渡貫洋介

笹のいえ

猛暑

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たくさん雨の降った梅雨が終わったら、連日晴天が続く。日中、気温はどんどん上がり、町内の電子温度計が38度を示す日もあった。

草花はしんなりとして頭を下げ、猫や鶏たちは日陰でじっと暑さを凌いでいる。

夏だから暑いのは当たり前なのだけれど、猛暑を超えて酷暑と言える高い気温はやはり身体に堪える。だから、外作業は極力朝夕の涼しい時間帯にしてる。直射日光を避けるため、服装は長袖長ズボン(半ズボンの上にヤッケを履くと動きやすい)が必須。背みのを背負い、タオルを巻いた頭にすげ笠を被る完全防備で臨む。草刈りは小一時間するだけで全身汗びっしょり。Tシャツは休憩ごとに替えるようにして、こまめな水分補給を欠かさないようにする。

最近思いついたのは、作業途中で小さなおむすびを食べること。塩の効いたおむすびを、食べたいと思うタイミングで口に入れると心身のリフレッシュできる。ひと段落着いたら水を浴びて汗を流し、少しでも昼寝をしておくと気分すっきり、午後も動ける。

さて、この猛暑はいつまで続くのかと思うけれど、ここ数日は朝晩が涼しく、明け方肌寒いときもある。山暮らしで「ありがたい」と思える瞬間のひとつだ(その分、冬寒いけど)。日差しがつくる影や雲の形にも秋の足音を感じる。田んぼでは稲の出穂が進み、キュウリやトマトなどの旬が過ぎそろそろ秋冬野菜の準備を考える時期だ。

全国的に暑い日々が続いています。皆さん、どうぞご自愛ください。

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笹のいえ

炭焼き 後編

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前編はこちら。

 

火が入っている間、窯の中は見ることができないから、煙の状態によって炭の様子を想像する。最初は真っ白な湿っぽい煙で温度は低い。時間とともに木酢液のような匂いが強くなり、色は段々と薄くなる。最後の方は紫っぽい透明な煙で、手で触れられないほど熱い。この煙が空に棚引く感じで火を止める時期が分かる、らしい。このタイミングについて何度も説明を聞いたが、結局僕にはよく分からなかった。火を止めるのが遅れれば、炭は灰になるし、早すぎれば良質の炭にならない。結局最後は「こんなもんかな」と空気穴を塞ぎ、火を止めた。火を点けてから丸三日間燃え続けたことになる。

炭は、窯の熱が下がったら取り出すことができる。しかし、行こう行こうと思いつつ、時は過ぎ、頭の中からすっかり抜け落ちてしまった。

そして二年以上を経て、炭窯の持ち主さんから連絡をもらい、「あっ」と記憶が蘇った。

季節は梅雨の真っ最中。窯内部は湿気を含み、炭出しするにはあまりよくない時期だが、また忘れてしまったら何年も後になってしまうかも知れない。興味があるという友人に声を掛け、またあの炭窯に向かった。

前のことなどとうに忘れていて、さて、窯の入り口が分からない。持ち主さんに電話で聴きてやっと思い出した。

被せていた土を掘ってみると、ぽっかりと穴があいた。手を入れてみるとひんやりとしてる。さらに周りの土をどけ、人一人がやっと通れる幅になった。土と石でできただけの真っ暗な空間に入るのは少し勇気がいるが、這いずるように中に入った。外は夏のような気温だが、窯内は涼しく、周囲の音も遮断され別の世界に来たみたいだった。暗闇に目を慣らすと、折り重なっている木炭が見える。

懐中電灯の頼りない光を照らし、土囊袋や米袋に炭を詰めては外の友人に渡す。狭い窯の中にいると時間の経過や外様子がよく分からず、奇妙な感覚だが、出入り口から差し込む眩しい光が、外と繋がっている安心感を生んだ。

取り出したのは、軽トラの荷台約二杯分。詰め込んだ木の半分は炭となり、半分は灰になってしまった計算だ。

家に持ち帰って、適当な長さに切り、ありったけの土嚢袋や米袋に詰めて、縁の下の芋室に保管することにした。

早速七輪で餅を焼いてみる。

まだ水分を含んでいるからか、火力は弱い気がするが、ちゃんと乾燥させたら問題ないだろう。

炭は燃やすと温度が一定になるので、揚げ物などは薪よりも調理しやすい、と奥さんが言っていた。

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笹のいえ

炭焼き 前編

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数日前、炭焼釜から炭を出した。

二年と五ヶ月前に焼いた木炭だ。

 

2018年三月、名高山に炭窯を持つ方に「焼いてみんかよ」と声を掛けてもらった。それまで別の場所で炭作りの見学はしたことあったけど、実際に手を動かすのははじめてだった。

炭となる雑木を集めるのは、一番手間の掛かる行程のひとつだろう。必要な量は窯の大きさによるが、歩留まりをよくするため、材料となる枝木を窯内にできる限り詰め込まないといけない。今回、周囲の木を切らせてもらい、軽トラ3.5車分くらいになった(これでも少し足りなかった)。集まった木のほとんどは窯主の方に伐採してもらったので、なんだか申し訳ない気持ちだったが、その他の作業はなるべく自分でやるように努めた。木や枝は、窯に入るように適当な長さに切っておく。

狭い入り口から炭窯の中に潜り込んで、外にいる友人に木を放り込んでもらう。出入り口からの光を頼りにして、奥から順番に立てて並べていく。隙間があると木から木へうまく熱が伝わらず、良い炭にならないので、曲がった木や枝をパズルのように組み合わせる。湾曲した天井の空間には木を横にして空間を埋める。焚き口周辺は高温になり、どうしても燃え尽きてしまうから、炭としては使いにくい太い切り株などを置く。より上質でより多くの炭を取るにはいろんなコツがあり、経験と技術が必要だ。行程の最初から最後まで地域の方々にアドバイスをいただいた。なんとか材を入れ終わり、出入り口を石と土で閉じた。

いよいよ炭を焼く。

出入り口の隣にある火口で薪を燃やして、窯の温度を上げていく。火が木に移るまでとにかく薪をどんどん焼べる。焚き口の反対側にある煙突からは最初蒸気が出て、そのうちモクモクと白い煙が排出される。中の材が燃えはじめた合図だ。

家から炭窯まで車で20分ほど離れているが、途中で火が消えないように数時間ごとに往復して見回った。初日の夜は窯の前に車を停めて、夜通し火の番をした。夜の冷え込みはまだ強い三月の山。車内で布団に丸まりながら時折薪を足していく。

約24時間後、窯内の温度が十分高くなったと判断し、小さな空気穴を残して焚き口を塞いだ。

 

後編に続く。

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笹のいえ

信号待ち

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朝、車で次男を保育園に送りに行く道中、赤信号で止まることがある。

すると彼は、思い出したように、僕に顔を向けて、

次男「また父ちゃんのパワーで、青にして!」

僕「よーし、見てろよ」

う〜ん、とそれらしく手の先に力を込めつつ、目の隅で、青になっている歩行者用の信号が赤になるのを待つ。

そして、丁度良いタイミングで、「ハア!」とかなんとか言って、正面の赤信号にパワーを飛ばす。当然、信号は青に変わる。しかし、5歳の息子は驚きを込めて、

次男「わあ、父ちゃん、すげー!」

別の日、見よう見まねで彼が挑戦してみるのだが、信号の仕組みはまだ理解できてないから、大抵いくらやっても赤のまま。

僕「じゃ、父ちゃんが青になる呪文を唱えるぞ。ナンタラカンタラ、、、ハア!」

またしても、信号が青になる。

次男は目をキラキラさせて、「どうやったらできるが?」

僕「修行だな」

思えば、このトリックは最初の子のときからやってる。長女も長男も面白がっていたが、そのうちカラクリが分かってしまうと、魔法は消えてしまう。彼らの反応が楽しくて、僕は性懲りもなく、次の子に同じことをするだろう。

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笹のいえ

キアゲハ

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ある日、長男が枝に付いたふたつのサナギを持って帰ってきた。学校で見つけて、家で蝶にさせたいと言う。サナギをじっくりと観察したのなんて、何十年振りだろう。見れば見るほど奇妙な形。無駄の無い機械的な曲線は何かの部品のような印象だ。なんの種類だろうね、うまく蝶が出てくると良いねと話をした。

容器に入れたサナギたちを、その辺に雑に置きっぱなしにしていた息子。僕も存在をすっかり忘れていた。何日かが過ぎ、いつまでも羽化しないサナギの扱いに、ついに困ったのだろう。「これどうしたらいい?」と僕に見せに来た。しかし、昆虫に疎い僕にもさっぱり分からない。枝に付いているサナギを支える糸は切れかかっていて、放っておいても羽化できるのか心配だっし、まだ生きているのかも不明だった。

手に取るとカラダをよじらせたので、生存が判明。ならば何とか誕生させたいと、色々調べたがこれだという情報に行き着かない。考えた結果、サナギのお腹の部分をセロテープで枝に固定し、花瓶に挿して、見守ることになった。前を通るたび状態をチェックし、お参りするように心の中で手を合わせて「無事出てきますように」とお祈りした。

さらに数日が経ったある朝、外に出ると、朝露の付く草に一羽のキアゲハが留まっていた。

枝を確認すると二匹とも抜け殻だけになっていたので、きっと夜の間に羽化したのだろう。

長男に伝えると他の子どもたちも起きてきて、皆で蝶を囲んだ。黄色と黒をベースにした体色が草の緑に映える。卵から生まれたイモムシがサナギになって、色鮮やかな蝶になる。改めて考えてみれば、なんというドラマティックな完全変態。生まれてからこの世を去るまで大きさくらいしか変化しない人間からすると、なんて不思議な生き物だろうと思う。

触りたいと言う次男の手に、そっと載せるとしばらくじっとしていたが、間も無く羽ばたいて飛んで行ってしまった。

思いつきだったセロテープ作戦が成功して、ホッとした一日のはじまりだった。

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笹のいえ

無題

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飼い猫のイネオが何かを咥えて、僕の視線の端っこを通り過ぎた。

トカゲかな、いや影が大きかったから、ネズミかモグラか、、、とぼんやり考えたあと、ハッとして後を追いかけた。

彼の口から首を咬まれたヒヨコが力なくぶら下がっていた。

「イネオ!」と叫ぶと、すぐにヒヨコを離して、どこかへ行ってしまった。やってはいけないことをやってしまった、と感じ取ったのかもしれない。

地面に横たわった小さな身体はもう動かなかった。

 

誕生から二ヶ月半が経った二羽ひな鳥たちは、身体も大きくなって、もうヒヨコの面影はない(分類的には中雛と呼ぶみたいだ)。卵のときから子どもたちが世話をしていたので、人によく慣れ、巣箱から出しても逃げることはなかった。今まで入っていたダンボール製の小屋は狭くなってきたし、そろそろ外で飼おうかと家族で話していた。ただ、うちには猫がいるし、夜になると狸やハクビシンなどの獣も来るかもしれない。親鳥に虐められる可能性もあったので、鶏小屋の空間を半分に区切り、大きくなったひなたちの新しい住まいにして数日が経っていた。

きちんと仕切りをしたつもりだったが、どこかに隙間があって、そこから外に出たところを狙われてしまった。家族が目を離していたのは短い間だったが、不幸中の幸い、もう一羽は無事だったので、前の巣箱に戻した。

真っ先に走り寄って来た長女は、まだ温かい亡骸を抱きしめ、泣き続けていた。外の小屋で飼うことを提案し、仕切りを作ったのは僕なので、彼女に謝ったが、何を言っても耳に入っていない様子だった。

しばらくして学校から帰宅した長男に事の顛末を話すと、じっと黙ってしまった。死んでしまったひなは長男が特に可愛がっていた子だ。お別れをするか?と尋ねると、「見たくない」と言った。

自分たちが育てていた「いのち」が一瞬でどこかへ行ってしまった。いままでそこにあったものが消えてしまった。子どもたちが「死」を強く実感した出来事だったと思う。僕は、起こったことを彼らが受け入れるまで、待つことにした。

そのうち、長女と長男は、ふたりでお墓を作る場所を探しはじめた。どこにするのか迷っていたが、家の前にある花壇に埋めることになり、土を掛けた上に石を置き名前を書いた。

 

 

ヒヨコが生まれたときの話はこちら。

ひよこ

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笹のいえ

梅しごと

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梅雨と書くくらいだから、この季節は昔から「梅しごと」と決まっていたのかもしれない。SNSのタイムラインには「梅干し仕込んでます」「今年はシロップ漬けにしました」など、友人からの梅にまつわる話題が多かった。

ありがたいことに、今シーズンは友人から梅もぎに誘っていただき、たくさんの梅を収穫することができた。普段から「いただく」ことの多い我が家。移住当初はお返しするものが少なく、ありがたいながらも、申し訳けないような後ろめたいような気持ちが強かった。

しかし、地域の方とのお付き合いが深くなるにつれ、多くの場面で「相手はお返しを期待していない」ことに気が付いた。たくさん収穫したから、使わないから、もったいないから、単純にそんな理由から声を掛けてくれる。廃材や廃油など、そのまま捨ててしまってもいいが、利用できる人がいるなら活用してもらおうとわざわざ連絡をくれる。場所を取っていたものや処理に困っていたものがなくなれば、相手は嬉しいし、もらった僕らはそれを有効に活用することができる。

もちろん、うちもお返しできるタイミングがあればする。でも、それはあの時のお返しです、とか、これくらいくれたから、このくらいお返しします、ということではない。普段の交流の中で自然に行われる特別でない風習。この地域にこんな付き合い方が続いているのは、暮らしが豊かで気持ちに余裕があるからだろうと考えている。

話が逸れたが、今回の梅で、

梅干し

梅ジャム

カリカリ梅

を作った。家中が梅の良い匂いに包まれ、なんとも幸せな気分になった。

梅ジャムやカリカリ梅の仕込みを手伝った子どもたちは、普段目にすることのない大量の砂糖に興奮し、扱いに緊張していたので笑ってしまった。計量する砂糖を少しでもこぼしたら、他の兄弟から「もったいない!」とツッコミが入る。そんなやりとりを見ながら、食事のとき落としたご飯粒は気にしないくせにと心で呟く父ちゃんだった。

地域の暖かい場所にあるネムノキの花が咲きはじめてる。もう夏も近い。

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笹のいえ

てうえのたうえ

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去年に引き続き、今年の田植えも手植えすることにした。

苗は種まきから35日くらい経ったときが植えごろと言われる。田植えに向けて、代かきや水の管理などを調整し、田を整えて、その日を迎える。

田植えは5月下旬からスタートした。とてもひとりでは間に合わないので、友人数名に声を掛けて手伝ってもらう。

まず植える苗を用意しなくてはいけないのだが、その作業がとても大変だった。

水を張った苗床に手を突っ込み、一本一本引き抜いて、カゴに入れていく。引き抜くときの力加減が難しく、がいに(強く)引っ張ると必要以上に根や葉を切ってしまう。稲に紛れて、雑草も生えているから、それらを取り除くために集中力もいる。座っている椅子は半分田んぼに沈み、お尻は濡れる。長時間同じ姿勢なので、腰が痛い。そのうち全身泥だらけ。「オレは、なんでこんなことしてるんだろう」と疑問が何度も頭を過ぎりつつ、ひたすら苗を取っていく。

ある程度苗をまとめたら、今度は田植えだ。

去年は苗を一本ずつ植えていったが、苗の成長や気候の影響もあって、あまり良い収量ではなかった。地域の方たちのアドバイスから、今年は「三本植え」を基本とした。単純計算で苗の量が三倍になったから、採れる米の量も三倍!と言いたいところだけれど、そうはならないのが米つくりの難しいところ。

線を引いた田面に苗を一か所一か所、手で植えていく。苗を選び、腰を曲げ、苗を刺し、一歩進んでは、また苗を選び、、、

永遠とも思える単純作業だが、友人と四方山噺をしながらだと気も紛れる。苗を取っては植え、植えては苗を取る日々が一週間ほど続き、二反半の田植えをなんとか終えることができた。

苗が整然と並び、水を張った田んぼは美しい。手で植えているので、苗の列が曲がっているところもあるが、苦労をした分、それすら愛おしい。

余情を味わいながら、田んぼを見ていると、すでにちらほら草が見えはじめている。ほっとする間もなく、除草作業に取り掛かることになりそうだ。

 

 

写真:田植え前にお供え物をして、田んぼの神様に豊作をお願いする。

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笹のいえ

代かき

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新緑と青空のコントラストが気持ちいい時期となった。

ここ最近は、田んぼで代かきをしてる。

農家さんにもよるが、一般的には二三回代かきをして田面を整え、田植えの準備をする。水を入れて耕すことで、水持ちを良くし、空気を含ませて、稲の成長を促すの意味がある。

今年は、代かきのあとに三寸ほどの角材をロープで耕運機に結び、引っ張ることにした。田んぼをあちこちへと移動しながら、なるべく平らに均す。

高低差が少ないと、適量の水を田んぼ全体に行き渡らせることができる。山から引いた冷たい水が太陽熱で温まる。均一の深さなら水温も一律、苗全体もまんべんなく育ってくれるはずだ。一方、田んぼが凸凹していると、水を入れたときに、こっちの苗は水没しちゃったけど、あっちは土が露出してるという状態になる。深く水没した苗は腐ってしまうし、水が無いところは雑草が生えてしまう。余計に水を入れることで、水温が下がり、雨が少ない年は管理が難しくなる。田んぼが平らということは、大事なことなのだ。

 

耕運機や角材に押されて水面に波が立つ。紋は放射線状に広がり、田んぼの端まで届く。その様子で、土がうまく均されたかある程度分かる。

一定の深さで起こる波は、同じ大きさとスピードで広がっていく。その動きを見て、僕はいつも海の波を思い出す。

小笠原に住んでいたとき「波は水が動いているのではなく、エネルギーの塊が海中を移動しているのだ」と教わった。風や潮の力によって発生したうねりは、大きくなったり分かれたりして、長い長い間旅を続け、どこかの海岸に到達する。海底が浅くなるにつれて、うねりは波となり、砕けて消える。

波を目で追いながら、今このときも生まれては消えている大海原のうねりや波のことを想像するのはなかなか贅沢な時間だ。

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笹のいえ

ひよこ

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一ヶ月ほど前から鶏を飼いはじめたのだが、実はほぼ同時にヒヨコも卵から孵化させて育てている。

雌鳥たちは貰われてきたときからすでに卵を産んでいて、雄もいるので有精卵。子どもたちに「これを温めるとヒヨコが生まれるんだよ」と話した。「いのちあるものだから、大切にいただこうね」という意味を込めたのメッセージだったのだが、子どもたちは「じゃあ、ヒヨコ育てる!」と言いはじめた。はじめての養鶏で世話やら何やら大変なのに、加えてヒヨコもなんて!と反対を試みるが、子どもたちの輝いた目には逆らえない。そして、ああなんということか、手元には以前友人に譲ってもらった孵卵器があるではないか。

とりあえず、二個の卵を温めてみることにした。

ネットで調べてみると、鶏の卵は孵化まで21日ほど掛かるが、途中いろんな原因で成長が止まり死んでしまうことも多いらしい。僕らにとってはじめてのことだから、生まれたら嬉しいし、うまく孵らなくてもそういうことって世の中にたくさんあるんだよ、子どもたちに話をした。

ビギナーズラックが働いたのか、果たして20日目に一羽目が、21日目に二羽目が生まれた。

生まれる前日、卵の内側から、か細いピヨピヨという声が聞こえたときは、感動だった。そして数時間を掛け、嘴でコツコツと殻を割り、自力で生まれてくるのだ。ヒヨコ、すごい。羽が乾いた一日後にはもう歩きはじめたので、用意しておいたダンボール箱の部屋に移した。ダンボールには小さな穴を開け、中の様子が見えるようにした。子どもたちは代わりばんこに顔を押し付けて観察する。ヒヨコたちは数分ごとに寝たり起きたりを繰り返していた。さらに数日後には盛んに動き回るようになったので、「触りたい」と言う子どもの手のひらにそっと置いてみる。逃げることなく、静かにしている。孵化のあと最初に目にしたものを親と思い込む「すり込み」によって、僕たちを親と思っているのかもしれない。

誕生から三週間が経ち、ひと回りもふた回りも成長したヒヨコたち、よく食べよく鳴きよく動く。天気の良いときは、カゴを逆さにした即席の小屋を屋外に置いて、中で遊ばせている。

さて、鶏たちがやって来て一ヶ月半ほど経ったが、実は、飼う前に心配していたことがあった。

ひとつは、飼い猫イネオと鶏の関係。獲って食べられてしまうのではないか、襲われて怪我をするのではないか。実際、最初の数日はお互い警戒を露わにしていたが、一定の距離を取ることで落ち着いたようにみえる。たまにイネオに追いかけられているが、上手に逃げてる。イネオも本当に獲ろうとしているわけではなく、ちょっかいを出しては、すぐ諦める。その後鳥たちが「なんだあの生き物は」とでも言いたそうに、不満の声を上げるので笑ってしまう。

もうひとつは、雄鶏の鳴き声。まだ暗いうちから朝を告げる雄の叫びに家族の安眠が妨げられるのではないかと心配していた。実際朝4時ごろに鳴き声を何度か聞いた。しかし、僕以外、目を覚ますものは誰もいなかった。

 

鶏の話はこちらから。

こっこ

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