。あかうしはおいしいですよ」そう言う高広さんの声はひときわ大きかった。「ここまで土佐あかうしの人気が出るとは思っていなかったね。みんなの嗜好にあった、世の中が変わってきた。サシオンリーじゃなくて味。そういう売り方をしてきたのが、そういう流れに変わっていった」
今までやってきたことが「Tosa Rouge Beef」につながった。高知県独自の「Tosa Rouge Beef」という存在が、土佐あかうしを飼育する高知県の農家全体の収入増加につながり、農家が減少している状況の歯止めになってほしいと願う。
牛と田の関係
牛を育てる他に、稲を作ることも重要な仕事だ。現在、川井畜産では約5町(*)の田で稲を育てる。稲刈りが終わると、束ねたわらを田んぼに立てて干し、乾いたら牛の餌にする。毎年1月の良い天気が続いた日、従業員や近所の人が田に干していたわらの紐を切り取り、一列に並べて広げる。そのわらの列の上を高廣さんが運転するロールベーラーという機械が走り、わらを巻き上げていく。しばらく走るとピーっという音が鳴り、団子状に固められたわらが転がり出てくる。その後、規共さんがベールグラブという機械を使ってわらの塊を田の端に積み上げ、トラックで保存場所まで運ぶ。抜群のチームワークだ。この団子状のわらが来年の牛の餌になる。昔、農家の役牛として飼われていた土佐あかうし。牛と田の関係は、昔も今も切り離すことができない。

これから
高廣さんと規共さんに、それぞれのこれからを聞いた。
規共さんは「徐々に父親から渡されて、自分がやらないかんなってきた。続けていきながら、なんとか経営を安定させたい。安定して出荷していきたいですし、安定しておいしいものを生産していきたい。牛も米も、両方」そう話してくださった。
高広さんは、少し考えて「あとは息子たちの経営を見ながら、できる範囲で手助けしちゃる。言うことは大体言うてしもうたき、もう言うことはないがですよ」
「この仕事は、今日はすることがないけ何しようと思うことがない。仕事が前にずっと続いている。お米も田の水の管理も、息子に全部ほおりかけちゅうき。肥料を振るのも、こうやったらえいという流れでやってきたき。稲を見て『こればあやったら、こればあで構わんね』『おう、やってみいや』という感じで。全部丸投げでね、いけるように。あとはね、中身の充実をしていく。流れていくしかないしね」
二頭の土佐あかうしから始まった川井畜産。二頭のあかうしを用意してくれた父親の正さんは数年前に亡くなった。高廣さんが町に帰ってきてからも正さんはお米づくりを担い、規共さんが帰ってきてからも、ずっと田の水の管理をしていたそうだ。
「親父はあかうしの飼い始めをしてくれた。やりたいようにやれと。死ぬる前に “お前はやりすぎた。ちっと、すぎたぞ ”と。そう言っちょった」。それはお父さんの最高の褒め言葉だったに違いない。
牛と共に生きる。高廣さんが重ねてきた覚悟は、規共さんに引き継がれる。今日も明日もこれからも、お二人は牛飼いとして生きる。
*5町 =50反=約5ha=約50,000㎡=約15,000坪



