(牛と共に生きる その1)
一棟目の牛舎
1974(昭和49)年、閉山した大川村の白滝鉱山から払い下げがあると聞き、倉庫を購入した。柱や屋根を解体してトラックに積み、土佐町へ運んで移築した。現在の川井畜産の入口にあたる場所、相川橋を渡ってすぐ右側の牛舎がそれにあたる。
「主な建物が白滝の倉庫で、平屋じゃったのを二階建てに改造して。牛が入り切らんなったらいかんき、運動場付きにして屋根をして。牛舎うしろの鉄骨を継ぎ足して、前のひさしの部分は、自分くの山の木を親と二人で担いで出して、製材所に持っていって」。これが初めて建てた牛舎だった。
1979(昭和54)年、新たに青い屋根の牛舎を建てた。1981(昭和56)年には鉄骨の牛舎を。順次増える頭数に合わせて、規模を拡大していった。
1981年2月、息子の川井高廣さんが生まれた。高廣さんが29歳の時である。

牛が食べるもの
牛の主食は粗飼料と呼ばれる繊維質が豊富な牧草や稲わら。これだけでは栄養素が不足するため、トウモロコシや大麦、ミネラル等をバランス良く配合・加工した配合飼料を与えることが一般的だ。高廣さんが土佐あかうしを育て始めた頃、現在のような配合飼料はなかったそうだ。
配合飼料は家畜の発育段階に合わせて作られている。牛用の場合は肉牛用と乳牛用がある。肉牛用の飼料は「繁殖用」と「肥育用」があり、「肥育用」は前期、中期、後期に分かれる。それぞれの目的や時期で飼料の内容が異なる。
川井畜産では、肥育牛の前期では高タンパク低カロリーの乾草を主体とした飼料を与え、牛の第1胃を発達させてしっかりとした「腹づくり」をする。内臓や骨格をしっかりと作り上げ、筋肉をつけていく大事な過程だ。前期で失敗したら、あとの生育に大きく影響してくる。
中期からは高カロリーの濃厚飼料と稲わらを与え、仕上げに向けて少しずつ濃厚飼料の割合を増やしていく。余分な脂がつかないように餌の量を考え、じっくりと育て上げる。
栄養状態が良すぎると余分な栄養素が肝臓へ蓄積してしまう。贅沢なものを多く食べさせたらいいという話ではない。そのさじ加減が牛の肉質を変える。牛を育てる農家の腕の見せ所なのだという。
モーニング討論
高廣さんには、高知県窪川で牛を飼う同期の友人がいた。市場に肉用牛を出荷したら、必ず一緒に喫茶店のモーニングに行った。「当時は屠殺場の中に入れてくれて。割った牛の枝を見て、俺の牛は枝のここにサシがでちゅう、これはこういうことやな、こうやったらこうなるぞ。昼までぎっちりその話をして。大事な情報交換の場だった。それがあって今があるんですよ」
「枝」とは「枝肉」のこと。肉用牛の皮や頭、内臓や四肢や尾を除くと、肉が木の枝のような形になることからそう呼ばれる。市場取引の場では枝肉の重量やサシの入り具合、肉の色など肉質によって格付けされる。
育て上げた牛を殺すことで初めて分かる肉質。数年間の成果が試される。「俺はこう思うってみんなが意見を出し合うてよね。県の研究員とも色々話しながら、この時期が一番大事だぞ、この時期にこういう餌の与え方をしちょって、牛がこういう形になった時はその時期を過ぎたらこの餌を与えたらいい、とか。高レベル高単位のものをずっとやりぬけて牛が育ってサシが出るかっていうと、そんな問題じゃないがですよ」
「血統的にずば抜けたやつは問題ないけど。普通の流れの牛は前期12ヶ月まではこれ、20ヶ月まではこれ、という流れで仕上げていく。やり方は色々、みんな個性があってね。みんなある程度勉強してやっちゅう」
どうしたらえい牛が育つのか?この時期はこの餌。あの時期はあの餌。この流れでいったら、こういう牛になる。実践を繰り返しながら、「えい牛」が育つ一連の流れが少しずつできていった。



