2021年8月

 

 

山の人、町の人。先祖代々住む人、都会から越してきた人。猟師さん、農家さん、森の人、職人さん、商店さん、公務員…。

人口4,000人弱の土佐町にはいろいろな人がいて、いろいろな人生があります。

土佐町のいろいろな人々はどんな本を読んでいるのでしょうか?もしくは読んできたのでしょうか?

みなさんの好きな本、大切な本、誰かにおすすめしたい本を、かわりばんこに紹介してもらいます!

(敬称略・だいたい平日毎日お昼ごろ更新)

私の一冊

古川佳代子

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「ガチガチの世界をゆるめる」 澤田智洋 百万年書房

物心ついてから今に至るまで一度もたりとも運動が得意、あるいは楽しいと思ったことのない「運動能力不自由」者、それが私です。

大きいのもちいさいのも、どんなボールとも仲良くできないから球技は全滅だし、早く走れず高くも飛べず強くもないですから、やってみたいスポーツはありません…。でも、この本にでてくるゆるスポーツならやってみたいかも!?

500歩しか動いてはいけない5対5でやる「500歩サッカー」。はらぺこあおむしみたいなイモムシウエアを着て行う「イモムシラグビー」。中央にブラックホールが空いたラケットで卓球をする「ブラックホール卓球」…。どれもとても楽しそう! 自分の得意なことや強みもたいせつだけど、強み以外の「何気ない自分らしさ」も大切ですよね。「私これできません」と堂々と言える世界ってきっと誰にとっても居心地がいいはず。まずは自分のガチガチの常識を緩めると頃から始めてみようと思います。

作者の澤田さんは、「あなたが生まれなければ、この世に生まれなかったものがある。」などのコピーを世にだしているコピーライター。そして、世界ゆるスポーツ協会代表理事、(一社)障害攻略課理事として福祉領域におけるビジネスのプロデュースなども手掛けているそうです。

 

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土佐町ストーリーズ

順太地蔵 (南川)後編

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(中編はこちら

ただちに名主に報告され、順太の国元へも死体発見は知らされた。

役人は その翌日検死のために部落に来たが、よそ者の死に対する村役人の処置は極めて冷酷なものであった。

何処かで仕事中事故死していた順太の死体がたまたまの出水に流れて来たと断定して帰っていった。

村人達も順太の死因についてはガンとして口を割ろうとしなかった。やがて阿波からは母親お清が、順太の姉と共に死体引取りにやって来た。

そして、現場にコモをかむされている順太の死体に涙と共に対面した。この秋には可愛いい一人息子の順太にはお花と言う美しい嫁が 来る、その日を一日千秋の思いで指折り数えて待っていたのは順太にもまして此の母親ではなかったろうか。

焼野のきぎす夜の鶴はえば立て立てばあゆめの親心、世に子を思わぬ親があろうか。

順太の死因が他殺である事は一目遺骸を見た時歴然としていたし、血を分けた可愛いい吾が子の死因が、此の母親にわからぬ筈はなかった。

が、しかし村役人の検死もすんだ今殊に異郷の地で、女ばかりの彼女達には今更 その死因を追求することも出来なかったのであろう。唯、彼女の心中は悲しみと憤りで一杯だったのであろう。

涙も枯れ果てたお清母娘は順太の遺骸を箱におさめた。そして彼女はき然として言った。「順太 くやしいであ ろうが お前の遺体は 此の母が連れて帰ってやるが、順太お前も男なら魂魄、永久に此の地に留まりかたきをっ 」と言いおいて、その翌日阿波屋の人夫に付添われたお清母娘は、順太の遺骸と共に阿波に帰って行った。

一方、お花は順太が若者に殺されたその夜から床についてしまった。玄安夫婦の優しいいたわりの言葉にも口を割ろうとはせず、寝床で泣いていたが、お清母娘が阿波に帰ったその翌日、丁度、両親の留守中にお花の結婚準備に母親の作ってくれてあった白無垢赤無垢の嫁入衣装を身にまとい自宅より約四百メートルも上方の大きい石の上に上り踊り始めた。

彼女は順太恋しさに遂に発狂したのである。

折柄、初秋の夕日をあびて岩頭に順太の名をよびながら踊り狂うお花の姿は、遠く対岸の農家からも見られたが、村人達は二目と見ることができなかっ たという。

そして三日目精魂つき果てたお花は遂に岩頭に倒れ息絶えていたのである。以来この石を里人達は不登の石と呼び、百三十年の星霜を経た今なお、部落の人達はこの石に登る事はタブーとされている。

現在も植林の中にお花の悲しみを秘めた石はそのままの姿で、お花の悲恋をいたむかの様に残っている。

さて、その後、此の部落には不幸な事が続いた。ある時は木材伐採の人夫が仕事中に大けがをして死んだ。又ある時は昨日まで元気だった若者が発狂して廃人同様に成った。

ある家では若者が入浴中に頓死したり、川に流れた子供の水死体が丁度順太の遺骸が発見された川原の砂で発見された。

こうした不幸に見舞われた家の人達 は、お寺さんや神官さんをやとって御祈騰をした。その都度、順太のたたりだと神仏からのお告げがあった。

里人達はこれを順太狸と呼んで恐れおののいていた。そして、こうした不幸に逢った家では順太の霊を慰め冥福を祈って石の地蔵さんを作って立てたと言うが、依然としてくる年もくる年もこうした不幸な出来事は絶えなかった。

そこで名主は部落の主だった者を集め部落で順太の供養をすることに成った。

年号も変わって安政五年七月二十五日部落民は戸毎にたいまつを作り瀬戸川と吉野川の合流点に集り、あかあかと燃えるたいまつを川に流し念仏を合唱して順太の霊を慰めた。

その時部落で建てたのが今に刈谷橋に残る石の地蔵さん。以来星移り時は流れ て百二十有余年、今では順太のたたりも無く平和な部落のいとなみは続けられている。

そして、この悲しい恋の物語りも部落の人にさえ忘れ去られようとしている。

以上が順太お花にまつわる悲しくも哀れな物語りである。この物語りは昭和二十年の秋、足掛け三年目に召集解除されて帰宅した私が当時九十歳近くで病の床にあった部落の古老山中福太郎翁から聞いた話を要約したものである。

この福太郎翁は昭和二十五年に九十四歳で亡くなっているが、この翁の記憶に残っているのは安政五年に部落で供養した時のたいまつ流しに行った事、帰りにはこの下の清七ぢいに背負ってもらって帰って来た事」 であったという。なお順太以外の名は必ずしも実名でないとのことである。

 

町史 竹政一二三

 

 

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私の一冊

西野内小代

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「歴史探偵忘れ残りの記」 半藤一利 文藝春秋

昭和史の執筆者、お堅い学者さんという認識しかなかったのですが、こんなにユーモアに富んだ素敵なエッセイを書かれていたのですね。

このエッセイの完成見本を見る事なくお亡くなりになられたそうです。

人生の最終章までキッチリとケリをつけて逝かれた素敵な生き方です。

絶筆となった「あとがき」に「乱読のお蔭で物書きになった。乱読が脳みそのコリをほぐすのに役立つ薬」と述べられていて、ただただ乱読のみの私は少し胸をなでおろした次第です。

 

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4001プロジェクト

伊藤明導・美恵 (平石)

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「湖畔りんご園」を営む伊藤明導さんと美恵さんのご夫婦です。

湖畔りんご園は土佐町平石地区にあり、様々な種類のりんごを栽培している農家さんです。

以前、高知県西部でケーキ屋さんをやっている知人も、「湖畔りんご園のりんごでケーキを作りたい!」と言ってはるばる仕入れにやってきていました。

三代に渡るりんご園のお話も近々ご紹介したいと考えています。

蛇足になりますが今回伺った理由は、写真の背景にちらっと写り込んでいる家屋、この伊藤さんのご自宅が、ダム建設時に水没地域であった柿ノ木部落から、そっくりそのまま移築したものであったということを聞き及んで、その実物を見せていただこうということで訪問させていただきました。

現在、柿ノ木地区は大半がダムの水の下にあるという事実。そして昔は柿ノ木にあったこの日本家屋が、現在では平石に建っているということに、不思議な巡り合わせを感じます。

 

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私の一冊

古川佳代子

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「男の子でもできること~みんなの未来とねがい~」 国際NGOプラン・インターナショナル文 , 金原瑞人訳 西村書店

男女平等といわれて久しいですが、家で、組織で、社会で、男の子と女の子の扱いはまだまだ違います。でも、一度刷り込まれた価値観を変えるのはなかなか大変なこと。世界を変えるなら、今を生きる男の子たちの価値観こそ大事!と、希望を託して生まれた写真絵本です。

「男の子に生まれてよかった」と思うことがあったら、「あ~、女の子でなくてよかった」と思うことがあったら、ちょっと待って!

その「女の子」は妹やお姉さんかもしれないし、お母さんやおばあさんだったかもしれないよ。自分ができることなら、妹にもお姉さんにも、あるいは未来の自分の娘にもできるような社会にしたいと考える男の子が増えることが、世界を変えることにつながるのですよね!

 

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読んでほしい

土佐あかうしの出産

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ロープで括られた前肢と鼻先が既に見えていた。

「ヨイショ!ヨーイショー!」

掛け声とともに、子は母牛の体内から引っ張り出された。

「はい、できたー!!」

どさっという音とともに藁が散らばった地面に落ちた子牛は、うっすらと目を開けていた。褐色の身体はびしょびしょに濡れ、下半身には白い羊膜が張り付いている。子牛は横たえたままぐったりとしていて、息をしているのかしていないのか、わからない。

畜産農家・上田義和さんは、子牛の鼻にかかった羊膜を取り除き、鼻孔にぐりぐりと手を入れた。呼吸を確保するためだ。子牛は虚ろな目をしている。上田さんが頭と体をゴシゴシふいてやると、子牛は頭を持ち上げ始めた。

「できた、できた!」(土佐町では生きものが産まれたことを「できた」という)

「もう大丈夫じゃ」

安堵した空気が広がった。

産まれた子牛の前肢の先は、きれいな黄色だった。

 

 

 

土佐あかうしの日本一の生産地、土佐町

土佐町は、土佐あかうしの日本一の生産地。土佐あかうしは土佐褐毛牛ともいわれ、高知県の山間部を中心に飼育されている褐色の毛色をした牛のことである。年間300~400頭しか出荷されていない貴重な品種で、赤身が美味しくあっさりした肉質で年々人気が高まっている。

土佐町にはかつて100軒ほどの畜産農家があったが、現在約30軒ほどに減少。各農家は日々、丹精込めて土佐あかうしを生産し続けている。

上田さんは、土佐あかうしの繁殖農家だ。繁殖農家は母牛を飼育し、交配させて子牛を産ませ、それを販売する農家のこと。現在、上田さんは14頭ほどの母牛を飼育している。

また、その子牛を購入して1~2年かけて飼育し、肉牛として出荷する農家は肥育農家と呼ばれる。

 

9ヶ月と10日

牛の妊娠期間は9ヶ月と10日といわれている。上田さんの牛舎には、人工授精した日から数えて9ヶ月と10日後の日付が黒板に書かれ、出産予定日がいつなのかすぐに分かるようになっている。

今回出産した母牛の名は、「153さち」。牛は、その牛の系統で名付けられることが多い。今回、子を産んだ母牛は、さちという系統の153頭目の牛だ。

産後、母牛と子牛は常に共に過ごし、子牛は母乳を飲んで育つ。子牛が生後2ヶ月半になると、母乳は朝晩だけになり、部屋が分けられて乳離れの準備が始まる。生後3ヶ月半頃、完全に母乳から離された子牛は、親と同じ餌を食べ始めるという。上田さんは、藁とカヤ(ススキ)、畔の草など、野生の草を与える。後からソルゴと呼ばれる高きびを加えるそうだ。餌は農家によって異なる。

母牛は、産後40~60日で再び発情を迎え、「種付け」と呼ばれる人工授精が行われる。母牛は、子を産むためにここにいる。

 

生きものとの日常

話は出産に戻る。

「153さち」は子牛を産み落とすと、すぐに立ち上がった。お尻からは鮮血の混じった羊膜がだらりとぶら下がっている。

母牛は子牛の全身をベロベロと舐め始めた。そうやって「ねぶって」、体を乾かすのだそうだ。母牛が子牛のお尻をねぶると、子牛が腰を浮かして立とうとするが、ぶるっと震えてひっくり返る。そしてまた、母牛はねぶり続ける。

子牛は、くの字に曲がった足を懸命に伸ばそうと繰り返していたが上手くいかない。しばらくすると疲れたのか、地面から上半身だけを起こしたまま、立とうとするのを止めてしまった。

 

上田さんは「仕事行くけ」と仕事に出かけていった。

上田さんにとって、土佐あかうしの出産は特別なことではなく日常なのだ。

 

無事に産まれる牛ばかりではない。今まで死産した牛もいるという。母牛が真夜中に産気付き、上田さんは子牛を引っ張り出そうとしたがうまくいかなかった。応援を頼もうにも真夜中では頼みにくい。早朝、知人が到着した時には、もう手遅れだったという。

「生きものじゃけ、うまくいかんこともある。大変よ」

上田さんはそう言っていた。

 

この日産まれた子牛は、夕方、立ち上がった。

 

 

 

肉になる

産まれた子牛は、およそ8ヶ月後、土佐町で開かれる牛の市(嶺北畜産市場)に出される。土佐あかうしを売買できる市はここだけなので、牛の市には県内外から多くの畜産農家が訪れる。

子牛は肥育農家の元で1~2年飼育され、肉になる。

子牛がメスの場合、繁殖農家に買われて子を産む牛として育てられる場合もあるそうだが、今回産まれた子牛はオス。オスは肉になる。

値段はその時々で変わるが、約40万〜60万円で売買されることが多い。

牛舎のそばに上田さんが半日がかりで刈った草が干されていた。柵30メートルほどに渡って隙間なく立てかけられていたが、この量で3日分。暑い夏に大量の草を刈り、この作業を日々継続するだけでも大変な労力がかかる。牛を育てるための餌代は、1頭当たり約40万円、他にも手入れや世話が必要になってくる。

「餌代が高いけ、なかなか大変よ。日に換算したら、仕事があればお弁当を下げて仕事に行く方がマシよ」

上田さんは畜産の他に、農業や土木の仕事をして生計を立てている。

「牛を市に出すのは、どうってことない。売らないと餌代もいるし、かわいそうだと思ってたらやれん」

かわいいだけじゃ済まない話だ。

 

 

 

10日ほど経ってから、もう一度子牛を見せてもらった。子牛はスクっと立ち上がり、元気よく母牛の乳房に吸い付いていた。この子牛が8ヶ月後、市に出される。

この子牛が育つ間にも、出産を控えた他の母牛が新たな子を産む。上田さんは産まれた牛を育て、市に出す。命の営み、育てる人の営みが繰り返されていく。

上田さんは70代。「同じ繁殖農家の友人が母牛を手放した。もうやめると。これでまた一軒、農家が減る。土佐町には若い世代の農家もいるが自分も70代、どこまで続けられるか…」

汗をかき、葛藤しながら、町の産業を支える人たちがここにいる。

 

 

 

上田義和 (中尾)

 

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私の一冊

鳥山百合子

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「スティーヴ・マッカリーの『読む時間』」 スティーヴ・マッカリー 創元社

ベンチに座って、車の中で、窓辺で、人は読む。

美術館の入り口で、歴史的な寺院の前で、芝生に寝転がって、商売の合間に、人は読む。

地下鉄で、カフェで、土の上に座って、ベットの上で。太平洋上空でも、雪の中ででも、料理をするお母さんの隣でも。

列車を待つプラットホームで、布と木の枝でできた家の中で、人は読む。

人はなぜ読むのだろうか。写真を一枚ずつ見ていて、しみじみと思う。それはひとつの楽しみであり、知らなかったことを学ぶためであり、時には現実逃避することでもあり、どこか祈りにも似た行為なのかもしれない。世界中の人々が同じように読むという行為をするのが興味深い。

この写真集の冒頭に、こんな言葉がある。

『何かを読むと、私たちは自分がひとりではないことを知る。C・S・ルイス』

私は本を読むこと、活字を読むことが好きだ。今まで知らなかった世界、新しいことを知るのは楽しい。前向きな時だけじゃなく、悩んだ時、迷った時、時には暇で何もすることがなくて本を開いてきた。そんな時はいつも、ちょっとした希望のようなものを探しているのだと思う。本の中に自分の「片割れ」や「相棒」を見つけて安心もした。まだ言葉にならない自分の気持ちを、言葉にしてくれていると感じることもある。

自分はひとりではない。人間はひとりではない。

そのことを忘れないでいたいと思う。

 

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山の手しごと

夏のおにぎり

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夏!

毎日蒸し暑く、食欲がわかない…。そんなこと、ありませんか?

そんな時のおすすめは、何といっても焼きおにぎり!

土佐町は米どころ。美味しいお米をさらに美味しく、夏のごはんの食べ方です。

これは、青紫蘇を使って作る焼きおにぎりです。暑い盛りが旬の青紫蘇としょうゆのおこげがうまく合って、食欲がないな〜という時にもパクリと食べられます。名付けて「夏のおにぎり」です。

ポイントは、その焼き方。ジリジリと、弱火でじっくりと焼きます。「イラレ」(土佐弁で「せっかち・気が短い」の意)はいけません。あくまでも「ジリジリ」です。

 

【夏のおにぎりの作り方】

①手を濡らし、ひとつまみの塩を広げ、熱いごはんをのせて握る

②フライパンを熱してごま油をひき、握ったおにぎりを焼く。ジリジリと焼き、焼き色が付いたらひっくり返す。(トングを使うと返しやすいです)

③両面に焼き色がついたら、しょうゆを適量塗り、またジリジリと焼く。(香ばしい香りがしてきます)

④青紫蘇の葉でおにぎりの両面を挟み、海苔を巻く

 

皮を剥いたにんにくを漬けた「にんにくじょうゆ」、刻んだ生姜を漬けた「生姜じょうゆ」を塗るのもおすすめです。

最近のお弁当は、毎日「夏のおにぎり」ですが、ちっとも飽きません!

それほど美味しい「夏のおにぎり」。ぜひ作ってみてください!

 

 

 

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