2019年5月

 

 

山の人、町の人。先祖代々住む人、都会から越してきた人。猟師さん、農家さん、森の人、職人さん、商店さん、公務員…。

人口4,000人弱の土佐町にはいろいろな人がいて、いろいろな人生があります。

土佐町のいろいろな人々はどんな本を読んでいるのでしょうか?もしくは読んできたのでしょうか?

みなさんの好きな本、大切な本、誰かにおすすめしたい本を、かわりばんこに紹介してもらいます!

(敬称略・だいたい平日毎日お昼ごろ更新)

私の一冊

藤田英輔

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「ジーヴズの事件簿」 P・G・ウッドハウス 文春文庫

殺人やらの血なまぐさい事件は起こりません。ホームズ、アポロ両先生の登場する種類の内容とは違います。

何でも知っている従僕(召使い・執事。日本の市井の人にはわかりにくいですね。解釈も違うようです)と、どこか間抜けな若い主人や個性豊かな登場人物が織りなす古き良き時代の英国のユーモア(コメディー?)小説で気軽に読めます。

英国の上流社会の風習をよく知りませんので、??のところもありますが。

最終章の数行を読むと、座って読んでいればつい手でヒザをうってしまいます。

(横になっていたら?立って読んでいたら?……はわかりません)

藤田英輔

 

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くだらな土佐弁辞典

しんき

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しんき

【名詞】 新品

▼使用例:

「テレビ壊れたからしんきにしよ」
(テレビ壊れたから新品にしよう)

 

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私の一冊

藤原美穂

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「アンネの童話」 アンネ フランク著, 中川 李枝子訳 文藝春秋

小学生で、アンネの日記を読んだ時、戦争の恐ろしさを感じた。感じただけで、解るはずもかったであろうが、それくらい日本は平和なのである。
大人になって、この本が出ると直ぐに購入して読んだ。
才能溢れる彼女の、文章を読んで、ただ可愛そうだけでは済まされないと思った。

忘れない事、伝えて行く事、それが大事な事である。

藤原美穂

 

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これは高峯神社の守り人、筒井賀恒さんと高峯神社への道しるべを辿った記録です。
今日は、この道のりのゴール、高峯神社のお話です。

 

「高峯神社」と掲げられた鳥居をくぐり、神社へと向かう。この鳥居の右側には「手洗石」と呼ばれる大きな石があり、この石にまつわるお話が土佐町史に載っている。(「土佐町ストーリーズ」でも紹介しています→『高峯神社の手洗石』)

 

この石段を登る時、高峯神社の神髄へ入っていくような感覚を覚える。自分の足元とこれからの道を代わる代わる見つめながら、息を整えながら、一歩、また一歩を歩む。

 

 

しばらく登っていくと、見上げるような木々が立ち並ぶ平坦な場所に出る。

高峯神社は作神(さくがみ)、豊穣の神を祀っている。

「相川の田んぼでスズメの被害があってよ、稲がとれんというのでここへお参りに来たんじゃろう。これは鷹じゃね。鷹がスズメを追い払ってくれた、稲がようとれたということで、相川の集落のもんがこれを奉納した」と賀恒さんが教えてくれた。

相川は土佐町の米どころである。

 

鷹の石像の下には、石像を作ったと思われる人の名前が刻まれている。

 

道々の石碑にあった「相川谷中」という文字、そしてこの鷹を奉納した人たちの名前もある。

「森」「近藤」「式地」「上田」「池添」「川田」…。

この人たちの子孫がきっと今も土佐町にいるのでしょう。
(私が子孫です!という方がいらしたら、ぜひ編集部までおしらせください!)

 

相川の人たちはこの場所へ何度も足を運び、その年の実りを祈って手を合わせてきたのだろうと思う。

「石で刻んじゅうと記録が残る」
賀恒さんはそう言った。

 

これを奉納した「相川谷中」の人たちは、その200年後、石碑に刻んだ名前を読み、自分たちが生きた時代に思いを馳せる人たちがいるだろうことを想像しただろうか。

 

昔、苔むすこの道はとても見晴らしがよく、溜井や伊勢川地区が一目に見えたのだそうだ。茶店や休む場所があって、お参りする人の接待をしていたという。

重ねられてきた時の確かさがここにある。
ここには神さまがいると思う。

 

江戸時代、ここから上は女人禁制だった

 

 

高峯神社 本殿 (写真:石川拓也)

 

「本殿の屋根を銅板にしたのは昭和28年の春。その前は桧皮葺(ひわだぶき)というて、桧の皮を屋根だった
賀恒さんもその時に、この屋根の葺き替えを手伝ったそうだ。

拝殿の左側は神社を雨風から守るために囲いがしてあるのだが、その囲いはトタンでできている。
「台風の時、拝殿に雨が吹き込んでよ、屋根裏の垂木へ杉の葉っぱがひっつくから、大工や地域のもんと話して囲うことにしてよ、この囲い、小さい運搬車を持って来て上げた。この鉄筋もそうで。長いのを入れるのは一苦労したわ!」

高峯神社は地域の人たちによって守られている。

拝殿への階段の右下に丸い石がいくつも積み重ねられている。きれいな丸い石は山の中にはないから、誰かがここへわざわざ持って来たのだろう。

「これね、お参りに来る人が河原から石を拾うてきて、色々祈願してよ、ここに置いていく」

 

 

高峯神社本殿の周りに立つ木々は「ひとりばえ」なのだそうだ。誰が植えた訳ではない自然に生えてきた木の周りの草を刈り、黙々と手を入れてきた人たちがいる。

 

本殿の横には一本の見事な大木が立っている。
「70年見てるけど、根っこの先がひとっつも太ったように見えん。これが育ち始めた時の時代のことを考えたらね…。自然に生えたと思うけんど、面白いぞね 。よくここに育ったことと思う」

 

 

70年間、賀恒さんは高峯神社へ通い続けている。

「みんな、昔の道のかたちが頭にないろ。昔のことを話しても、そんなことがあるかと笑って言われて…。ここへ来て、掃除をさせてもらい出してから70年。知らないことを知ると違ったふうに見える。自分で色々調べて土佐町史を読むし、話も聞くけんど、それよりも本物を見た方がいい」。

 


 

高峯神社への道。

石碑をたどっていくことで、昔の人が歩いた道がまだかろうじて残っていることを知った。

道しるべの場所を「とさちょうものがたり」に記すことで、多くの人にこの石碑の存在を知ってほしいと思う。そして、昔の人たちが歩んだ道のりや見ていただろう風景を感じてほしいと思う。

 

知ることで、周りの風景が今までと少し変わったように見えるかもしれない。

道も石碑も、昔と変わらない。変わったのは多分、自分自身なのだと思う。

 

賀恒さんや地域の人たちが、守り続けて来た高峯神社。
守り続けてきた意味は、行けばきっとわかる。

 

 

 

筒井賀恒 (東石原)

高峯神社の守り人 その1

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私の一冊

鳥山百合子

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「小さな家のローラ」 ローラ・インガルス・ワイルダー作 安野光雅絵,監訳 朝日出版社

子どもの頃楽しみに見ていたテレビ「大草原の小さな家」。

他社から出版されている「大草原の小さな家」をいくつか読んできましたが、挿絵の美しさに思わず手に取りました。

この本には毎ページと言っていいほど安野光雅さんの美しい挿絵がたくさん入っています。

どうしてこんなに挿絵が入っているのかなと思いながら読み進めていましたが、あとがきを読んで合点がいきました。

(その理由はぜひ「あとがき」をお読みください。)

「文学は、挿絵とは無関係に成り立っています」と安野さんは書いています。

文章を読むことは、描かれている情景や作者の心のあり方を感じとるのが面白さでもあり魅力です。

挿絵は想像を助けてくれるものでもありながら、時には読者が絵の印象に引っ張られてしまうこともあるように思います。しかしこの本の安野さんの挿絵は、文章と呼吸を合わせてゆっくりと伴走するかのようにそこにありました。

作者ワイルダーが生きた時代に吹いていただろう風が感じられるような気がします。

この本の訳者も安野さんです。安野さんの「窓」からワイルダーの世界を味わえる一冊です。

鳥山百合子

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笹のいえ

気の抜けない会話

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田んぼや畑で、道ですれ違ったときに、家の玄関先で、集落の寄り合いで。

人が出会えば、どこでも何気ないおしゃべりがはじまる。

明日の天気のこと、お米の苗の成長具合、昨日分蜂したミツバチのことなど。身近で起こったちょっとした出来事の話だ。

つい聞き流してしまいそうだが、これが気を抜けない。

会話の中に、暮らしに役立つヒントや知恵がたくさん詰まってるからだ。

あの花が咲いたら、この種を蒔くころ

昔はこうやって、苗育てていた

分かれた蜂を蜜堂(巣箱)に誘う方法は、これが一番

何十年も何世代も前からこの地域に伝わってきたことから最新情報まで、ネットで検索しても出てこない、地域の「いま」がここにある。

僕はその会話を忘れまいと、頭の中で一生懸命反芻するのだった。

 

写真は、ゴールデンウイークごろ旬となる茶摘みの風景。去年までは一日で全て収穫していたが、日当たりによって木ごとの葉の成長が異なるので、今年はひと釜分ずつ。その日のうちに炒って揉んで乾燥させれば、自家製茶のできあがりだ。

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私の一冊

西野内小代

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「ゆっくり力でいい人生をおくる」 斎藤茂太 新講社

急がば回れ・下手の長糸通し・ごくどうの重荷持ち…等々。

限られた時間内で物事を達成しなければならない時、私が頭の中で念じている言葉です。

ダラダラのんびりするのではなく、余裕しゃくしゃくで慌てず、焦らず、物事をキチンと達成していく極意をこの本から学ばせて頂きました。

西野内小代

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山の手しごと

わらびの収穫

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土佐町早明浦ダムのほとり、上津川地区の高橋通世さんが「わらび採りにきいや」と声をかけてくれました。

カゴを背負い手袋をして、いざ、わらび取りへ!

枯れたかや(ススキ)の間を縫うように生えているわらび。わらびは根っこで増えるのだそう。
「どこでも好きなところ取って!」と通世さん。子どもの頃からこの場所で、わらびの収穫の手伝いをしていたのだそうです。
「雨が降ったらようけ太るね。ようけ出だしたらね、3日置かずに取らんと」

 

茎を折ると、ぽきん、ぽきん、とみずみずしい音がします。収穫したわらびは束にして輪ゴムでとめておきます。こうしておけば湯がく時にバラバラになりません。
「お湯からあげる時、楽やきね!」と通世さん。なるほど!

 

「おーい、これ見てみいや!」とみせてくれた小さな黒い粒。
これは、鹿のフン!よく見るとあちこちに落ちています。

通世さん曰く、フンの形でオスかメスかわかるのだそうです。「片っぽがケンなのは(とんがってるのは)メス」なのだそう。(左下が確かにとんがっていますね!)

フンのそばには大抵、鹿が通る“獣道”があるそうです。
その獣道を見つけ、罠を仕掛ける。
足跡はないか、“獣道”はないか、猟師でもある通世さんの目は常にその手がかりを探しているのです。

 

 

 

 

さあ、わらびを湯がきます。

たらいに水を入れて沸かします。

 

奥は私と友人、手前は通世さんが収穫したワラビ。

通世さんが収穫したわらびの茎の先は、まるでハサミで切りそろえたかのよう!それにひきかえ、私と友人のわらびの茎はあっちにいったりこっちにいったり…。

 

たらいの底から小さな水の泡がプクプクと上がり始めました。

「母に習うたんやけどね、温度が75度になった時にわらびを素早く入れる。前に80度でやったら柔らかくなりすぎた。高温でゆがいたら溶けるきね」
「わらびを入れたら温度が60度ばあに下がっちゅうきね。元の75度になったらお湯からあげるんよ」 

時々わらびをひっくり返しながら、湯がきます。

 

なんてきれいな色なのでしょう!あたりは、わらびのいい香りでいっぱいに。

たくさん収穫したので何回かに分けて湯がきました。そのつどお湯からあげ、冷ましながら灰をまぶします。この灰はこんにゃくを作るときにも使う紅葉樹の灰で、ひとつかみ握り、まんべんなくかけておきます。

 

全部を湯がいた後、わらびと灰を優しくこすり合わせるように、灰をなじませます。
この後、お風呂のぬるま湯くらいの温度の湯にひたひたにつけ、一晩置きます。(山水がある場合は流水につけておく)

「一晩ではまだ苦味がある時があるき、その時はまた水につける。様子を見て、噛んでみて」。

 

試しにその日の晩、味はどうかと噛んでみたら、あまりの苦さにゴホゴホ咳き込むほど!一日に何度か水を変え、食べられるようになったのはその2日後でした。

 

お弁当のおかずにぴったりの一品ができました。

わらびの煮つけ

【材料】あく抜きしたわらび・油揚げ・砂糖・しょうゆ・白だし

①わらびを食べやすい大きさに切る。

②わらびを油でさっと炒め、油揚げを加えてさらに炒める。

③砂糖、しょうゆ、白だしを加え好みに味付けをし、コトコト煮る。

 

帰り際、友人が言いました。

「昔の人にとって、灰はこんにゃくを作ったり山菜のあくを抜いたり、とても大切なものだったんやないかな。昔話に“花咲かじいさん”の話があるでしょう?桜の枝に灰をまいて花が咲く。あのお話が生まれた意味がわかるような気がする」と。

通世さんも蓋つきの入れ物に入れ、大切に保存していました。木を燃やすときに、紅葉樹以外のものが混じらないよう気をつけているそうです。

そのままでは食べられないものを、灰の力を借りることによって美味しく食べられるようにする。なんて素晴らしい知恵!

昔の人にとって、灰は、暮らしに花を咲かせるような存在だったのかもしれないですね。

 

*あく抜きの方法は人それぞれ。その人ならではの方法があります。

 

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私の一冊

鳥山百合子

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「旅をする木」 星野道夫 文藝春秋

 

「ああ、その気持ち、私も感じたことがある」と星野さんの本を読むたびに思います。まだ輪郭しか見えずはっきりと言葉にできないような思いを、星野さんは決して難しくない言葉で目に見えるかたちにしてくれていて「ああ、こういう言い方があったのか」と新しい発見をしたような、懐かしい誰かに再会したようなそんな気持ちでページをめくります。

『人生はからくりに満ちている。日々の暮らしの中で、無数の人々とすれ違いながら、私たちは出会うことがない。その根源的な悲しみは、言いかえれば、人と人とが出会う限りない不思議さに通じている』

同じ地球上で今同じ時間を生きている人たちは気が遠くなるほどたくさんいて、すれ違うことも出会うこともなく、お互いの存在さえ知らないままお互いの一生を終えることがほとんどなのかもしれません。でもそんな中でもなぜだか出会って、怒ったり笑ったり泣いたり、悩んだり喜んだり苦しんだりしながら時を重ねる。目の前のその人とのやりとりや重ねてきた時間は、出会えたからこそのこと。やっぱりとてもかけがえのないことなのです。

星野さんはいつもそのことを思い出させてくれます。

 

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