笹のいえ

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ゴトゴト

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「まあゴトゴトやりよってよ」

収穫作業のお手伝いに行ったとき、何度かこんな言葉を掛けられた。

ゴトゴトとは、土佐弁で「ゆっくり、慌てずに」と言う意味だ。

慣れない作業をする僕に、まあ焦らずゆっくりやってよ、と気を遣っていただいたのだ。そのとき、頑張らなくては!と張っていた気が少し緩んだ。

毎日土佐弁に接していて、ひとつの言葉が心を温めてくれることがあるんだなと思うことがある。千葉にいたときも千葉弁があったが、そのころは方言というものをあまり気にしていなかった。高知にも千葉にも、そしてどの場所にもその土地の言葉がある。途絶えることなく世代から世代に繋がり、時代とともに変化して来た地域の歴史だ。

日頃年上の方々と交流する機会があるからか、僕の話す土佐弁には今では珍しい言葉を使うことがあるらしい。ある人との会話で、もうすっかり土佐人やね、その言葉はわたしらもよう言わんきね、と相手に褒められた(?)ことがあった。年齢によって使う言葉が違うが、その塩梅がわからない。

ネイティブの域にはまだまだ程遠い僕の土佐弁。間違いや聞き辛いところがあっても、どうぞご容赦ください。

 

写真:朝の登校前、宿題に勤しむ長男。「なんでもやりたい時期」真っ只中の彼は、毎日のように習い事をしてる。火曜日はスイミング、水曜日はダンス、木曜日は空手、金曜日はダンスとスポーツクラブ、土曜日はカヌー。日に30分と約束している電子ゲームもやる暇がないほどだ。帰りが遅い日は、翌朝普段より早く起きて宿題をすることもある。勉強も遊びもゴトゴトやったらいい。

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柚子の収穫

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稲刈りの次は、柚子収穫のお手伝い。

数日間、二か所の柚子畑に出掛けて行った。

一か所は所有者さんの自宅裏にあり、集落を見下ろすことができる穏やかな場所。

もう一か所は山の上の斜面にある圃場で、ここから見える周りの景色も良い。ちょうど紅葉がはじまるタイミングで、色づきはじめた山の木々が目を楽しませてくれた。

それぞれ別々の方が所有されていて、柚子の木の管理や収穫方法などが異なっていて勉強になった。

実は摘果ハサミを使って収穫するが、枝に棘があるので注意が必要。刺さるととても痛いし、体質によっては何日も腫れが引かないこともあるという。棘のある枝を踏んでしまうと靴の底を貫き怪我をすることがあるので、一か所にまとめておくことが大切ということも学んだ。

対策として、帽子やヘルメットを被り、手袋は牛革製。服の生地も目の詰まった素材がベター。エプロンや眼鏡をするのも有効だ。

木の高いところに生る柚子にはハシゴを上ったり、高枝バサミを使うと便利。けどずっと上を向いているので、首が痛くなってくる。実はコンテナに集め所定の場所に移動させるが、これが結構重い。なかなか重労働なのだ。

作業は朝から夕方前まで行われるが、嬉しいことに10時と15時の休憩がある。皆が集まってお茶とお菓子やミカンなどをいただく。休憩が多いと思われるかもしれないが、定期的にリフレッシュする時間を挟むことで集中力が保たれ、疲れる前に休むことで体力が持続する。

柚子には二回収穫時期がある。

一回目は実がまだ青いころ。そのまま出荷される。果汁は少ないが、薬味として使われることが多い。柚子胡椒はその代表。うちでも自家製を作ったことがあるが、風味が高くて重宝した。

二回目は色が黄色くなったころ。これは絞って柚子酢(地域では「ゆのす」と呼ばれる)にする。玉の大きいものは農協に出して、小ぶりのは自分たちで絞って自家製ゆのすにする。

高知に住むまで酢と言えば米酢と思っていたが、さすが柚子の産地、こちらでは柚子酢を使うことが多い。

酸っぱいけれど、美味しい。酢飯を作るときに混ぜると香りもとても良い。地元のうどん屋さんでは自家製の柚子酢が薬味として出てくる。うどんに酢?と思ったけど、出汁との相性が抜群だった。

柚子は他の柑橘と比べて育てやすいと言われているが、木の成長が遅く、「桃栗三年柿八年、柚子の大馬鹿十八年」と言われる。なんだか親しみ湧く果物だ。

 

写真:お手伝いに行った柚子畑。作業の動線を考えて植えられているのが分かる。実が収穫されてすっきり。

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棚田の稲刈り

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稲刈りのお手伝いに行くことになった。

10月も後半になって、国道沿いなど地域の中でも比較的標高が低い場所の田んぼはあらかた収穫が終わっていたが、山の上の方にある棚田は11月に入ってから稲刈りというところもある。僕は軽トラの助手席に乗せてもらって、目当ての田んぼまで名高山をコトコト登って行った。

朝9時過ぎ、周りは白い霧で覆われていて眼下に広がっているはずの景色もほとんど見えなかった。風もなく漂う濃霧の中に立っていると、夢と現実の狭間にいるようなぼんやりとした感覚になる。

数名が集まり、作業開始。まずは機械が刈れない田んぼの端っこや畦周りの稲を手鎌で刈っていく。稲や草に朝露が付き、ヤッケを濡らすが構わずわけ入って行く。ザクザクと刈られていく稲が耳に心地いい。

一時間ほどして日が高くなると、気温が上がり、霧が徐々に晴れてきた。上着を脱いで、向かいの山々を眺める。

手刈りが終わると、今度はコンバインが田んぼに入り、一気に稲を刈っていく。今シーズン新しく導入したというこの機種には脱穀した後、藁をまとめて括り排出するアタッチメントが付いている。「ガチャン!」という大きな音と共に投げ出され、ポンと田面に座る。小さなティピのような形で、たくさん並ぶと田んぼは小人の村のようになった。この後さらに天日に晒し乾燥させて、牛の餌になる。

集まった人たちは、田んぼの持ち主さんの友人や親類。皆さん手際良く動き、あれよあれよとお米が収穫されていった。

休憩中、かつての稲刈りの様子ややり方などを聞いた。機械が無い時代の苦労から楽しみ、山川での遊びなど、歳が進むに連れて、近代化していく暮らしや生活の変化が興味深い。話題が子ども時代に及ぶと、川では何が釣れたとか、どんな遊びをしたとかで盛り上がった。その表情はどれも嬉しそうだ。少しの間少年に戻った彼らから語られるのは、自分たちだけの「とさちょうものがたり」だった。

天気の良さも手伝って、五枚二反半の稲刈りは無事終了した。

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冬支度

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ある朝、スクールバスがやって来るバス停までの道を、息子と歩く。

落ち葉で縁取られた小道は、すっかり秋の様子だ。

はらはらと落ちてくる葉っぱを見ながら、そろそろ冬支度をしなくてはと考える。

干してある稲の脱穀とハデの片付け、小麦の播種、干柿ゆべし作り、生姜の収穫、農機具などのメンテナンス、細々した改修とDIYなどなど。冬本番前に終わらせておきたい、この時期にしかできない作業が目白押しだ。

落ち葉集めもそのひとつ。

ここ二三年は、この落ち葉を集めて畑に入れてる。畝やその合間を覆うように、堆肥やマルチとして利用するのだ。

白菜やブロッコリーなど冬野菜の苗の間に敷き詰める。そのうち落ち葉が野菜の冬服や布団みたいに見えてきて、幼児を世話するような感覚になって自分でも可笑しいなと思う。

ふと前を歩く息子を見ると、長袖長ズボンを着てる。

ついこの間まで夏服で遊びまわっていた彼もちゃんと冬仕様になっていた。

今日はタンスを衣替えしようかな。

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ご飯当番

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家族は里帰り中。

しばらくの間、長男とふたり暮らししてる。

当然、家事全般僕が切りもり。以前から僕が担当してる洗濯はふたり分しかないので物足りないくらいだし、布団を畳んだり風呂焚きなどは息子が手伝ってくれることがあるので、まあ最低限のことはなんとかやりくりしてる。

家事で一番大きな割合を占めるのは、食事作りだ。

これは結婚してからずっと奥さんに任せっきりだったので、なかなか大変。

今ある食材を把握して、足が早いものなどを考慮して調理する順番が決まり、献立を考える。

最近は数日分のメニューをメモするようにしてる(これは奥さんのアイデア)。そうすると必要な食材や野菜の使い忘れ作り忘れなどが減る。息子の「これ食べたい」に急遽変更することもある。

日常作業の合間に食事を作ると、一汁一菜が関の山。しかしありがたいことに、男ふたり暮らしを知る友人たちから毎日のようにおかずが届くので遠慮なくいただいて、これを一品加えれば豪勢な食卓になる。

平日、僕ひとりで食べる昼ごはんは、残りものが多い。タッパーに入っているおかずをつまみながら、そういえば実家の母親もそんな食べ方をしてたっけなと少年時代を思い返したりしてる。

料理も慣れてくると楽しい。やっぱりたくさん食べてくれると嬉しくて、黙々と食べている彼に「美味しい?」「好きだった?」とつい聞いてしまう。そう言えば、僕は奥さんの料理に「美味しいね」をちゃんと伝えていたっけな。

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秋分の日に

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秋晴れの9月22日の秋分に、やっと最初の秋冬野菜の種を蒔いた。

随分前から「やらなきゃ、やらなきゃ」と気ばかり焦っていたのだが、向き合えずに先延ばしにしていた。このところ最低限の家事や用事だけを済ませるくらいで日々が過ぎていた。何となく心が前に向かず、夜布団に入ると「このままでよいのか」と言う思いに鬱々とする毎日だった。

熱気のなか走り回っていた夏が去り、秋がやって来た。涼しくなって、ふと気持ちが立ち止まったのかもしれない。なんとなく物悲しく、たまに漠然とした不安に襲われる。こんなことじゃいけないと思いつつ、翌日また同じことを繰り返す、自分の中のアンバランスさを感じていた。

秋分の日の朝、SNSのタイムラインに友人が「これからは夜が長くなる、切ない」と書いていた投稿を読んだ。そうかこれは季節のせいなのかと思った。

この言葉で踏ん切りがついた気がして、その日久しぶりに畑に入り、草を刈り畝を整え、去年採った大根と人参の種を蒔いた。

たくさんの日光を浴びていると、モヤモヤしていた心の中にも光が差し込んで来るようだった。相変わらず考え込むことはあるし、向き合うべき事もたくさんある。けれど、抜け出した感は一歩前進と言うべきか。

いま通っている整体の先生が「気持ちと身体は季節とともに変化する。それに応じた運動や飲食をし、精神と肉体を整えていけば良い」というようなことをおっしゃっていたのを思い出した。季節とともに、僕の心と身体も少しずつ秋冬仕様になって来ているのかもしれない。

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稗取り

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少し前の出来事。

出穂した稲穂に少しずつ実が入り頭を垂れはじめたころ、周りと異なる葉っぱと実が付いている株があることに気づいた。近づいてみると、稗だった。

稗は田んぼで出会いたくない草のひとつで、大発生すると、お米の収量が著しく減ると言われる。また、たくさんの種を付け、それが落ちると翌年以降に大量発芽する。雑穀として栽培されているものとは種類が異なり、この稗は美味しくないらしい。

見つけたときは、穂がまだ緑で若かった。種は熟すと色が濃い黄土色になり、遠目でも米と見分けがつきやすいので、普段はもうしばらく経ってから刈り取る。だけどこのときは、数日後に大型の台風10号が近づくと言われていて、強風に煽られ、稗の種が田んぼにばら撒かれてしまったら大事(おおごと)と考え、ぬかるむ田んぼへ稗退治に入って行った。

稗を見つけては、地際から手鎌で刈っていく。少しでも茎が残っていれば、そこから生えてきて再び種を付けてしまう。足元が悪い中、稲を倒したり踏んだりしないように気をつけつつ、稗を刈り取るのは集中力が必要で、終わったときはグッタリと疲れていた。

田んぼによって状況は異なるが、ある田んぼには三抱えくらいもあった。集めた稗は種を落とさないよう慎重に持ち出して、処分した。

さて、この稗はどこから来たのだろう。

去年まで、僕がお借りしている田んぼで稗を見ることはほとんど無かった。あっても稚苗のうちに除草してしまうか、穂を付ける時期まで見逃していても種がこぼれる前に刈ってしまう。それでも、実をつけ種を落とした稗があるかもしれない。落ちた種は土の中で何年も生き延びることが可能で、気候や土の状態などの条件が合ったときに一気に発芽すると言う。

今回、稲株と同じように条に並んで生えていたから、田植えのとき稲と一緒に植えてしまったんだろう、と言うことは想像がつく。苗が小さいと稲も稗もよく似ているから、苗取りで間違えてしまったと言うこともあり得る。しかし、なぜ苗床に稗が生えていたのだろう(今年の苗床はこんな感じでした)。種もみは農家さんから譲っていただいたもので、別の種が入っている可能性はほぼゼロ。もし万が一、稗の種が混じっていたら播種のときに気づいていたはずだ。そして、苗床のあった田んぼには稗が生えていない。

田んぼで起こったミステリー、なのだ。

 

写真:刈り取った稗。ツンツンとした種が特徴だ。

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台風と結

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道に倒れた木や竹を片付け、車が通れるようになった。そして、優先順位の二番目、止まっている山水を復旧させるため、山に入ることにした。台風の間は節水を心がけていたから、水瓶にはまだ数日分の水があった。最悪すぐに復活しなくとも問題ないが、どうせいつものように水の取り口に枯葉などが詰まっただけだからそれを掃除すればいいと思っていた。

取水口まで歩いていく途中、大きな杉の木が三四本倒れていることに気がつく。ある木は中程から折れて沢に落ち、ある木は根っこを剥き出しにして転がり、別の木に引っかかっていた。ここに7年住んでいるが、こんなことははじめてだった。余程強い風がこの沢を走り抜けたに違いない。「爪痕」と言う言葉がぴったりなほどワイルドに倒れている木々は素直に怖かった。普段通っている道が、倒れた木で迂回しなければいけなかったり、崩落している箇所もあった。足を置く場所を間違えれば、土砂とともに落っこちて、木や泥の下敷きになってしまうかもしれない。ひとりで山にいる僕がもしそんなことになっても、しばらくは誰も気がつかないだろう。

一歩一歩慎重に進みながら、取水口に繋がる黒パイプを辿っていくと、一箇所、倒木の下敷きになっていることが分かった。引っ張ってみてもビクともしない。手鎌以外何の道具を持って来なかった僕に、これ以上できることはなかった。急に不安の雲が心を覆いはじめ、「このまま水が復活しなかったら、どうしよう」。少しずつ焦りはじめた頭をリセットしようと、一旦家に戻ることにした。

翌日、飛んで行った支柱や屋根を片付けるため、友人たちが手伝いに来てくれた。彼らに山水のことを相談すると、皆で見に行こうということになった。午前中に片付けを終わらせてから、再び山に入った。

だいたいの位置関係を説明して、それぞれアイデアを出し合う。ああしてみよう、こうしたらどうだ、と動き出した。下敷きになっている部分を切り取り、別のパイプを継ぐことにする。径違うパイプが必要な場所には、その辺の竹を切って応急処置。あれよあれよと作業が進み、自分ひとりでは修復不可能ではないかと思えた山水が、約一時間後にはまた蛇口から出るようになっていた。パイプから勢いよく出てくる水でびしょびしょに濡れながらも嬉々として作業をする彼らの笑顔を見て、持つべきものは友なのだと心の底から思った。

この地域には昔から「結(ゆい)」と呼ばれる風習がある。人と人が繋がる、助け合いというイメージが一番近いだろうか。これまで幾度となく、地域の方たちの結に支えられてきた。今回、友人は皆地域外から来た者たちであるが、相手が誰であれ、僕はまたしてもこの「結」に助けられたのだった。ひとりで悶々と時間を掛けるより、いっそ周りを頼ってしまった方があっさり解決することもある。ひとりでする作業があってもいい、そして皆で助け合いながら進める作業があってもいいのだ。

山から戻り、すっかり気を良くした僕たちは、その勢いのまま、落ち葉と枝が散乱する道の清掃までこなしたのだった。

心の友よ、本当にありがとう!

 

 

この台風の記事はこちら。

台風10号

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台風10号

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9月6日から7日にかけて九州の西を通過した大型の台風10号は、数日前からネットニュースなどで「これまでに経験したことのないような災害が起こる恐れがある」として、繰り返し注意喚起していた。

僕らの住む高知県中央部は予報では暴風域から外れていたものの、発達しながら四国の西側を通ると予測されていて、しっかりとした養生が必要そうだった。

天気が崩れる前日から、家の周りにある飛ばされそうな物を片付け、雨樋や排水口を掃除した。大雨による山水の断水に備えて、お風呂やヤカンなどに水を貯め、普段は外にストックしてある薪と炭を数日分台所に移動させた。

台風が近づくにつれて、雲は吸い込まれるように北方向へ流れていく。雨がパラパラと降りはじめたところで、雨戸を閉めた。高知への影響はこの日の夜から朝に掛けて高まるという予報で、各市町村では避難所が開設され、警報などを発令していた。

寝るころには雨脚が強くなり、外でゴーゴーと鳴る風の音に、息子は少し興奮気味に「すごいね」と話していた。翌日は月曜日だったが、荒天のため、すでに休校が決まっている。

夜のあいだ吹き荒れる嵐に僕は何度も目を覚まし、何かの音を聞いては「あーあれが飛んだか、明日見つけられるかな」とぼんやり考えたりしていた。

翌朝、明るくなってからも相変わらず雨風は激しかった。

窓から外を見ると、いつもの風景とは何かが違う気がした。草木が雨が叩きつけられ風に翻弄されているから、だけではない。景色がなんかスッキリしてるな。それがどうしてかすぐには分からず、数秒考えてやっと気がついた。薪棚やアースキッチンの屋根がないからだ。その隣でチャーテが巻きついているはずの支柱もない。夜のあいだ、暴風で吹き飛んだようだった。

午後になり雨風が弱まってきたので、周りを見て歩いた。

幸い家に被害はなかった。が、飛んでいった屋根やら棚やらは下にある畑にひっくり返り、その一部はもう一段下の田んぼまで転がっていた。稲の倒れている方向を見ると、山から吹き降ろしが強かったみたいだ。今度は軽トラに乗って、散乱する枝を避けながら、集落に続く道をのろのろと進む。途中倒木があり、車ではそれ以上進めなくなっていた。

状況を把握しながら、頭の中で片付けの段取りを考える。必要な道具は、優先順位は、掛かる時間は、、、その一方で、自然の圧倒的な力に、驚きを通り越して「台風すげー」と感動すらしていた。

それにしても、昔の家は大したものだ。築90年の笹のいえは、あれだけの風にも関わらず、瓦の一枚も飛ばなかった。数メートル先にある自作の棚や屋根は見事に飛ばされたというのに。

家の裏は、人ひとりが通れるくらいの空間を残してすぐ山の斜面だ。土砂崩れでもあったらとても危険なのに、どうしてこんなキワに建てたのだろうと引っ越し当初は不思議に思っていた。

しかし住んでみると、斜面の近くにあることで、山からの北風が屋根の上を通り抜け、上手くかわしているようだった。さらには、東西に流れる川ぞいに吹く風の道からも少し奥まったところに位置していて、向かいの山の杉の木が折れそうなくらい揺さぶられていても、こちら側はとても静か、ということがある。ここに住みはじめた人々は、風の通り道も考えて家の場所を決めたに違いない。

先人の知恵と技術に感心するばかりだが、友人が地域の方から聞いた話では、昨今の温暖化の影響か、降雨量や台風進路の変化など気候の変動によって、これまでの経験が通じなくなってきたと言うことだった。

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アウトドアキッチン

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夏、蒸し暑い家の中でかまどに火を入れ調理するのはやっぱり暑くてしんどい(それでも毎日料理してくれる奥さん、ありがとう)。先日大量に手に入れた木炭があるし、最近は外に七輪を置いてうちわでパタパタと火を起こし、煮炊きしてる。アウトドアキッチンと言うと聞こえはいいけど、実際は野外調理場と呼んだ方がイメージに合う。外だから煙は気にならないし、こぼしても掃除の手間がないところがいい。

炭は薪に比べて、長い時間火力が一定で、熾になると煙はほどんど出ない。七輪を二台使うときは、炭の量を調整して、それぞれの料理に適した火加減にする。残った熾は炭壺に入れて、次回使う。炭の良さはなんといっても、遠赤外線効果。焼き魚などするときは、中まで火が入り、ふっくらとして美味しい。

ただ、羽釜でご飯を炊くときなど、高温が必要な調理には、かまどの方が合ってる。

七輪とかまど、使い分けができるだけで料理の幅が広がる。

 

太陽が山に沈むころ、炭を熾しはじめる。日が隠れると気温が下がり、途端に秋の気配が強くなる。

パチパチの木炭が爆ぜる音に混じって、虫の声が聞こえてくる。秋の虫の鳴き声がだいぶ優勢になってきたことに気づく。そよと吹く風が肌に心地いい。ビールをコップに注いで一口飲む。ああもうビールは少し冷たすぎるなあ、お湯割りがおいしい季節になってきたなあ、なんて思いながら、暮れゆく一日に力が抜ける。

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