
さめうら湖
さめうら湖に昨月できた「湖の駅 カヌーテラス」。
オープニングの9月19日は、カナディアンカヌーやSUPの無料体験で賑わっておりました。
喜夛河さん、ありがとうございました。
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図らずもTPP。あっちのTPPではありません。
土佐町在住の写真家、石川拓也がひと月に1枚のポストカードを作るプロジェクト。
2016年11月から始まり、たまに遅れたりもしながら、いちおう、今のところ、毎月1枚発表しています。
各ポストカードは土佐町役場の玄関と道の駅さめうらにて無料で配布しています。

2020年、早くも10月に突入したところで、編集部からひとつお知らせです!
嶺北地方、3つの障がい者支援施設で作った2021年のカレンダーを製作中です。
3つの施設とは、しゃくなげ(本山町)・どんぐり(土佐町)・ファースト(大豊町)の3施設。
各施設の利用者さんたちに、それぞれ自由に1~31までの数字を描いてもらいました。

上の写真は大豊町ファーストでの作業の模様。クレヨンやマジックで描いたり、折り紙をチョキチョキ切って数字にしたり。指で絵の具を塗ったりもしました。
ワイワイと盛り上がった楽しい時間。

みんなで描いた数字を前に一枚。
このカレンダー、現在製作中で、完成と発売は11月初頭の予定です。(この記事に掲載しているカレンダーの画像は製作中のものですので、今後多少の変更はあるかもしれません)
販売の準備が整った際にまた(しつこいくらい)お知らせをします。みなさまぜひ楽しみにしていてください!!
土佐町の森に竹やんという人がいました。
竹やんは炭焼の名人と言われるほど、炭を焼くのが上手であったと。炭焼は窯に木を立てて火をつけると、四日も五日もしないと窯の火を消すことができないので、夜の夜中でも窯の火の番をすることが多かった。
竹やんはひとつも淋しゅうない人であったそうなが、ある夏の夜、大谷山の山の中で一人、窯の番をしていたのは風もなく静かな晩であったそうな。夜中頃になった頃、俄に山の上の方からザーザーというかすかな音…。草木も眠る丑三つ時(夜中の二時頃)、どんな小さい音も聞こえてくる、そのザーザーいう音は次第に近づいてくる。
さすがの竹やんも身に危険を感じ、あわてて炭窯の前にあった桜の木に登って様子を伺っていると、その音は次第に大きく近づいてくる。
ザー、しばらくして、ザー。
月の薄明かりにすかして見ると、なんとその音の物体は四〜五メートルもあろうか、道いっぱいになって動いている。
ザーザーいう音と共に次第に身にせまってくる。
さすがの竹やんも恐ろしくなって木の上にしがみついて、ブルブルふるえていたと。
いよいよその怪物は窯のすぐ前までせまってきた。これはいよいよ、この怪物に食われるのかと覚悟をきめた時でした。
炭窯の燃える火の明かりでチラっと見えたのは、なんと大谷山のふもとに住んでいる長さんというおんちゃんである。長さんは、この夜中に竹ぼうきを作るための竹を束にして、足が不自由なものだから、両手をついて一歩進み、一歩進めば竹の束をザーッと引寄せ、引寄せては一歩進むその音であった。
竹やんも怪物の正体がわかり、やれやれと思って木の上からひととびに飛び降りたと。すると、今度はビックリしたのは長さんである。急に大きなものが木の上から落ちてきたので、足の不自由なおんちゃんが二間(四メートル)も一気に飛んでいたと。
竹やんは生まれて今まで、こんな恐ろしい目にあったことはなかったと。
*この昔話を教えてくれたのは志和保三郎さんです。
「ポロシャツの追加注文をしたいのですが」
ある日かかってきた一本の電話。それは、大阪府の豊中市社会福祉協議会の飯野さんからでした。

土佐町・どんぐりの石川寿光さんが胸に「コロナに負けるな!」の文字をプリントしていきます
今年の7月、豊中市社会福祉協議会から「コロナ支援として、寄付金付きのポロシャツを作りたい」という相談がありました。その寄附金でコロナウィルスの影響で生活が困窮している人たちの食材支援をしたいとのこと。「コロナに負けるな!」という言葉を胸にプリントし、お送りしました。

今回の電話は「豊中市の民生委員さんたちのポロシャツを注文したい」。
豊中市の街中でポロシャツを着ている人たちを多く見かけるようになり、民生委員さんたちから、自分たちも作りたいという声があがったのだそうです。

大豊町・ファーストの大尾剛さんは白いポロシャツにプリント

たくさんのご注文をありがとうございます!
コロナの状況が落ち着いたら豊中市を訪れ、ポロシャツを着ている人たちにお会いしたいです!
さめうらカヌーテラス・オリジナルTシャツを作りました!
毎年、土佐町オリジナルポロシャツの絵を描いてくださっている下田昌克さんが、カヌーのロゴを描いてくださいました。実際にカヌーを見て「こんな感じかな?どうかな?」と何枚も描いていた下田さん。クレヨンで描かれたこのロゴからあたたかさが伝わってきます。

印刷は、どんぐりの石川寿光さんと川合希保さんがシルクスクリーンで一枚ずつプリントしました。

Tシャツは、さめうらカヌーテラスで販売しています。
Tシャツは綿100%、全部で4サイズあります。XS(160)・S・M・Lサイズ。各3000円(税込)です。

2020年9月19日にオープンしたさめうら湖畔の「さめうらカヌーテラス」。併設されている「さめうら荘レイクサイドホテル」と共に「湖の駅 さめうらレイクタウン」として、さめうら湖でのカヌーやSUPなど、水があるからこその体験を提供していく施設です。


19日のオープン当日は、カナディアンカヌーやSAP、湖畔でのサイクリング体験が行われ、多くの人たちで賑わっていました。
湖面の風と光がとても気持ち良さそう!
土佐町の方はもちろん、町外の方、多くの方たちに親しまれる場所となりますように。
ぜひ、さめうら湖ならではの体験をしてみてくださいね!
(さめうら湖でのカヌーやSUPの体験は、10月までです。)

2020年の土佐町オリジナルポロシャツのデザインである「地蔵堂の木龍」が、掛け軸になりました!
土佐町・早明浦ダム湖畔にあるさめうら荘レイクサイドホテル。さめうら湖を臨む和室の床の間に飾るものがほしいとご依頼をいただき、龍の掛け軸を作りました。ホテルの和室2室に、阿行と吽行の龍がそれぞれ飾られています。


どんぐりの石川寿光さんと川井希保さんがシルクスクリーンで龍を印刷。シルクスクリーンの作業を手伝ってくれている重光さんが「この古布を使ったら雰囲気に合うかも」と古布でバイアステープを作ってくれました。帆布と古布の相性がバッチリ!

掛け軸の上下を支えるのは、2018年に開催したとさちょうものがたり編集長の石川の写真展のときに使った竹をリユース。「自分たちの身の周りにあるものを使って、自分たちで作る」ことが、とさちょうものがたりの基本姿勢です。
ちょっとおもしろい和室になったと思いませんか?
土佐町地蔵堂の龍や土佐町にある文化の存在が、宿泊するお客さまへ伝わるひとつのきっかけになれたら嬉しいです。

土佐町田井に居を構えるイタリア料理店オンベリーコの高橋宏郎さんと由香里さんのご夫妻です。
オンベリーコは、高知の新鮮な食材を使用した本格イタリア料理が食べれるお店として、遠方からもわざわざここを目指してお客さんがやってくるような料理店。
いつ訪れても、その料理には「圧巻」という他ないほどの突き詰め方を感じます。
そのオンベリーコ、奥さんの由香里さんがビン詰ジンジャーシロップの販売を手がけています。
とさちょうものがたりのネットショップでも協力して販売をお手伝いしております。
「野生の」ジンジャーエールが作れるジンジャーシロップ、お客様からは喜びの声が少しずつ届き始めています。
ヨーグルトにかけて食べてます最高ですって声もありました。
ぜひ下のリンクをチェックしてください!
「これ以上、情報はいらない。町の広報誌が雇用、売上、つながりを生む起点に」。
ライターの甲斐かおりさんが、丁寧に話を聞いて記事を書いてくれました。
私たち編集部にとっても、客観的に「とさちょうものがたり」を見つめるきっかけとなりました。とさちょうものがたりは、多くの方たちの支えやご協力に支えられてやってこれたのだとあらためて感じています。

相撲と楽しんだ若者は、同じように盤持ちが好きだった。
祭りの日とかその他の休日には、必ずと言ってよいほど神社の境内に集まり、盤持ちに汗を流し、お互いの力を競い合った。これが当時の若者達のこよいない楽しみでもあり、かつ暗黙の伝統的掟でもあったわけである。
盤持ちとは、大石を抱き上げて肩に担ぐことであるが、この大石すなわち盤持ち石(力石)が方々の神社や、お寺の境内などに置いてあるのを最近までよく見かけたものである。
相川・高須地区には四ヶ所あったが、正木の宮に二個(二十八貫と三十二貫)、荒神様に二個(二十八貫と三十二貫)、お地蔵様に一個(四十二貫)、岩戸様に一個(三十七貫)である。正木の宮や荒神様の二十八貫の力石を担ぐ者はいくらでもいたという。
だがそれでも三十二貫(120kg)となるとその数はぐっと減ったというし、さすがに四十二貫(158kg)ともなると、これを料理する力自慢の者はそれこそめったにいなかったらしい。高須の八重霞(池添大三郎)は、正木の宮の三十二貫の力石をいとも簡単に持ち上げたり、一間(1.8m)近くも前に投げ飛ばしたりしたが、それでも肩にあげるとなると、それこそ見ている方が気の毒になるほど苦労し、うんうん唸りながら担ぐという有り様だったという。
盤持ちの最大のこつは、力だけに頼らないことだという。じわっと腰を下ろし静かに両ひざの所へ持ち上げ、そこで胸をぐっと力石にくっつけ、それから石が肩へ歩いてゆくようにじわじわ持ち上げなければ、ぎりぎりの石は決して肩に乗るものでないと、昔を語る古老たちの一致した意見である。盤持ちは絶対に力だけでは駄目で、それなりのコツが必要だという。大三郎ほどの怪力でも盤持ちは苦手だったようである。
嶺北一の盤持ち男として不動の地位を占めているのは、何といっても日本嶽萬治(やまとだけまんじ)をおいてほかにない。これを証明するかのように、土佐町役場入口の右側に、萬治の力石が立派な台座の上に座っている。
力石には「森村笹ヶ谷、日本嶽萬治、明治三十五年担ぐ、南泉上分有志同下分有志」と彫り込まれ、台石には「日本嶽萬治の盤持石、笹ヶ谷二番邸和田貞右門長男萬治、明治三十五年二十三歳の時かつぐ、重量一八四. 五キログラム(約五十貫)」とある。
このことを当時の新聞(明治34年12月25日)は、「土佐郡嶺北森村の笹ヶ谷日本竹(22)といふは、去る13日、同村土居にあれる目方四十五六貫の大石を何の苦もなく担ぎあげ、見るもの皆舌を巻きたりという」と言っている。
この力石は、以前は南泉の古野の道ばたに置かれていたが、土佐町役場に持ち込み、永久保存の措置をとったものである。
町史

「とさちょうものがたり」が始まってから、お手紙やはがき、メールなど、編集部へたくさんのお便りをいただいています。今まで届いたお便りはすべて大切に読ませていただいています。なかには文通のようにはがきでのやりとりが続いている方も。心を寄せてくださっている方がいるということは、私たち編集部にとって大きな励みとなっています。
【東京都 神山義三さんより】
「とさちょうものがたり」お送りいただき有難うございました。
このような企画、発行をなされる町の姿勢に驚嘆しました。そして、それに答える窪内様の名文、石川様の撮影の目のつけどころ、さらに鳥山様の謙虚で、しかも核心をついている一文、まことにお見事でございます。
私共の退職した元教員グループの年二回の会合の折に差しあげようと思い、六部注文したのですが、コロナ蔓延の時世、開催の延期が続いて、未だ配布できずにいます。いずれの日にか、会員の皆様が歓声をあげる折を夢みて、電話をかけては手にしたい気持ちを高ぶらせているところです。
亡き妻の入院中、枕許で三〜四節は読んであげました。あとは重篤の状態になり、完読はできなくなりました。仏前に飾るように供えました。妻はきっと喜んでいるものと思っています。
私共と窪内様との出会いを窺える新聞コピーを勝手ながら送らせていただきます。窪内様のご温情で、以来20年、折々電話や文通でのご交誼を賜っております。
私共のお会いした四国の方々は、何故こんなに御心が温かいのかと、在りし日に語り合ったこともあります。
今年の夏、いくつかの新聞記事のコピーとお手紙が送られてきました。
差出人は神山義三さん。「『とさちょうものがたりZINE04』を、著者である窪内隆起さんから送ってもらった。友人たちにも手渡したいから購入したい」と、以前編集部にお電話をくださった方でした。
お話を聞くと、今は亡き奥様が入院中、義三さんは枕元で「山峡のおぼろ」を一話ずつ読んであげていたとのこと。
「『今日はここまで。また明日ここから読もうね』と毎日楽しみに少しずつ読み進めていたんです。でも、全部読み終わる前に亡くなってしまいました」。
電話口で奥様のことを語る神山さんの口調は穏やかで優しく、奥様のことを慈しみ続ける姿に胸が震えるような思いでした。そして、こんなにも「とさちょうものがたりZINE」を大切にしてくれている方がいることへ、感謝の気持ちでいっぱいになりました。
亡くなった奥様、神山育子さんは小学校の先生で、司馬さんの「21世紀に生きる君たちへ」を日本で初めて授業で取り組んだ先生として、2000年に愛媛県で行われた「えひめ菜の花忌シンポジウム」に招かれました。その会場で同じくパネリストとして招かれていた窪内隆起さんと出会い、司馬文学を21世紀にどう受け継ぐかを議論をしたそうです。それがご縁で、義三さんと育子さん、窪内さんは手紙や電話でやり取りするようになったとのこと。
この20年後、とさちょうものがたりZINE04号ができ、窪内さんが神山さんにZINEを送ってくださったことからこのご縁が生まれました。同封してくださったシンポジウムの新聞記事を読みながら、その不思議さを思います。
折に触れて神山さんはお電話をくださいます。現在86歳とのこと。人生の大先輩が送ってくださったエール、大切にしていきます。