「これ以上、情報はいらない。町の広報誌が雇用、売上、つながりを生む起点に」。
ライターの甲斐かおりさんが、丁寧に話を聞いて記事を書いてくれました。
私たち編集部にとっても、客観的に「とさちょうものがたり」を見つめるきっかけとなりました。とさちょうものがたりは、多くの方たちの支えやご協力に支えられてやってこれたのだとあらためて感じています。
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「これ以上、情報はいらない。町の広報誌が雇用、売上、つながりを生む起点に」。
ライターの甲斐かおりさんが、丁寧に話を聞いて記事を書いてくれました。
私たち編集部にとっても、客観的に「とさちょうものがたり」を見つめるきっかけとなりました。とさちょうものがたりは、多くの方たちの支えやご協力に支えられてやってこれたのだとあらためて感じています。
相撲と楽しんだ若者は、同じように盤持ちが好きだった。
祭りの日とかその他の休日には、必ずと言ってよいほど神社の境内に集まり、盤持ちに汗を流し、お互いの力を競い合った。これが当時の若者達のこよいない楽しみでもあり、かつ暗黙の伝統的掟でもあったわけである。
盤持ちとは、大石を抱き上げて肩に担ぐことであるが、この大石すなわち盤持ち石(力石)が方々の神社や、お寺の境内などに置いてあるのを最近までよく見かけたものである。
相川・高須地区には四ヶ所あったが、正木の宮に二個(二十八貫と三十二貫)、荒神様に二個(二十八貫と三十二貫)、お地蔵様に一個(四十二貫)、岩戸様に一個(三十七貫)である。正木の宮や荒神様の二十八貫の力石を担ぐ者はいくらでもいたという。
だがそれでも三十二貫(120kg)となるとその数はぐっと減ったというし、さすがに四十二貫(158kg)ともなると、これを料理する力自慢の者はそれこそめったにいなかったらしい。高須の八重霞(池添大三郎)は、正木の宮の三十二貫の力石をいとも簡単に持ち上げたり、一間(1.8m)近くも前に投げ飛ばしたりしたが、それでも肩にあげるとなると、それこそ見ている方が気の毒になるほど苦労し、うんうん唸りながら担ぐという有り様だったという。
盤持ちの最大のこつは、力だけに頼らないことだという。じわっと腰を下ろし静かに両ひざの所へ持ち上げ、そこで胸をぐっと力石にくっつけ、それから石が肩へ歩いてゆくようにじわじわ持ち上げなければ、ぎりぎりの石は決して肩に乗るものでないと、昔を語る古老たちの一致した意見である。盤持ちは絶対に力だけでは駄目で、それなりのコツが必要だという。大三郎ほどの怪力でも盤持ちは苦手だったようである。
嶺北一の盤持ち男として不動の地位を占めているのは、何といっても日本嶽萬治(やまとだけまんじ)をおいてほかにない。これを証明するかのように、土佐町役場入口の右側に、萬治の力石が立派な台座の上に座っている。
力石には「森村笹ヶ谷、日本嶽萬治、明治三十五年担ぐ、南泉上分有志同下分有志」と彫り込まれ、台石には「日本嶽萬治の盤持石、笹ヶ谷二番邸和田貞右門長男萬治、明治三十五年二十三歳の時かつぐ、重量一八四. 五キログラム(約五十貫)」とある。
このことを当時の新聞(明治34年12月25日)は、「土佐郡嶺北森村の笹ヶ谷日本竹(22)といふは、去る13日、同村土居にあれる目方四十五六貫の大石を何の苦もなく担ぎあげ、見るもの皆舌を巻きたりという」と言っている。
この力石は、以前は南泉の古野の道ばたに置かれていたが、土佐町役場に持ち込み、永久保存の措置をとったものである。
町史
「とさちょうものがたり」が始まってから、お手紙やはがき、メールなど、編集部へたくさんのお便りをいただいています。今まで届いたお便りはすべて大切に読ませていただいています。なかには文通のようにはがきでのやりとりが続いている方も。心を寄せてくださっている方がいるということは、私たち編集部にとって大きな励みとなっています。
【東京都 神山義三さんより】
「とさちょうものがたり」お送りいただき有難うございました。
このような企画、発行をなされる町の姿勢に驚嘆しました。そして、それに答える窪内様の名文、石川様の撮影の目のつけどころ、さらに鳥山様の謙虚で、しかも核心をついている一文、まことにお見事でございます。
私共の退職した元教員グループの年二回の会合の折に差しあげようと思い、六部注文したのですが、コロナ蔓延の時世、開催の延期が続いて、未だ配布できずにいます。いずれの日にか、会員の皆様が歓声をあげる折を夢みて、電話をかけては手にしたい気持ちを高ぶらせているところです。
亡き妻の入院中、枕許で三〜四節は読んであげました。あとは重篤の状態になり、完読はできなくなりました。仏前に飾るように供えました。妻はきっと喜んでいるものと思っています。
私共と窪内様との出会いを窺える新聞コピーを勝手ながら送らせていただきます。窪内様のご温情で、以来20年、折々電話や文通でのご交誼を賜っております。
私共のお会いした四国の方々は、何故こんなに御心が温かいのかと、在りし日に語り合ったこともあります。
今年の夏、いくつかの新聞記事のコピーとお手紙が送られてきました。
差出人は神山義三さん。「『とさちょうものがたりZINE04』を、著者である窪内隆起さんから送ってもらった。友人たちにも手渡したいから購入したい」と、以前編集部にお電話をくださった方でした。
お話を聞くと、今は亡き奥様が入院中、義三さんは枕元で「山峡のおぼろ」を一話ずつ読んであげていたとのこと。
「『今日はここまで。また明日ここから読もうね』と毎日楽しみに少しずつ読み進めていたんです。でも、全部読み終わる前に亡くなってしまいました」。
電話口で奥様のことを語る神山さんの口調は穏やかで優しく、奥様のことを慈しみ続ける姿に胸が震えるような思いでした。そして、こんなにも「とさちょうものがたりZINE」を大切にしてくれている方がいることへ、感謝の気持ちでいっぱいになりました。
亡くなった奥様、神山育子さんは小学校の先生で、司馬さんの「21世紀に生きる君たちへ」を日本で初めて授業で取り組んだ先生として、2000年に愛媛県で行われた「えひめ菜の花忌シンポジウム」に招かれました。その会場で同じくパネリストとして招かれていた窪内隆起さんと出会い、司馬文学を21世紀にどう受け継ぐかを議論をしたそうです。それがご縁で、義三さんと育子さん、窪内さんは手紙や電話でやり取りするようになったとのこと。
この20年後、とさちょうものがたりZINE04号ができ、窪内さんが神山さんにZINEを送ってくださったことからこのご縁が生まれました。同封してくださったシンポジウムの新聞記事を読みながら、その不思議さを思います。
折に触れて神山さんはお電話をくださいます。現在86歳とのこと。人生の大先輩が送ってくださったエール、大切にしていきます。
「カラン、カラン…」
オンベリーコの木の扉を開くと聞こえるベルの音は「今日はオンベリーコに来たんだ」という、ちょっと特別な実感を与えてくれます。
土佐町の中心部・田井にあるオンベリーコは、2016年に高知市から移住してきた高橋宏郎さん・由香里さんご夫婦が営むイタリアンレストラン。「オンベリーコ」とは、イタリア語で「おへそ」の意味。土佐町は四国のちょうど真ん中にあるのですが、その四国の「おへそ」に多くの人が訪れますようにという願いが込められています。
末広ショッピングセンターのお隣です
地元産の食材をふんだんに使ったランチやディナーを味わいたいと、わざわざ町外や県外からもお客さまが訪れます。その人気の秘密は、美味しさを追求するシェフ・宏郎さんの料理への飽くなき姿勢と、由香里さんの細やかで温かいおもてなしにあります。
手前から:ブルスケッタ(砂肝の煮込みのせ)・なすのパルミジャーナ・自家製ハムのモルタデッラ・ロシア風ポテトサラダ・季節の野菜サラダ
上の写真はある日のランチの前菜です。
「自家製ハムのモルタデッラ」は豚肉と背脂、ピスタチオと黒胡椒を混ぜ、二日間かけて作るとのこと。「なすのパルミジャーナ」は土佐町の米なすとトマトソース、モッツァレラチーズを重ねて焼いたもの。それぞれの食材の味が絡み合い、前菜なのにおかわりしたくなるほど美味しい。
まさに「オンベリーコ・マジック」です!
土佐町へ来る前、宏郎さんと由香里さんは「自分たちのお店を持ちたい」という夢を叶えるため、ふたりでイタリアへ留学。一年間、イタリアのキャンティ地方のレストランで働きながら、宏郎さんは料理を、由香里さんはお菓子づくりを学びました。
修行していたカステルヌォーヴォベラルデンガという村のレストランで
帰国後、知人から現在の店舗を紹介され即決。土佐町の人たちがとても親切だったこと、お米や野菜、土佐あかうしなど美味しい食材が揃っていたことが決め手だったと言います。
「イタリアでの時間があったからこそ今がある」と由香里さんは言います。
コロナ禍の中、冠婚葬祭などのイベントが自粛され、土佐町の特産品である土佐あかうしの生産者さんも大きな影響を受けています。
今、自分たちにできることは何か?
そう考えたおふたりは、土佐あかうしを地元の人たちに味わってほしいという思いから、オンベリーコ独自の「地元応援キャンペーン」を行うことにしました。
「土佐あかうしのタリアータ」(タリアータはイタリア語で「切る」という意味)
キャンペーンのおすすめメニューのひとつである「あかうしのタリアータ」は、土佐あかうしと地元産の季節の野菜をたっぷりと味わえる一品。
赤身の肉は柔らかく、肉汁が口の中で溢れます。この日の野菜はかぼちゃやオクラ、玉ねぎ、原木しいたけ。ひとつひとつの味は濃厚、びっくりするほど甘い。こんなに美味しい野菜が地元で収穫できることは素晴らしい財産だとあらためて感じ入りました。
今や多くの人が訪れる人気店となったオンベリーコですが、地元の人からは「予約をしないと入れない」という声もあり、由香里さんはどうしたものかと頭を悩ませていました。
そもそもお店をつくるとき「地元の人に気軽に来てもらえるお店」にすることが、ふたりの願いでもあったのです。
このキャンペーンをきっかけに、地元・土佐町の人たちにぜひ足を運んでもらいたい。
ふたりの初心が込められた「地元応援キャンペーン」は本日9月1日から始まります。(キャンペーンは2021年2月28日まで)
さて、ここからが本題!
オンベリーコの由香里さんが作る「ジンジャーシロップ」をとさちょうものがたりのネットショップで販売します。
新型コロナウィルスの影響を受け、オンベリーコも売り上げが平常時の4割に減少。全国に緊急事態宣言が出ていた時には料理のテイクアウトなどを行い、なんとか営業を続けてきました。
客足が少なくなった分「何かで補填しないといかん」と考えた由香里さん。少しでも売り上げを増やすため、開店当初から人気があったジンジャーエールの素である「ジンジャーシロップ」を瓶詰めにし、販売することにしました。
この瓶の3本セットです
オンベリーコの店舗や近隣のお店でも販売していますが、遠方の人たちにもぜひ楽しんでもらいたいと、今回、オンベリーコから直送します。
1本に300mlのシロップが入っています。写真のコップに入っているジンジャーエールを約6杯ほど作ることができます。(賞味期限は常温で約5ヶ月です。開封後は冷蔵庫に入れ、早めにお飲みください。)
高知県産の生姜をスライスしたもの、すりおろしたものに砂糖やスパイスなどを加え、次の日にコトコトと鍋で煮込むこと4時間。
取材時、ちょうど煮込んでいる最中だったのですが、台所中が生姜とスパイスの香りで満たされていました。
ピリリとした生姜と赤唐辛子のパンチに驚くこと間違いなし!スパイスのクローブやシナモンも効いていて、とても奥深い味。手間暇を惜しまない由香里さんの姿勢がその味に現れています。
編集部も休憩時に炭酸水と割っていただいていますが、夏の暑さで火照っていた体は冷んやりさっぱり。体が喜んでいるのがわかります。
生姜のスライスとすりおろしは大仕事。この手間暇がシロップの美味しさの源です
ジンジャーシロップの売上は、ネットショップの決済手数料3.6%を除き、全額オンベリーコさんへ支払われます。
ご家族やご友人、大切な人への贈りものにいかがでしょうか。
お届け方法は3つ。3種の商品ページがありますが、配送方法・送料のお支払いが異なります。届く商品は同じです。
*支払い方法で「銀行振込」を選択した場合、振込手数料はお客様の負担となります。
①送料元払い 4500円(商品3500円+送料全国一律1000円)
・箱(80サイズ)に入って届きます。
・到着日の指定がある場合は、希望日の3日前までにご注文をお願いします。
・到着日の指定がない場合は、注文をいただいてから通常2~3日程度でお届けできる予定です。
②着払い 3500円
・箱(80サイズ)に入って届きます。お受け取り時に送料(高知県内800円・他県一律950円)がかかります。
・到着日の指定がある場合は、希望日の3日前までにご注文をお願いします。
・到着日の指定がない場合は、注文をいただいてから通常2~3日程度でお届けできる予定です。
③直接手渡し 3500円
・オンベリーコでの直接手渡しとなります。
・希望日は、注文時に備考欄に必ずご記入ください。オンベリーコの営業時間内(9時〜19時・木曜日定休)でお願いいたします。
宏郎さんと由香里さん
「土佐町でお店を開くことができて本当に良かった」と話す、宏郎さんと由香里さん。
オンベリーコさんのジンジャーシロップが多くの人の元へと届きますように、と願っています。
「美味しいね」と笑い合えることがどんなにゆたかなことか。
コロナ禍が落ち着いた際には、ぜひ、大切な人とオンベリーコさんの扉を開いてもらえたらと思います。
新型コロナウィルスの影響で、これまで大切に育ててきた事業がこの数ヶ月苦しい状況を迎えているという方々が多くいると想像しています。
もちろん微力ながら、とさちょうものがたり編集部も具体的になにができるのか? そういうことをずっと考えてきました。
今回の記事や、「みどりさんの金魚草を買ってください」「アメゴを買ってください」で紹介させていただいたネットショップでの販売は、現時点での私たちの見つけた答えの一例です。
実際にやってみないことにはどうなるかわからないような段階ですが、「町のために、私たちができることを(小さくても)やる」という姿勢をとさちょうものがたり編集部は貫こうと思っています。
今回のような動き、リアルとネットの橋渡しを担うような仕事を、もし必要とされている土佐町の事業者の方がいらしたら、遠慮なく編集部に声をかけてください。
とさちょうものがたり編集部
メール: info@tosacho.com
電話:0887-72-9260
土佐町のみなさんのお家に、きっとひとつはあるのではないでしょうか?
そう、茶色の紙でできている「米袋」が!
お米を食べ終わった後にも野菜を入れたり、おがくずを入れたりと色々と重宝する米袋ですが、もしよかったら、ぜひ分けてもらえたらうれしいです。
とさちょうものがたり×土佐町社会福祉協議会、この米袋を使ってバックを作ろうと考えています。
このお話のスタートは、今年の三月からレジ袋が有料となり、エコバックが欲しいなと思っていた頃のこと。
土佐町社会福祉協議会が毎月行なっている「あったかふれあいセンター」で、地域の人たちと作ったという「米袋バック」を目にする機会がありました。
これはエコバックにちょうどいい!
米袋は何重にもなっていて、多少濡れても大丈夫です。先日、油1リットル、瓶に入った醤油1リットル、牛乳2本を入れて持ち帰りましたがビクともしません。
糸で縫った米袋バックを販売しているのは知っていましたが、これは折ることだけでできているバックです。
「これを仕事にする仕組みを作れないだろうか」
そう考えた編集部は、土佐町社会福祉協議会の和田郷子さんと話し合いを重ねてきました。
土佐町社会協議会が土佐町の各地域で行なっている「あったかふれあいセンター」の活動の一環として、地域の人たちが製作。とさちょうものがたり編集部がその米袋バックを販売し、その利益を仕事をした人に還元したいと考えています。
まずはやってみよう!
その姿勢でこれから製作に入ります。
ご家庭に分けてもよい米袋のある方は、土佐町社会福祉協議会かとさちょうものがたり編集部にご連絡ください。たくさんある場合は取りに伺います。(破れや汚れがないものをお願いいたします。)
・土佐町社会福祉協議会… 0887-82-1067
・とさちょうものがたり編集部…0887-72-9260
どうぞよろしくお願いします!
みなさま。
去る8/10に公開した記事「アメゴを買ってください!」にはたくさんの反響をいただきありがとうございました。
たくさんの方々に記事のシェアや拡散をしていただき、おかげさまで土佐町のアメゴは順調にお客様の元へ届き始めています。
今回は、ご購入いただいたお客様からありがたいご感想をいくつかいただきましたのでご紹介します。
故郷の味が恋しくなり注文。全て塩焼きにするつもりでしたが、立派なのが8尾入っていて、塩焼きだけでは食べきれないと気づき南蛮もやりました。 美味しくないわけがない… いや、美味しいのは注文する前から分かっていたじゃないか…。魚の下処理というのでしょうか、調理バサミを使って簡単にできました。内臓が綺麗かつ嫌なにおいもしなかったので触れるのに抵抗感を抱くことなく作業できました。自分はできる環境にないのでやりませんが、これは干物にして食べたら確実に酒が止まらなくなるやつ。 懐かしい味が堪能でき、大変満足です。アメゴを育ててくれた人や発信してくれた人に感謝。今回かなり安くしていると思うので、いずれ家族と赴き、然るべき対価を払い炭火焼きなどでいただきたいです。たかさん 8/21
届いたアマゴは大きくて、塩焼にして頂きました。大変においしかったです。ただ、アマゴを購入する機会などめったにないので、塩焼の時の、アマゴにまぶす塩の量、他の調理の仕方など、少々戸惑いました。パンフレット一枚でもよいので、レシピがついているとよかったです。玉猫さん 8/18
パンフレットの件は検討させていただきます!貴重なご意見ありがとうございました!
またこんなFB投稿も‥
こちらこそありがとうございました!
土佐町石原、工石山の清流が育てた土佐アメゴ養殖さんの新鮮アメゴ、9月末まで継続して販売中です!
むかしむかし小栗殿いう豪士が樫山に来ておった。その娘が夜になると引地と言う所で、麻を積んで(つむぐ)来る言うて出かけて行きよったと。
ある日のこと、その引地と言う所の人に道でばったり出合うて、娘が毎晩お世話になりよります言うてあいさつしたところが、そんなこたぁちっとも知らん、家へは来ゃーせん言うたそうな。がでん(納得)がいかんもんじゃきに、オゴケ(糸を入れる物)の底板を抜いて糸を入れておいたと。娘はそれを知らんとオゴケをかかえてその晩もまた出かけたと。
そこで、引っぱっていっちょる糸をずうーとつけて行ったら、弁才天の所に出た。弁才天の田のふちに細長い水溜りがあったですがのう。それが池みたいになっていてガマがきれいに生えちょった。娘はそこに座って麻を織りよった。おっかあが行って、「オマンそんなくで麻を積みよるかよ。」言うたら、池の中にとび込んだ言うのう。それから蛇になってしもうたと。
おっかあはびっくりしてもどって来よって、じきに引地の上の畝で血がおりた(死んだ)と言うのう。そんでそこをチオレと言うようになったそうな。その上には山ノ神を祭っちょる。
町史
水野年方 「三十六佳撰 夕陽 慶安頃婦人」 (1893)
とさちょうものがたりを訪れてくださる皆さま、いつもありがとうございます。
とさちょうものがたりは8/11(火)から14(金)までお盆休みに入ります。
再開は8/17(月)になります。とさちょうものがたりSHOPでのアメゴの販売などはお休み中も継続しておりますので、ぜひご覧になってください!
*画像はあくまでイメージです。本文と直接的な関係はありません。
新型コロナウィルスの影響のため、飲食店や宿泊業、商店などの経営状態が悪化し、お店の存続が危うくなっている状況が全国的に続いています。土佐町も同様で、主要な産業である第一産業も大きな影響を受けています。
今年の5月、とさちょうものがたりのネットショップでは「コロナ支援」として、土佐町の花農家・澤田みどりさんが育てた金魚草を販売しました。今回は、土佐町でアメゴの養殖を行なっている西村公己さんが育てたアメゴを販売します。
7月のある日、土佐町の方からとさちょうものがたり編集部にある相談が寄せられました。新型コロナウィルスの影響で「西村公己さんがアメゴが売れなくて困っている。とさちょうものがたりで何とかできないだろうか」という内容でした。
早速お会いして、「土佐アメゴ養殖」代表の西村公己さんにお話を伺いました。
西村公己さん
西村公己さんは今から40年前に土佐町にUターン。お父さんが始めたアメゴの養殖を引き継いだそうです。当初、アメゴは飛ぶように売れ、アメゴの稚魚も多くの業者さんに届けていたそうですが、年々売上は減少。それでも40年間続けることができたのは「お客さんが美味しいと言ってくれるのが嬉しいから」と公己さんは言います。
公己さんはこれまで地域のイベントや県内外のホテルに出荷していたそうですが、新型コロナウィルスの影響でその需要が激減。アメゴが売れず、「普段なら、生け簀にいないはずの魚がまだおる」状態で困っているということでした。
今年の5月、同じく土佐町の花農家さんである澤田みどりさんがとさちょうものがたりのネットショップで金魚草の販売し、多くの方が購入してくださったこと伝えると、「ぜひネットショップで販売してみたい」ということに。
アメゴは「渓流の女王」と呼ばれ、綺麗な水の中でしか生きることができない川魚です。かつては山間部で暮らす人たちの貴重なタンパク源だったといいます。栄養価が高い上に、皮目が香ばしく、ふっくらとした身が美味しい魚です。
土佐町に住む人たちは、幼い頃から保育園や地域のイベントで「アメゴつかみ」をし、まず塩焼きにして食べることが多いです。その美味しいこと!子どもたちは、その味を体に叩き込まれて大きくなります。土佐町の人たちのソウルフードのひとつと言っていいでしょう。
土佐町の西村公己さんが育てたアメゴを産地直送します!アメゴの売上は、ネットショップの決済手数料3.6%を除き、全額公己さんへ支払われます。
アメゴはスーパーマーケットには出回らない川魚です。「今回初めて知った!」という方に、ぜひ味わってほしいです。また、今年はコロナウィルスの影響で夏休みに帰省することができない方も多いと思います。この機会に、故郷の懐かしい風景をアメゴの味と共に思い出すのはいかがでしょうか?
一匹あたりの大きさにもよりますが、上の写真のアメゴで1㎏、だいたい8~9匹ほどになります。冷蔵した状態で届きます。この金額で販売するのは、8月10日〜9月末限定です。(それ以降は通常価格になります。)
お届け方法は3つ。3種の商品ページがありますが、配送方法・送料のお支払いが異なります。届く商品は同じです。
*支払い方法で「銀行振込」を選択した場合、振込手数料はお客様の負担となります。
①送料込み 3100円
・箱(60サイズ)に入って届きます。
・北海道・東北・沖縄・離島は輸送に時間がかかり魚の鮮度を保つことが難しい為、送ることができません。ご理解いただければ幸いです。
・到着日の指定がある場合は、希望日の5日前までにご注文をお願いします。
・到着日の指定がない場合は、注文をいただいてから通常5日程度でお届けできる予定です。
②送料着払い 2100円
・箱(60サイズ)に入って届きます。お受け取り時に送料とチルドゆうパック料がかかります。
・北海道・東北・沖縄・離島は輸送に時間がかかり魚の鮮度を保つことが難しい為、送ることができません。ご理解いただければ幸いです。
・到着日の指定がある場合は、希望日の5日前までにご注文をお願いします。
・到着日の指定がない場合は、注文をいただいてから通常5日程度でお届けできる予定です。
③直接お渡し 1700円(高知県内の方限定)
「土佐アメゴ養殖」での受け渡しになります。(ビニール袋に入った状態でお渡しします。)その際はマスクの着用をお願いします。
・日の指定がある場合は、希望日の5日前までにご注文をお願いします。
・炭の追加代金500円で現地での塩焼きも楽しめます(詳細やご予約は直接以下の土佐アメゴ養殖連絡先にお問い合わせください)
土佐町とお隣の土佐山村の境界線にそびえ立つ工石山。土佐アメゴ養殖はこの山からの湧き水を直接引いてきて、その清流でアメゴを育てています。
工石山の清流は石灰を多く含み、ミネラルが良質なアメゴを生育させるそうです
土佐アメゴ養殖の養殖場
穴郷川の清流。土佐アメゴ養殖はこの流れの水を引いています。
餌をあげると踊るように跳ねる!時々、上流の天然のアメゴも混じって泳いでいるとのこと。
アメゴには色々な食べ方があります。
適量の塩を振りそのまま焼きます。土佐町では串にさして炭火で焼いて食べるのがスタンダードです。もちろん、お家の魚焼きグリルやフライパンで焼いても美味しいですよ!
身がホクホクのプリプリ、抜群のおいしさ!頭から尾っぽまで全て食べられます。炭の追加代金500円で現地での塩焼きも楽しめます(詳細やご予約は直接土佐アメゴ養殖にお問い合わせください)
ひらきはお家で作れます。アメゴは骨が柔らかいので、焼いて丸ごと食べられます。
アメゴを背開きして内臓をとりだし、血をきれいに洗い流す。1ℓの水に10%の塩を溶かしたものに1時間ほどつけ、半日陰の風通しが良いところへ干します。
アメゴはお寿司にもなるのです。長野商店の長野静代さんに作っていただきました!
背開きしたアメゴに塩をして一晩おき、柚子酢と酢を合わせたものに2時間ほどつけます。中に寿司飯を詰めて、形を整えて出来上がり!
他にも「アメゴの甘露煮」や「アメゴのフライ」も美味しい!ぜひ試してみてください。
西村さんが育てたアメゴが多くの人の元へと届きますようにと願っています。
先にも書きましたが、この新型コロナウィルスの影響で、これまで大切に育ててきた事業がこの数ヶ月苦しい状況を迎えているという方々が多くいると想像しています。
もちろん微力ながら、とさちょうものがたり編集部も具体的になにができるのか? そういうことをずっと考えてきました。
今回の記事や「みどりさんの金魚草を買ってください」で紹介させていただいたネットショップでの販売は、現時点での私たちの見つけた答えの一例です。
実際にやってみないことにはどうなるかわからないような段階ですが、「町のために、私たちができることを(小さくても)やる」という姿勢をとさちょうものがたり編集部は貫こうと思っています。
今回のような動き、リアルとネットの橋渡しを担うような仕事を、もし必要とされている土佐町の事業者の方がいらしたら、遠慮なく編集部に声をかけてください。
とさちょうものがたり編集部
メール: info@tosacho.com
電話:0887-72-9260
先日「蛍の住む桂月通り」でもお伝えしましたが、平成6年から平成13年頃まで、土佐町の平野部である宮古野、南泉、東境、三島地区を区画整理する事業が行われました。区画整理事業は大小さまざまな田んぼをできるだけ整形した田にし、道と水路をつけ、どの田も使いやすくするための工事です。区画整理が行われた際にできた水路のひとつが、桂月通り沿いにある蛍の住む水路なのですが、区画整理にはさまざまな苦労が伴いました。
当時土佐町で行われた区画整理事業は、大小様々な田んぼをできるだけ整形した田にし、田のそばまで入ることのできる道と水路をつけ、どの田も使いやすくするために行われました。小さな田は道が狭く、車や大きな機械が入らないため、田植えや稲刈りなどの時には手作業または小さな機械を使うことになり、多くの手間暇がかかります。高齢化などを理由に田の持ち主がお米を作れなくなった時、そのあとを引き受けてくれる人が見つからず耕作放棄地となりやすい。しかし、ある程度の田の面積と道があり、機械さえ入るのであれば、代わりに作ってくれる人が見つかりやすくなります。時代とともに米の作り手が少なくなっていくであろうことを見越した施策でした。
区画整理は地元の人たちの合意がないと話が進められないため、桂月通りのある地区でも工事に入る前、地権者の人たちに田の場所、面積、道路や水路の位置の説明が何十回と行なわれました。
「地元の人にとって、田は財産。先祖代々今まで守ってきたものが場所も形も変わる、もっと言ったら土も変わる。とにかく合意を取るのが大変だった」
と当時、区画整理を担当していた土佐町役場の吉村雅愛さんは話します。
それぞれの人が所有する田は、同じ地区内にあっても飛び飛びに位置することも多く、一旦整地をした後、どの田を基準にその人の田の位置を決めるのかとても苦労したそうです。
「わしは道路ぶちがいい」「せっかく土作りをしてきたのにまた1から作り直さないといけない」
この地でお米を作り続けて来た人たちから多くの声が上がりました。
また、新たに道路や水路を作るために法面が取られ、人によっては田の面積が元の6〜8割になってしまう場合もあったとのこと。説明会の途中で「もうえい!もういぬる!(帰る)」とその場を飛び出して帰った人もいたそうです。
何十回という会を重ねた末、やっと得られた合意のもと行われた区画整理でしたが、地元の人から「土が入れ替わってるから今まで一反で8俵取れていたのに6俵しか取れんかった」とか「田んぼが広くなって水を切っても田んぼがなかなか乾かん」「耕しよったら大きな石がゴロゴロ出てきた」など、「地元の人によう怒られた」と吉村さんは言います。
「地域の人の財産をつついて仕事をするのは、役場の仕事では区画整理だけ。その人はできたものを自分のものとして作っていかないといけない。だからこそ、行政は町民の気持ちにならんといかんし、町民の気持ちに立たんといかん」。
吉村さんはそう話してくれました。
さまざまな思いが交錯した区画整理。20年前、地元の人たちは先祖代々の土地を新たな形にすることに躊躇し、大きな葛藤もあったことでしょう。合意をせざるを得なかった方もいただろうと思います。この選択が正しかったのかどうかは色々な意見があると思いますが、区画整理の結果、今もこの地でお米を作り続ける人がいることで水路に水が流れ、蛍が住む環境が守られている側面もあるのではないでしょうか。その環境を整え続けている地元の人たち、そして蛍の灯りを楽しみに足を運ぶ人たちの姿そのものが、20年前の選択が残したひとつの風景なのだと感じます。
桂月通りの蛍は今年も卵を産み、来年の瞬きのために水の中で成長しています。その蛍の営みは、この地の人たちがつくる風景の元に成り立っているのです。