2018年10月

笹のいえ

栗の実ひとつ

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朝起きてお湯を沸かそうとかまどの火口を見ると、水を張った小さな片手鍋に栗の実がコロンとひとつ。

ああ、今回はひとつか。と考えて、思わずふふっと笑う。

この季節、栗を大量にいただくことがある。そんな時はせっせと下処理をして料理する。子どもたちも大好きで争うように食べるのですぐ無くなる。

それでも食べ足りないのか、家の近くに一本だけある栗の木に目を付け、下を通るたびに栗が落ちてないか探してる。ほぼ毎日探してるので、見つけても日に一、二個。それでも、見つけた本人にとっては宝物で、兄弟にあげるなんてもってのほか、取られまいと大事に家に持って帰ってくる。

「見つけたよ!」と嬉しそうに差し出す手には栗の実がひとつ。これを茹でてくれ、と言う。

「いやいや、もっとたくさん集めて一気に茹でようよ。薪もったいないじゃん」と思うが、そんな大人の事情は関係ない。

妥協策として、毎料理後の余熱で少しずつ茹でていくことになった。それが、冒頭の片手鍋なのだ。この後、栗はめでたく茹で上がり、羨ましがる兄弟の視線の中、ドヤ顔で栗を一個食べた長男なのであった。(写真は、その栗が茹で上がるのをなぜか待っている長女)

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私の一冊

鳥山百合子

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「宇宙兄弟」 小山宙哉 講談社

ただいま33巻まで発売されている「宇宙兄弟」。自分の夢だった宇宙飛行士になった兄のムッタ、先に宇宙飛行士になっていた弟のヒビトの活躍や挫折、周りの人たちと関係を築きながら歩んでいくふたりの姿がグッと来ます。

「It’s a piece of cake!」

ムッタとヒビトを宇宙に導いてくれた天文学者シャロンが、自らの手術に向かう前に、月にいるムッタに送ったメール。「大丈夫!余裕です!」というような意味なのですが、この言葉は私の頭の片隅にもいつもあって、おまじないみたいな存在になっています。

楽しかったり嬉しかったり、悲しかったりもう嫌になったり、諦めたり怒ったり、人間はいろんな感情を持ちながら日々を送っています。ため息をつきたくなるようなとき、自分にはどうにもできないことがあるとき、

「It’s a piece of cake!」

大丈夫!きっと何とかなる。

自らに言い聞かせるようにこの言葉を呟くと、さっきより少しだけ、顔を上げられるようになるのです。

 

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土佐町ストーリーズ

地福寺のまないた坊主 (石原)

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地福寺は、東西両石原の境界の小高いところにあって、非常に清楚なところで、寺としては申し分のないところにあります。

この寺の初代住職に、古川という人がおりました。

この古川氏は、大変偉い坊さんだったそうです。古川氏は一人の弟子をつれていました。この弟子は、大変心の悪いやつで、主人を殺して金を取って逃げようという恐ろしい考えを起こし、常にすきをうかがってました。

そうとも知らず古川氏は、ある日用事があって、夜のうちに寺を出て東にむかって旅に出ました。その後をつけて来た弟子坊主が、筋川の前の橋の上で急に古川氏に向かって切りかかりました。

一大格闘が演ぜられましたが、何しろ一方は刃物を持っているからたまりません。弟子坊主は、この橋で切り殺し、川に投げこんで逃げるつもりをしていました。

古川氏も決死の抵抗をし、「助けてくれ」という救いを求めたところ、近所の人々に聞こえ、人が来て、ようやく助かりました。

すぐに医者を迎え、手当をしましたが、傷の全長が5尺(1尺=約30cm)にも及んだということですから、いかに格闘が激しかったかが想像できます。

幸い、あまり深傷でなかったのか、養生の結果、元の体になって、再び勤めができるようになったそうです。

これより、誰言うとなく、俎板坊主(まないたぼうず)というあだ名がついたと言うことです。

岩崎吉正(館報)

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みんなのアルバム

どじょうすくい

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これも和田亜美画伯のご実家から出てきた写真です。

またしても詳細は不明なんですが、

⑴町の若者たちで集まって

⑵どじょうすくいを踊っている(土佐町には「ちょんがり節」という伝統的な踊りがありますが、この写真のものはどじょうすくいである、とのことです。)

⑶左から三番目の人物は女装した男性です。

⑷その人物が和田亜美さんのお祖父ちゃんにあたる川田敏雄さんです。

⑸川田敏雄さんから右に2人目が、角淑子さん。

⑹淑子さんは敏雄さんの近所で同世代。

⑺2人とも土佐町土居の人。撮影場所も詳細は不明ですが、その近辺かと思われます。

 

ということぐらいはわかっています。もし詳細を知っている方がいたら、ぜひ教えてくださいね!

 

 

 

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土佐町ストーリーズ

台風がきた!

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「台風がきた!」

そう言いながら、ベランダにいた私のところへ飛び込んで来た5歳の娘。

ゴォォォォォー。ゴォォォォォーー。

横なぐりの雨が何百本ものまっ白い線となって、上からも横からもしぶきをあげる。

風に押されて横へ、横へ、横へ。

白い幕をゆっくりと引いていくようにあたりの風景を隠していく。

 

目の前の山の栗の木も柿の木も、杉も桜も竹もなんだかわからない木も、ぼさぼさになりながら枝をわっさわっさと揺らし、葉も草もあっちを向いたりこっちを向いたりひっくり返ったりしながら、なんとかみんな地面とくっついている。

「台風がきた!」

娘が顔を隠す。

ゴォォォォォー。ゴォォォォォー。

風が地面を這うようにうなり声をあげながら、山の向こうから追いかけてくる。

 

 

あの山のあの人たちは、みんなどうしているだろう。

 

 

あとからやって来た息子が外を眺めながら言った。
「明日は栗がいっぱい落ちてそうやな。」

 

息子はこの時期、毎朝、バケツと火ばさみを持って山へ栗を拾いにいく。

「今日は23個やった。」とか「いくつあったと思う?67個!」といつも嬉しそうにバケツの中身を見せてくれる。
明日はもしかして100個以上になるんじゃないだろうか。

 

屋根に叩きつける雨音で長女が「すごい雨やね。」と目を覚ます。
「明日早起きして、栗、拾おう。」そう言いながら眠った息子。
「台風が来た!」と走って来た娘。

子どもたちは、こんな台風の日の風も雨も音も、風に揺れていた栗の木のことも、きっと心のどこかに住まわせながら大きくなっていくのだろう。

 

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私の一冊

西野内小代

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「日本国憲法」なのだ! 赤塚不二夫・永井憲一 草土文化

一見、子ども向けのように見えますが、十分に一般対象として活用できます。

後半にはおふたりの対談も掲載され、資料は振り仮名付きなので子どもたちも読むことが可能です。

社会科で習った程度の微々たる知識しかないので、入門書としてとても手に取りやすい本のように感じました。

西野内小代

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土佐町ポストカードプロジェクト

2018 Sept.

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翠ヶ滝・能地 | 氏次大和

 

土佐町の秘境、翠ヶ滝(みどりがたき)。
山深く入っていった能地という地域にあります。写真中央に流れる一筋の滝が見えるでしょうか。
 翠ヶ滝は日本でもなかなか珍しい「裏見の滝」。滝の裏側にある窪地にお堂が建っていて、滝の裏からの風景が臨めます。お堂を覗いているのは氏次大和くん。

 ここは昔から地元の方の信仰の地であったようで、以下のような空海伝説も残っています。
弘法大師の申し出をこんなに無下にするお話も珍しいんではないでしょうか?少し笑ってしまいました。

 

翠ヶ滝 (能地)

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土佐町ストーリーズ

翠ヶ滝 (能地)

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翠ヶ滝(みどりがたき)

 

能地にあって、滝の半ばに弘法大師の観音像があったと伝えられていた。

緑ヶ滝ともいう。

昔、弘法大師が四国霊場を開くためにこの谷筋にやってきた。

お大師さんが

八十八谷ないと霊場を開くわけにはいかんが、婆さん、あんたの一谷を譲ってくれまいか

と言うたそうな。すると婆さんは

この谷は昔から作(さく)をしてきた所(く)で、これをやったら食べるに苦労する

言うて譲らなんだそうな。そんで一谷足らんで霊場はできなんだそうな。

町史

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笹のいえ

子だくさん

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四人目の誕生で、6人家族となった我が家。

子どもの数が二人三人は珍しくないこの地域でも、四人となると「子だくさん」と言ってもいいかもしれない。

うちの奥さんは5人兄弟の一番上で、結婚当初から「子どもはたくさんほしい」と言っていた。一方、僕は妹がひとりと両親の間で育ったので、「家庭に子どもがたくさんいる」状況がピンとこなかった。家族が多くなれば、子ども一人ひとりに掛ける時間が少なくなるし、経済的な負担も大きくなるだろう。そもそも、世の中にこれだけ人が溢れて、環境問題やら自然破壊やら言われているのに、僕らがこれ以上人口を増やさなくても良いんじゃない?なんて考えもあった。

それでも、田舎で暮らすようになって、子どもたちが伸び伸び成長できる環境ならと、ひとり、もうひとりと家族が増えていった。

ある時、奥さんにふと「どうして子どもがたくさんほしいの?」とたずねたことがある。

彼女はうーんと考え、自分は弟妹が多くて楽しいからとか、年老いたとき寂しくなさそうとか話した後、

「それから、全員無事に育つか分からないじゃない?」

と言った。

あまりにも自然に口から出た言葉だったので、ふーんっと相槌を打った僕だが、頭の中で反芻して、え?と彼女の顔をもう一度見た。

自分の子どもが無事に育たないかも、なんて想像したこともなかった僕にとって、結構衝撃的な言葉だった。でもそのあと、いつか話した彼女との会話が頭に蘇ってきた。そうだ、彼女は親しくしていた身近な親類を亡くした経験があるんだ。

昨日あった命が今日無くなるという出来事は、時に大人でも受け容れ難い。でも、考えてみれば、これだけ医療が進んだ現代でも生まれてこない命があり、事故や病気で亡くなる命もある。近しいひと、それが自分の子どもであれば、その悲しみは壮絶だろう。だからと言って、子どもが何人もいれば安心だ、ということにはならないが、彼女の気持ちは理解できる。

子どもが多いと、洗濯物は増えるし、部屋は散らかるし、布団は狭くなる。けど、子だくさんとなった渡貫家の理由のひとつは、そんなところにある。

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くだらな土佐弁辞典

ひょっと

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ひょっと

【副】もしかしたら、ちょっと

例:ひょっと、これひょっとこやない?

(もしかしたら、これひょっとこではないですか?)

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