2019年5月

土佐町のものさし

【番外編】ブータン・GNHレポート No.6 | タラヤナ財団

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 土佐町の新しい指針を作る過程を追う「土佐町のものさし」、今回は【番外編】として、GNHの産みの親であるブータンのGNHの現状を、とさちょうものがたり編集長である石川がレポートします。

 

6.  タラヤナ財団

 

タラヤナ財団は、2003年に発足した 公益法人(Public Benefit Organization)。設立者は王女の母であるアシ・ドルジ・ワンモ・ワンチュク。その運営にはブータンの王族が深く関わっています。正式名はタラヤナ・ファウンデーション(Tarayana Foundation)ですが、日本では「タラヤナ財団」と呼ばれることが多いようです。

タラヤナ財団ウェブサイト

 

首都ティンプーにあるタラヤナ財団の本拠地

 

タラヤナ財団の活動は驚くほど多岐に渡りますが、その全ての活動の根本にある考え方は「国民総幸福度」。

経済的・物質的な豊かさを闇雲に追いかけることを目的にしない「幸福度」による社会、つまり国民総幸福社会(GNH:Gross National Happiness Society)の実現がタラヤナ財団の大きな目的であり、そのための実践の機関なのです。

*念のために付け加えておくと、国民総幸福度は「経済的・物質的な豊かさは必要ない」という考え方ではありません。むしろその逆で、「経済的な発展」を成し遂げながら、全体として国民の幸福度を上げていく。経済的な価値を優先し過ぎて、コミュニティや環境など人間の幸福のために必要な要素を壊すことがあってはならないという考え方です。

 

その理念は一旦横に置いておいて、タラヤナ財団の具体的な活動の内容を聞きました。

 

タラヤナ財団のミーティングルーム

 

 

 マイクロ・ファイナンス(Micro Finance)

「貧者の銀行」と呼ばれるマイクロ・ファイナンス。バングラデシュのグラミン銀行とムハマド・ユヌスが2006年にノーベル平和賞を受賞したことで世界的な注目を集めましたが、タラヤナ財団も2008年よりマイクロ・ファイナンスを行なっています。

マイクロ・ファイナンスの特徴は、特に貧困層の小さなビジネスを対象にしていること。仕事をする意欲があるにも関わらず何らかの問題があり貧困に苦しむ個人に対して、年率7%の条件で小口融資を行なっています。

これにより通常の銀行では借り入れができなかった小規模農家や職人などが、小規模ビジネスをスタートして維持できるようになりました。貧困層に向けて補助金などを「与える」のではなく、彼らが自活しビジネスを回していけるような手助けをするという意味で、マイクロ・ファイナンスは本来の意味での「貧困の解決」に近い手段として期待されています。

蛇足ですが、マイクロ・ファイナンスは通常の銀行の借り入れと比較して、返済率が圧倒的に高いそうです。理屈はわからないのですが、感覚的には理解できるような気がします。

 

 家の建設 (Housing Improvement)

「家屋が最も重要な生活の基盤である」という考えのもと、タラヤナ財団は貧困地区の住環境を改善するプロジェクトを継続して行なっています。

現地調査を行い地域住民と財団本部をつなぐ橋渡し役として、現在13人の現地調査員(Field Officer)が現場で働いています。(その人数は全く足りていないので、近い将来には一県に一人の調査員がいることになるそうです)

その調査員が現地で聞き取り調査を行なった上で、家屋の状況に深刻な問題がある家庭を優先しながら、新たな家屋を建設するというもの。

その資金はタラヤナ財団が海外のファンドから調達しているそうです。タラヤナ財団とファンドが信頼関係を結び、長期的な視点に立ってタッグを組み進めているプロジェクト。

僕がタラヤナ財団を訪問した2019年2月は、2018年度のプロジェクトが完了し、資金提供者であるファンドに対してレポートを作成中というタイミングでした。

2018年度にはブータン全土で500軒の家を建設し、詳細な資金の使途をファンドにレポートする。その上でファンドから「公正で効果的なプロジェクト」と承認されれば、また来年度も500軒の家を建設するということです。

別の機会に、ブータンの家の建設現場を見ることがあったのですが、ブータンでは家の建設は親戚や隣近所が集まって行うのが一般的。

もちろんそこには指導的な立場で大工さんがいます。その現場には、土壁の専門家と木材の専門家の二人がいて、その二人が施主本人とその家族親戚を指導しながら建設していました。

その際、専門家以外のメンバーは、報酬の出る仕事というよりも「お互い様」といった感じで手伝いにきている。あっちの家を今年建てたので、来年はそっちの家を建てる、という順番でやっているという話を聞きました。

ですので、これは推測ですが建築資金というものはそれほど莫大なものではない。土壁の材料である土も現場の土を掘ってました。しかしそれも難しい貧困地帯に、きっかけとなる資金を提供して、現場では村の衆が集まりみんなで作っていくというやり方のようです。

基本的には財団やファンドから全てを与えるのではなく、「できることは自分たちで」。そしてそのきっかけとしての資金や人材を提供するという形です。

 

現在、現地調査員(Field Officer)が常駐している地域を指し示し説明してくれました。首都ティンプーのヘッドオフィスには  人のスタッフが働いており、加えて13人の現地調査員が地域で働いているのだそう。

「まだまだ人数が足りないので、特に地域調査員の増員に注力しています」

タラヤナ財団の話は少し長くなりそうなので、次回に続きます。

 

 

 

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私の一冊

藤田純子

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「せんねんまんねん」 まどみちお著,工藤直子編 童話屋

「あなたとお会いできてよろこんでいます」が伝わりますように、と実は少なからず揺れている心を、とりなし、とりなし笑っていると、偽善的な笑顔ではないかと不安が混じり、沈黙が苦しい。

忘れていたのに突然思いにのぼったようなことまで口をついて出て、あれっ?と苦笑い。

つられたように笑ってくれるあなたには、寛大な心をフルに使わせてしまいました。

私の大好きなまどみちおさんの詩に、

いわなかったことは
いったことの
たいがい いつも
なんばいかだ

それに いったことは
たいがい いつも
いうまでもなかったことだ

この詩がとても心にしみる。

先日新しい出会いがありました。

注:「あなた」とは、初めて会った娘の彼氏のことです。

藤田純子

 

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4001プロジェクト

水野和佐美・竹政禮子 (南川)

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南川での味噌作りの現場での一枚。

南川では冬の一時期にお母さん方が集まって、年に一度の味噌作りを行っている。

その名も「南川百万遍味噌」。これ本当に美味しいのです。

写真はその作業の中心的存在の水野和佐美さんと竹政禮子さんのお二人。作業中、少し息を抜いた時の一枚です。

 

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私の一冊

藤田英輔

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「伊賀の影丸」 横山光輝 秋田書店

【忍者忍術シリーズ第3弾】

驚くことばかりだね。
数十本の手裏剣を一度に投げる、とか、木から樹へ飛び移る動作が次第に速くなり終には見えなくなる、とか、修行を積めばできるようになるんですかね。

実は…、秘術です。書かれています。

 

『伊賀の影丸』。

言わずと知れた江戸幕府の隠密で、木の葉の術を得意とする伊賀流の忍者(昭和36年週刊少年サンデー連載)です。

忍者の視覚的なイメージを確立した漫画であり、それぞれ固有の特殊能力を持つ忍者たちが闘うというヒーロー物のスタンダードです。超人なのです。修行のたまものです。

敵対する甲賀流には、不死身(数時間後には完全に再生する。200才らしい)や、切られても刺されても傷つかない、非常に硬い身体を持つ忍者や、1時間以上も潜水できる忍者や、さらにどんな高さから落ちても大丈夫なゴムまりみたいな忍者や、そして、土の中を自由に移動できる忍者など、大変に興味をそそられるキャラクターの忍者が多く、手に汗を握りっぱなしです。

今でも興奮します。

藤田英輔

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山峡のおぼろ

藁ぞうり

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渓流釣りに行く時は、底にすべり止めのフェルトの付いた長靴をはく。

それで瀬を渡ったりしている時、不意に、子どもの頃はみんな藁ぞうりをはいて行った、そのぞうりも自分で作っていたなあ、という思いが浮かんだりする。

私の場合は小学校に入る何年か前から、渓流釣りへの入門とも言えるモツゴ釣りから始まった。

今でもはっきり覚えているが、小学校に入る直前の春にモツゴを釣っていて、偶然にアメゴが釣れ、それからアメゴにのめり込んだ。すぐには釣れず、3年生の頃からそこそこ釣れ始めた。

川の石は苔が付いていると、すべりやすい。そのため比較的すべりにくい藁ぞうりをはいて行く。今のようにフェルト付きの長靴などはもちろんなく、太平洋戦争で各種物資が次第に不足し始めていた。

私のはく藁ぞうりは、祖父が作ってくれた。

それをはいて釣りに行くのだが、どうもしっくりこないな、と感じるようになった。

それは、ぞうりが足のかかとから余って、反り返ってしまうからだった。

道を歩く時はなんとか我慢できたが、川に入ると水圧を受けて脱げそうになる。

もちろん祖父も、子どもがはくのだから、大人のよりも小さく作ってくれてはいたが、太い指では細工しにくいんだろうと思った。

そのうちに、自分で作ってみようという気が湧いて来たので、祖父にそれを言うと、

「そうか、ぞうりが太すぎるか。自分で作ってみるか」

と言った。そしてぞうりを作る準備をし、

「この通りやってみ」

と言ってくれた。それから祖父がぞうりを作る時は、そのやり方を見様見真似で練習した。

まず、ぞうりの芯になる縄を綯うことから始まった。

それを両足の親指に引っかけ、適当な幅にして藁を編みつけていった。途中で横緒になる縄を編み付け、適当な大きさにまで編んで、ぐっと引き詰める。それでかかとが円く締まり、ぞうりの形になる。あとは鼻緒を結ぶだけである。

祖父は鼻緒を、“すげ緒”という方法と、“とんぼ結び”という方法の2通りを作っていたが、とんぼ結びの方が切れにくいと言っていた。結んだ縄がとんぼの羽根のように、左右に張っているので、この呼び名になったのだろう。その羽根の部分を適当な長さに切れば出来上がりである。

1週間か10日ぐらいの練習で、自分がはくぞうりを作れるようになった記憶がある。

かかとを強化するため、そこにぼろ布やシュロの毛を編み込んだりもした。

テレビもなかった時代だから、ぞうり作りも結構楽しい、夜の時間つぶしの方法でもあった。

 

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私の一冊

藤原美穂

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「智恵子抄」 高村光太郎 白玉書房

 

『智恵子は東京に空が無いといふ。』

「題名:あどけない話し」の書き出きだしで始まるこの詩は、中学2年の国語の時間に、好きな詩と絵を描くと言われた時に選んだ詩である。

絵が苦手で、詩にも興味が無かった時、偶然に叔父からこの詩集と、24色のパステルを貰った。

この詩を書き、チョークの様なパステルを使い指でボカしながら絵を描いた。

教室の後ろの壁に貼り出してもらった、思い出の詩でもある。

藤原美穂

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私は小学校に入る直前、能地より森地区へ引っ越してきました。

以来60年、ずっと今も森に住んでいます。

森中学校の東隣です。

森中学校は今は廃校になってしまい、校舎は取り壊されてしまいましたが、

運動場はそのまま残っています。

運動場の周囲に植えられた桜は、大きな木となり毎年見事なピンク色の花を咲かせています。

その運動場の東門から西門へ突っ切っているのが、運動場が出来る前からの地域の道だったそうで、

当時も中学生が使っていない時は、近所の人たちはみんなこの運動場を利用していました。

私の母も当然、買い物に出る時はこの運動場を利用していました。

母は、心臓病を患っていて入退院を繰り返していましたが、

家にいる時、買い物はいつも母の仕事でした。

 

私達姉妹は学校から帰ってきて、母の姿が見えないと、じっと運動場の方を眺め、母を待ちました。

母の姿が西の方に見えるや否や走って行って、

母の手から重たい醤油ビンや買い物かごを取り上げ、母に負担をかけさせまいとしたものでした。

しかし、

母はずいぶん元気になっていたのに、突然37歳という若さで亡くなってしまいました。

心臓発作でした。

・・・が・・・

運動場の端っこにいる買い物かごを下げた母の笑顔は今も心の中にあります。

 

それから十数年がたち、私も結婚。
子供もできました。

長女が小学校へ入学。入学式も終え通常の勉強が始まったある日、運動場の西の方から大きな声が…。
何だろうと外へ出てみると、

「今日は、おしゅくだいが出たんだぞぉ~!」

なんと、意気揚々とランドセルを背負って帰ってくる長女の姿が、運動場の真ん中に。

はつらつと、太陽のように明るい長女の姿。

 

時は違えど、同じ運動場の道をこちらへ向かってくる二つの笑顔。
私が15歳と27歳の時の事でした。

今、その運動場は地域の方たちの駐車場として使われていますが、

・・・想い出はいつもそこにあります。・・・

 

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私の一冊

鳥山百合子

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「土佐町史」土佐町史編集委員会

深緑色の布張りのこの本は「土佐町史」。土佐町の町の歴史や成り立ち、自然の様子や言い伝えが掲載されているこの本に、とさちょうものがたりは今までとてもお世話になってきました。

高峯神社を案内していただいた筒井賀恒さんは「土佐町史にも載っているけんどよ」と言って、神社の鳥居の横にある手洗い石のこと、山の中に湧いている水のこと、神社にまつわる伝説のことを色々とお話してくださいました。

賀恒さんを自宅まで送った際、ふと見上げると、2階の窓際にある机の上にこの土佐町史が置かれていることに気づきました。賀恒さんが窓際に座り、土佐町史のページをめくっているだろう姿が見えるようでした。一体どれだけの時間を費やしてきたのでしょう。窓から見えたこの本の佇まいが、賀恒さんの重ねてきたものの存在を教えてくれていました。

「土佐町史」は土佐町立図書館で借りることができますし、土佐町教育委員会では購入もできます。興味のある方はぜひ!

鳥山百合子

 

 

筒井賀恒 (東石原)

 

*賀恒さんのことを書いた記事はこちら

高峯神社の守り人 その1

*高峯神社への道を示す石碑についての記事はこちら

高峯神社への道 はじめに

 

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笹のいえ

非常食

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ある日集落で、防災についての話し合いがあった。

今ある施設をどう有効活用していくか、日頃の見守りはうまくいってるか、必要な備品は揃っているかなど自然災害への対応を集まった人たちで検討した。

その中で「そろそろ非常食を更新せないかん」という話題になった。地域のコミュニティセンターとして活用している元小学校の倉庫には飲料水やインスタント食品が備蓄されている。その一部が賞味期限間近だと言う。最近の非常食は、水を入れるだけで食べられるご飯などがあり、乾パンくらいしか選択肢がなかった時代に比べると種類も豊富でより手軽になった。

「防災訓練で炊き出しをするから、味見してみよう」

「買い替えとなるとお金が掛かるねえ」

口々に話していると、ある方が、

「まあ家には米があるし、そっちの方が美味いけねえ」

何気ない一言だったが、僕にとっては目からウロコ的な事実だった。

米処でもある土佐町には、お米を作っている農家さんが多い。週末毎に田んぼの世話をしている会社員もいる。そして、収穫した米を自宅に保管している。畑には野菜があるし、季節によっては山菜や野草も採れるし、塩抜きや解凍すればいつでも食べられる食材が常備されている。お風呂用に薪を蓄えている家庭もあるから、簡易のかまどを作れば炊き出しができる。もし被災して、集落が孤立しても、物資が数日間来なくても、生き残れる環境がすでにある。お裾分けや見守りといった日頃の付き合いや昔からの習慣が減災や共助に繋がっていく。

災害には想定外がつきものだし、その時の状況に合った対処が求められる。家に米があるから非常食を備えなくとも良いとはならないが、バックアップが二重三重になっているのは、とても心強い。

 

写真:「名づけ」で紹介した月詠は、四月に一歳になった。ヨチヨチと歩き出し、一生懸命兄妹のあとをついて回ってる。父ちゃん母ちゃんが何度も貼り直した障子を気に入ってくれたようで、手や顔を出してはご機嫌の様子。当然、障子紙は破れ、穴が大きくなるのだけれど。

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私の一冊

西野内小代

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「現代語訳 徒然草」 嵐山 光三郎 岩波書店

 

この「現代語訳 徒然草」は、「徒然草」を少年少女向けに訳したものだそうです。その為、大変分かり易い意訳となっています。

有名な文章という事で暗誦させられた以外たいした感慨もなく、知識とは程遠い記憶しかありません。

今回、安直ではありますが現代語訳に接して、古典に対する心の扉が少し開き、吉田兼好さんの世界を味わえた喜びを感じます。

西野内小代

 

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