2023年2月

 

 

山の人、町の人。先祖代々住む人、都会から越してきた人。猟師さん、農家さん、森の人、職人さん、商店さん、公務員…。

人口4,000人弱の土佐町にはいろいろな人がいて、いろいろな人生があります。

土佐町のいろいろな人々はどんな本を読んでいるのでしょうか?もしくは読んできたのでしょうか?

みなさんの好きな本、大切な本、誰かにおすすめしたい本を、かわりばんこに紹介してもらいます!

(敬称略・だいたい平日毎日お昼ごろ更新)

私の一冊

鳥山百合子

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「もりのかくれんぼう」 末吉暁子作, 林明子絵 偕成社

このお話の主人公けいこが家に帰る途中、お兄ちゃんを追いかけて生垣の下をくぐり抜けると、そこには金色に色づいた森が広がっていました。

けいこは、この森の「もりのかくれんぼう」とかくれんぼをすることに。きつねやりす、くまやトカゲなど森の動物たちも加わって、みんなであっちに隠れたりこっちに隠れたり。(ページをめくりながら、「あ!ここにいる!」と見つけるのが楽しいです)

くまが鬼になった時、けいことかくれんぼうはしげみの中に潜りこみます。「いきをころして、じっとして、みつからないように、いつまでも…」。

ふと聞こえてくるお兄ちゃんの歌声。そっと顔をあげると、目の前にお兄ちゃんが立っていて、けいこの住んでいる団地が広がっています。ところどころに金色の森に生えていた木が立っていて、団地ができる前はあの森だっただろうことを想像させます。

この本が出版されたのは1978(昭和53)年。昭和30年代から昭和40年代にかけて、高度経済成長期にあわせて団地の建設が盛んに行われたため、森を切り開いて作った団地に住んでいる子供たちも多かったことでしょう。

「どこかできっと またかくれんぼうさんにあえる けいこはそんなきがしてなりませんでした」

かくれんぼうや森の動物たちはどこへ行ったのか。当時も今も、この絵本を読んだ子供たちはどんなことを感じるのでしょう。

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とさちょう植物手帖

ヤドリギ(宿り木)

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冬になると鳥の巣のような大きな塊が目立つ木を見掛けたことはありませんか。これがヤドリギです。

枝が規則的に分岐して広がることからまん丸に近い樹形になります。エノキ(榎)、ケヤキ(欅)、サクラ(桜)などの冬に葉っぱを落とす落葉樹に寄生します。

土佐町土居の川辺のエノキの樹上で生活しているヤドリギは、今いっぱい実をつけています。

 

ヤドリギ雌株

ヤドリギは、漢字で「宿り木」あるいは「寄生木」と書きます。木の上を宿のようにして生活することからついた名前です。

寄生という言葉はイメージ的にあまり良くないかもしれませんが、他の樹木から一方的に養分や水を奪っている訳ではありません。常緑の葉で自らも光合成を行います。宿主を枯死させてしまう様な手荒なことはしないそうです。

ヤドリギはプロペラ状の葉っぱと半透明の果実にも魅力があります。

果実は径6~8㎜の球形で、薄い黄色。冬の陽光に輝くととてもきれいですが、高木の幹や枝で繁茂することが多いため肉眼で見る機会はなかなかありません。

クリスマスの飾りなどで目にする白い実のヤドリギはヨーロッパが原産の外来種です。

ヤドリギは雌雄異株です。土佐町境の常盤橋北側の小山でサクラの枝に着いているヤドリギがどうやら雄株のようです。国道からよく見える位置にあり、今年も近くまで行って写真を撮り確かめてみましたが果実は見えません。

 

ヤドリギ雄株

本山町寺家には鮮やかな橙色の実をつけるアカミヤドリギがあります。宿主はエノキの大木で赤実と黄実が30~40株ほど同居しています。遠目に見るその立ち姿は異様というか壮観というか、とにかく不思議な面白さがあります。機会があれば汗見川に架かる「じけはし」から北の方を覗いてみてください。

 

アカミヤドリギ

エノキ

※半寄生植物(はんきせいしょくぶつ):自らも光合成によって栄養を摂りながら、ミネラルなどの補給を宿主に依存する植物

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笹のいえ

ミツバチ時間 春 その一

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去年の春から飼っていたミツバチの群れが、この冬を越せずに全滅した。

原因はいくつか考えられる。

秋の採蜜、スズメバチ襲来、厳冬の影響など。

どんな理由にせよ、飼い主である僕が死なせてしまったという反省と後悔をずっと引きずっている。でもそんなことを言っていても蜂たちが生き返るわけではないから、振り返ることで気持ちの変化を期待しつつ、記憶を辿ってみよう。

 

この地域で、養蜂は珍しいことではない。集落の道沿いには蜜堂と呼ばれる巣箱をよく見かけるし、そこからミツバチが盛んに出入りしている姿も観察できる。秋には彼らが集めた貴重な蜂蜜を頂戴することができて、うちもいつか自家製蜂蜜を採ってみたいなあと思い続けていた。

そんな願いが届いたのか、数ヶ月前に知り合いのツテからある養蜂家と繋がり、群れを分けていただく約束を取り付けた。

ニホンミツバチはある条件が整うと、群れが分かれ、先にいた女王蜂の群れが新居を見つけるために元の巣を離れ移動する。これを分蜂と言う。その群れを捕まえて用意した巣箱に誘導し、彼らがその箱を気に入れば、女王は新しい家族を増やし再び蜜を集めるようになる。

分蜂するのは基本的に春の間。しかし蜂たちがいつ行動するかはわからず、「そのときに連絡する」という手筈になっていた。とはいえ、分蜂しないこともあるし、せっかく箱に入っても逃げてしまうこともある。僕にとってはじめての体験であることもあって、そのへんの確率というか段取りというか塩梅というか、とにかく右も左も分からない。もらえたらラッキーと思いつつ、そのうちそんな約束のことも忘れてしまっていた。

しかしゴールデンウイーク最中のある晩、携帯が鳴り、「群れが入ったから取りに来るように」と知らせがあった。

通話を切った僕は躊躇していた。突然すぎて気持ちが準備できてなかったし、自分がミツバチたちの面倒を見られるのかどうか不安だった。「ください」と言っておいて、無責任な奴だと自分でも思う。

急いで車を走らせて現地に行ってみると、真っ暗な庭にぽつんと、出入口を塞がれた重箱式の巣箱が用意されていた。

 

 

続く

 

写真:初期の巣箱。巣箱にはいろいろな種類があるが、これは「重箱式」と呼ばれるスタイル。巣の大きさに合わせて、枠を足していく方式だ。この時点では二箱しかないが、この数ヶ月かけて五段まで成長した。

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みんなのアルバム

バスの車掌さん

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この写真に写っている人は、前回ご紹介した写真「ボンネットバス」の車掌さんとして働いていた窪内花美さん。当時のバスには車掌さんが乗っていて、花美さんは土佐町や大豊町、大川村の路線に乗車していたそうです。車掌さんの制服と帽子、とてもよく似合ってますね!胸には「車掌」のバッチもつけています。

首から下げているのは、車掌さんのカバンと笛です。黒色のガマ口カバンには、バスの切符や切符を切るハサミを入れていたそう。乗ってきたお客さんに行き先を聞き、切符に書かれている行き先にハサミで穴を開ける。そしてお金を受け取る。切符を切る「パチン!」という音が聞こえてきそうです。

「笛は何に使うんですか?」と聞いたら「バックする時、吹くがよ。ピピーッ!ピピーッ!オーライ、オーライ!って」。

この写真は、土佐町西石原地区の旅館「くらや」の前で撮影した一枚です。「くらや」の建物は今も残っていて、当時の街の面影を伝えてくれます。「このくらやに、歌手の村田英雄が泊まった」のだと花美さんは教えてくれました。

この後、花美さんはご結婚され、車掌さんのお仕事は退職されました。「車掌の仕事は楽しかった!」とにっこり、懐かしそうに話してくれました。

 

 

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私の一冊

古川佳代子

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「ソノリティ はじまりのうた」 佐藤いつ子 KADOKAWA

 若い人たちの成長物語は、心躍り励まされ、読後感も良いものが多いように思います。合唱コンクールの指揮者に選ばれた内気な中一の女の子と、彼女を取り巻く同級生たちを描いたこの作品も、そんな心地よい物語でした。

合唱に興味がもてず時間の無駄遣いだと思う子もいれば、なかなかまとまらないハーモニーにいらいらする子もいたり。高校時代は音楽部(合唱部)だったこともあり、自分の体験と重なる部分が多くて、なんだか自分もクラスの一員になったような気持ちで読みました。

音楽に限らず、仲間と一緒に何かを作り上げていく難しさと楽しさ、そしていつしか一丸となってまとまっていく高揚感はぜひリアルな生活の中で体験してほしいのです。けれども、それもなかなかままならぬ昨今。せめて本の中でたっぷりと味わってください。

 

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土佐町ストーリーズ

95年間のキヨ婆さんの思い出 20

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土佐町栗木地区に近藤潔さん(95歳)という方がいます。潔さんは書くことがとても好きな方で、今まで、高知新聞の「あけぼの」というコーナーに何度も投稿されてきました。とさちょうものがたりでは、「95年間のキヨ婆さんの思い出」と題し、土佐町で過ごした思い出を綴ってくれます。

江の口昭和町へ引越し

一学期の終わり頃だったと思う。両親の都合で、昭和町19番地髙知駅の北へ引越しました。江ノ口小学校の近くの周囲には、大きな二階建ての家ばかりでした。学校へは少し遠くなったが20分位で行けるので、今年度が終るまでは通う事にしたのでした。

昭和12年には南国博覧会が開かれていて、ゴム靴を笑われながら、破れたらズックが履けるのにと思いながら、四年生全員で見物に行ったのです。

場所は、当時、柳原の「市のグラウンド」といっていた現在の高知球場でした。初めて渡る沈下橋入口には、大きな高い門が、見た事もないように色々と飾られていて、それだけで胸がワクワクして、入るとすぐ左側に小さな家がありました。

顔も体も真黒、目の玉と歯だけ白い、身長は私位の人が立って居て、恐ろしくて、身震いした記憶があります。

広い会場には、世界中の見た事も聞いた事もない物ばかり、夢の世界の様だった事、84年も昔の事、自分にも信じられません。

そして大好きな兄が居なくなった事。将来のため手に職をと、大阪の散髪屋へ四年契約で行った事。淋しくて涙した事。一人前の職人になり髙知で働いていたが、戦争故の徴用で病死。19才の命でした。きっと兄の寿命を妹達にくれたのかも知れません。やがては天国で会えるでしょう。

 

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私の一冊

鳥山百合子

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「THE NORTH WOODS」 大竹英洋 クレヴィス

「THE NORTH WOODS」は北米大陸に広がる森林地帯の呼称で、世界最大級の原生林の一つ。オオカミやバイソンをはじめ、ホッキョクグマやムースなど野生動物が多く生息し、7000年以上昔から、先住民が狩猟採集の暮らしを営んできた土地です。

写真家大竹英洋さんは20年以上この地をフィールドとし、撮影を続けてきました。その集大成としての写真集がこの「THE NORTH WOODS」です。

この一冊から、この土地に生きる動物たちの息遣いや、この土地に吹いているだろう風の音が聞こえてくるような気がします。

動物だけでなく、アカリスが岩の上に残した松ぼっくりの殻や、雪の上に残されたワタリガラスの羽の模様、湖に張ったガラスのような薄氷など、一見何気ない、でもこの地で重ねられている瞬間を映した写真の数々は、私たちが生きている大地は美しく尊いことを思い出させてくれます。

この土地の先住民アニシナべの民であるソファイア・ラブロースカスさんが、この写真集に文章を寄せていますが、その中に「彼は、わたしたちに、そして、多くのコミュニティとそのテリトリーに、いつも多大なる敬意をはらってきました」という一文があります。

アニシナべの民は、祖先からの知恵や教えを口伝えの物語として受け継いでおり、物語を語り、聞き入ることは未来への命綱だといいます。ソファイアさんは「その物語を信じてくれてありがとう」と大竹さんに伝えています。

その一文を読んだ時、この写真集から伝わってくるのは「THE NORTH WOODS」という土地の素晴らしさはもちろん、何よりも大竹さんの人間性なんだとあらためて思いました。

ある場所に足を踏み入れるとき、この地で脈々と引き継がれてきた営みや文化に敬意を払うこと。決して驕り高ぶらず、謙虚であること。目の前の人と丁寧に向き合うこと。その姿勢は人との関係を作り、互いを理解するためにとても大切なことのように思います。

「THE NORTH WOODS」。今この瞬間もこの土地で動物たちは生き、太古の昔から暮らし続けている人たちがいる。そう思うだけで、ちょっと前を向く元気をもらいます。

 

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ほのぼのと

ここだけの話

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「ここだけの話にしちょってね!」

何と!魅力的な言葉でしょう。そこに居合わせた人だけの、ないしょの話。連帯感が、安心感に繋がっていきます。

でも、一回、自分の口から飛び出した言葉は、自由に動き回り、どこかで、脚色され、尾ひれがついて、帰ってきたときには、とんでもない話になっていたりすると、覚悟しなければ…。

・・・しかしながら・・・

10年前の、「ここだけの話」。

何だったか?果たしてその約束を守ったのか?そもそも、どんな話があったのかすら思い出せないのに…。などとも、思いながら、

今日の、私の「ここだけの話」。

よく、新聞に出てくる言葉に、「為政者」という言葉があります。私は、この言葉を、ずっと、「ぜせいしゃ」と、読んでいました。

・・・でも、なんかおかしい???・・・

最近便利なスマホで調べてみると、

あっ!

「いせいしゃ」だったんだぁ~(笑)そりゃ、そうやねぇ~。「為」を、「ぜ」と読むことはないよねぇ~。

他の人に知られる前に気づいて

・・・ほっと・・・

 

ところが、先日、最近始めた「短歌会」の先生の「歌」に、

「・・・の“普請”が・・・」

という箇所がありました。

私は、あろうことか、先生の前で、堂々と、

「・・・の“ふぜい”が・・・」

と読んでしまいました。しばらく、その「歌」について、お話をしていると、

先生が、申し訳なさそうに・・・

「普請は、“ふぜい”じゃなく、“ふしん”・・・です。」

・・・と・・・

 

今更ながら、若い時、もっと勉強していたら、良かったのになぁ~!と、取り返しのつかない後悔で、いっぱい。

「ここだけの話」には、失敗を誰かに共有してもらいたい願望も、含まれているのかも(笑)(笑)

それにしても、私は、「ぜ」という読み方が好きなんでしょうかねぇ~。

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私の一冊

山門由佳

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「海のアトリエ」  堀川 理万子・著 偕成社

ちょっといろいろ、いやなことがあって、学校に行けなくなった主人公の女の子が海のそばに住む画家の女の人と暮らした一週間だけの夏のひとときの物語。

朝、いっしょにふしぎな体操をして、海に散歩にでかけて波の音を聞いて風に吹かれる。絵を描いたり、ねことあそんだり、昼寝したり本を読んだり、考え事したり‥ そのうちとおくの海と空がオレンジ色になったら、香りのする水で乾杯をして…。

画家の女の人は、女の子に何があったのか問いただすこともなく、ただただそばにいて同じ時間を過ごす。自然のリズムに耳を傾け、様々な創作活動を通して女の子の心は癒やされ元気を取り戻していく。たった一週間だけの共同生活が、永遠にその少女の心を支える特別な思い出となる。

心がちぢこまって窮屈なように感じたら。感性を刺激され、やわらかで自由な心を取り戻せるセラピーのような一冊だと思いました。

 

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みんなのアルバム

ボンネットバス

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このかっこいいボンネットバスを見てください!昭和30年代に、土佐町で走っていた高知県交通のボンネットバスです。

このバスは、土佐町と同じ嶺北地域内の大豊町「大杉」行き。バスの横の表示には「田井-大杉」とあります。土佐町の中心地「田井」から大杉行きのバスが出ていたのですね。

各家に車がなかった時代、貴重な移動手段として、たくさんの人たちを運んでいました。現在は乗用車で約30分くらいの道のりですが、当時はお客さんが乗ったり降りたり、もっと時間がかかっていたことでしょう。

これは、土佐町の窪内花美さんが見せてくれた写真です。写真のバスの乗降口に立っているのが窪内さん。窪内さんはバスの車掌さんをしていました。

当時は「バスの扉が閉まらないくらい人が乗ってねえ、閉まらないのにそのまま走っていた。今やったら問題やろうねえ」と話してくれました。

 

 

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