そそろがたつ
意味:とげが刺さる
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2月22日と23日は、今まで話し合ってきたことや訪れた場所を元に、絵本のお話の軸になる絵の数々を描いた下田さん。
今までぼんやりとしか見えていなかった絵本のイメージが、ついに輪郭を現し始めました!
まだ下絵の段階ですが、良いものになるだろう予感がしています。
最初にもお伝えしましたが、今製作している土佐町の絵本は、
・10年20年と長く読み継がれる絵本
・子どもも大人も楽しめるような内容でありながら、深く大事なものを伝えるような絵本
・土佐町の方々が「これは自分たちの絵本だ」と心から感じられる絵本
そういったものを目標にしています。
「2年前に初めて土佐町に来て、土佐町の人たちの絵を描いた時から、ちゃんと(今に)つながっていた。絵本というかたちでつながってよかった」と下田さんが話してくれました。
その時は気づかなくても、今、目の前で向き合っていることはきっとどこかにつながっていく。その「どこか」にたどり着くことが今からとても楽しみです。
お話を聞かせてくれたみなさん、ご協力いただいたみなさん、「下田さんや!」と飛び跳ねるように迎えてくれた子どもたち…。本当にありがとうございました!
土佐町の絵本、楽しみにしていてくださいね!
2020年2月21日、本日も快晴なり!
宿泊先の瀬戸コミュニティーセンターを後にし、能地地区の翠ヶ滝(みどりがたき)へ向かいました。
昔、弘法大師空海が霊場を開くため訪れたという伝説が残る翠ヶ滝。(「土佐町史」と「土佐町の民話」にそのお話が掲載されています)
翠ヶ滝
梅が咲き、ふきのとうを足元に見つけながら向かった翠ヶ滝は、お堂の上の滝口から弧を描くように水を落とし、その下を潜り抜けるように歩くことができます。
滝を抜け、急な石段を登って行くと、狭い洞窟のような場所に入って行きます。行き当たった先には翠ヶ滝を臨む狭い空間があり、小さな祠がふたつあります。頭を屈め、大人が2〜3人立つのがやっとというその空間を空海が訪れ、滝を見つめていたのかもしれません。
これは「りゅうのひげ」と呼ばれる青い実。土佐町の多くの子どもたちが知っています。昔は竹で作った豆鉄砲の玉にして飛ばして遊んでいたそうです。なんて綺麗な青色なのでしょう。下田さんの新作絵本「死んだかいぞく」の海の色に似ています。「すごく綺麗な青だね」と下田さん。りゅうのひげの葉はひょろりと細長く、地面に群れるように生えています。葉が龍のひげのように見えるから、この名前がついたのでしょうか?
次は上津川の高橋通世さんのお家へ。山の暮らしの達人である通世さんから、山のことや猟についてのお話を聞きました。通世さんは自ら捕らえたイノシシで作ったしし汁とすき焼きをテーブルに用意して迎えてくれました。
お土産にヒヨドリと通世さんが収穫したはちみつをいただきました。ヒヨドリは「山男の味やきね!」とのこと。
高橋通世さんと
帰り道、どんぐりに立ち寄りました。下田さんは、どんぐりのメンバーさんのシルクスクリーンの技術がどんどん上がっていることを、いつも楽しみに応援してくれています。今年のデザインも考え中です。どうぞお楽しみに!
(「下田昌克さんがやってきた!2020年(5.6日目)」に続く)
2020年2月18日より、土佐町の絵本を作るため下田昌克さんが土佐町に滞在しています。
2月2o日、3日目。
まず地蔵寺立石へ向かいました。地蔵寺地区で育った山下太郎さんが「子どもの頃、あの岩のてっぺんまで登って飛び込んだ」と案内してくれました。
岩の元まで泳いで行って、クライミングさながらに岩を這うように登り、大きな岩と手前の岩のわずかな隙間に飛び込んだのだそう!
「手前の岩の下はくぼんでいて、魚がいっぱいおった」「岩の裏にはでっかい蜂の巣があって、シシバチがブンブンうなって飛んでいた。その横をそ〜っとよじ登り、飛び込んだ」
浅瀬もあり、飛び込めるような深いところもあり、この場所で遊んでいた子どもたちの歓声が聞こえてくるようでした。
地蔵寺ふれあいキャンプ場へいき、五右衛門風呂を見せてもらいました。地蔵寺地区の方たちが作った手作りのお風呂で、焚き口の横には薪が積んであります。家のお風呂が薪風呂の家もまだ多い土佐町。このお風呂も絵本に登場するかも…?
午後は出版会社の方たちとお会いしました。印刷の手法や絵本の形など、どうしたら面白くて楽しいものができるかという視点で話が進みます。その上で「こういうやり方もできると思う」とアドバイスをしてくださるので、へえー!なるほど!と思うこともたくさんありました。
土佐町小学校の放課後子ども教室へ。
2年半前に下田さんと一緒に絵を描いた子どもたちもいて、そばに走り寄ってくる子どもたち。皆、大きくなった!今は3年生になっている子どもたちは、大きくなった分、ちょっと照れ臭そうでした。
子どもたちに絵本の中に載せたい山の動物や、土佐町の好きな場所を教えてもらいました。
ガマガエル、たぬき、うさぎ、イノシシ、へび…。
次から次へと飛び出します。元気いっぱい1年生が、たくさんの話を聞かせてくれました。
この町の「本物」をたくさん味わいながら育っていってほしいと子どもたちの顔を見ながらあらためて感じました。実際に会った人、実際に行った場所、実際にあった出来事から感じること…。本物に勝る体験はありません。
子どもたちが聞かせてくれたことが絵本にどんな風に現れるか、楽しみにしていてくださいね!
毎年、伝統行事「虫送り」が行われている宮古野地区へ。田んぼの間に立つ鳥居を通り、大きな2本の杉を見上げます。「この場所はイヤシロチやきね」と言っていた人がいました。イヤシロチとは「土地の気の流れがいいところ」という意味だそうです。何だかわかるような気がします。
昔はそういった場所に神社やお宮を建ててきたのだそうです。
夜は、宿泊先である瀬戸コミュニティーセンターへ。黒丸地区のお母さんが作ってくれたゼンマイの煮物やお漬物、美味しいお鍋…。いつも温かく迎えてくださって感謝しています。ありがとうございます!
こういった出来事が絵本の中にどのように編みこまれていくのでしょうか?
本当に楽しみです!
(「下田昌克さんがやってきた!2020年(4日目)」に続く)
2020年2月18日より、土佐町の絵本を作るため下田昌克さんが土佐町に滞在しています。
ちょうど1年ほど前からスタートした土佐町の絵本作り。
10年20年と長く読み継がれる絵本。子どもも大人も楽しめるような内容でありながら、深く大事なものを伝えるような絵本。土佐町の方々が「これは自分たちの絵本だ」と心から感じられる絵本。そういったものを目標にしています。
2日目の今日、朝から陣ヶ森へ向かいました。天気は快晴。山の木々の枝からこぼれ落ちる雪が静かな音をたてるたび、雪のかけらがキラキラと舞い降りていきます。空を見上げ、目の前に広がる山並みを見つめていた下田さん。
青空に、まるで龍のような雲が現れたのには本当に驚きました。(この龍が絵本に登場するかも…?お楽しみに!)
そして高峯神社へ。
凛と澄んだ大気が、体の奥へ奥へと届いてくるようでした。高峯神社本殿の階段手前に位置する手水舎の水は、厚く凍りついています。
本殿の亀や鳥の彫刻はいつ見ても素晴らしく、この山奥で先人たちが積み上げた仕事の数々はいつも気持ちを新しくしてくれます。
町へ戻る道の途中、峯石原の薬師堂で福寿草まつりが開かれていました。
推定樹齢700年という乳イチョウの元には、「幸せを招く」といわれる福寿草たちが光を浴びながら空を見上げていました。峯石原地区の皆さんが山に咲く福寿草の株を少しずつ移植し、増やしてきたのだそう。
昔、薬師堂には土俵場があって、道の方へ桟敷を出したりとても賑やかだったそうです。
琴の生演奏を聴きながら、手作りのぜんざいや「きぬかつぎ」と呼ばれる茹でて炭で焙った里芋をいただきました。しみじみと本当に美味しかったです。
「きぬかつぎ」をご馳走してくれた仁井田耕一さんと
薬師堂の前に高峯神社に行ってきたというと「それはご利益がある!」と言って見送ってくださいました。ありがとうございます!
午後からは青木幹勇記念館記念館の田岡三代さん、西野内小代さんと絵本の内容について話し合いました。
土佐町ならではのあれこれがどんどん出てきて話が広がり、その話を元に下田さんは色鉛筆で絵を描いていきます。イメージが形になって現れるとさらに話が膨らんでいきます。
そして、夜は長野商店さんへ!
長野静代さんがさば寿司と皿鉢料理、鍋を用意して迎えてくださいました。
長野さんの皿鉢。手作りのこんにゃく寿司、羊かん、さば寿司。美味しかったです!
昨日と今日の2日間、絵本に描きたいこと…土佐町の先人たちが重ねてきた四季折々の暮らしや土佐町にある風景を話し合ってきました。言葉として現れたひとつひとつは、これからも土佐町に在り続けてほしいという願いでもあるのだと気付きました。
「2日間話してきたことは、過去と今から拾いあげたもので作られてるなあと思う。この町の今までの歴史の中で伝わってきた話、この土地ならではの話、このままなくなっていくかもしれないことを集めて、新しいこれからとして伝わっていくことが一番の目的なんじゃない?」と下田さんが言いました。
それが土佐町という土地の絵本として作る意味であり、先人たちから受け取ったものを今の私たちが後世へ引き継いでいくこと…。そのかたちのひとつになれたらと考えています。
今まで見えるようでまだ霧の中にあった土佐町の絵本が、少しずつ姿を現し始めました。
明日はどんな出来事と出会いが待っているでしょうか?
とても楽しみです!
さて、ベンチの話の続きです。
けっこう前(2019年3月頃)の話になってしまうのですが、最初のモデルとなるひとつを、町の職人さんである川田康富さんに作ってもらうお願いをしました。
康富さんは板金が本業の職人さんですが、木材もやり革もやるというオールマイティな人。
一緒に世の中の木製ベンチをああでもないこうでもないと散々見て、意見を出し合い形を決めていきました。
なんせこれが大元のひとつとなるモデル。大事です。
作業中の康富さん
次々に仕上がっていく部材
様々な可能性を検討した結果、土佐町ベンチは6本足となりました。
組み上がったベンチ。左下にあるのはその後押した焼印(温め中)です。
練習の跡。ひとつだけのベンチに押す焼印はなかなかな緊張感です。
*焼印を押したこの木材、もしご希望の方がいたら差し上げますので、とさちょうものがたり編集部(info@tosacho.com)までご連絡ください!
見事に(?)押せた焼印。完璧!とは言わずとも成功かなとは言えそうです。
こうして完成した土佐町ベンチ。この一個ができたことで、大工さんたちが40個製作するという次の工程に進むことができました。
完成後、川田康富さんとご家族揃っての記念撮影。
*土佐町ベンチプロジェクト①の記事はこちらです。