私の一冊

 

 

山の人、町の人。先祖代々住む人、都会から越してきた人。猟師さん、農家さん、森の人、職人さん、商店さん、公務員…。

人口4,000人弱の土佐町にはいろいろな人がいて、いろいろな人生があります。

土佐町のいろいろな人々はどんな本を読んでいるのでしょうか?もしくは読んできたのでしょうか?

みなさんの好きな本、大切な本、誰かにおすすめしたい本を、かわりばんこに紹介してもらいます!

(敬称略・だいたい平日毎日お昼ごろ更新)

私の一冊

古川佳代子

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「スィート・メモリーズ」 ナタリー・キンシ―=ワーノック作, 金原瑞人訳 金の星社

だれもが忘れられない“美しい素敵な思い出”を持っていると思います。 わたしの思い出は、体が大きくて無口で少し怖い祖父と、どうしてだか家の周りのウバメガシを一緒に剪定することになってしまった時のこと。

切る枝選び方とどのように鋏を入れるのか。簡単に習った後はただひたすら、ちょきちょきちょき…。気づまりで緊張していたのが少しずつ平気になって、祖父と鋏の音で会話している心持になった時間が、今は大事な思い出です。

20年ほど前、この本を初めて読んだとき、鋏の音が通奏低音のようにちいさく聞こえてきました。楽しみにしていたことが流れてしまった残念さ。好きと嫌いの狭間を行ったり来たりする女の子。なにげないエピソードの積み重ねから生まれる幸福な読後感。

久しぶりに読み返したら「佳代ちゃんの切ったところがいちばんきれいじゃねぇ」と言ってくれた祖父の声がして、しばらく余韻に浸ったことでした。

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私の一冊

田岡三代

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「外来植物  高知嶺北A・高知嶺北B」 山中直秋

やっぱり、「花」って可愛い。そこら辺にある雑草なのに、懸命に咲き誇っています。その草花へのあたたかい視線が感じられる本。

外来植物採集家として日々活動している「山中直秋」さんが、ご自分の足でこつこつと嶺北の「外来植物」の写真を撮り続け、昨年本にまとめ上げ、好評を博しました。

次回は嶺北の「在来植物」の写真集を出す予定だそうで、乞うご期待!です。

 

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私の一冊

西野内小代

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「きいろいゾウ」 西加奈子 小学館

10年程前に頂き、絵本のようなタイトルが気になりつつも読まずにそのまま…。この本の舞台とよく似た環境の土佐町で生活する今、内容がほどよく心に浸透してきます。

主人公は田舎に移住してきた若夫婦の二人です。まったりとした日常を描いていますが、妻側からの視点と毎日寝る前に部屋にこもり日記を書いている夫側の視点、同じ事象を二人各々の観点で描かれています。妻は少し精神不安定、夫は背中に彫り物があるけれども、反社会的勢力の人ではなくごくごく穏やかな精神の小説家。きいろいゾウは妻の不安度が増した時、要所要所に登場します。大人びた不登校の児童、これは分別・理性を具象化した存在だと推察します。

一波乱あり、夫の彫り物の謎も解け、やはり普通のちょっとした日常の安らぎのなかに安定した幸せ・普遍的な愛情が存在するのだと導かれます。

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私の一冊

川村房子

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「幸福な生活」 百田尚樹 祥伝社

久しぶりにこの作者の本を読みました。

発売されると待ちかねるように読んでいましたが、メディアに顔を出すようになってちょっと敬遠。でもやっぱりおもしろい。

表面上は幸福な生活に見えても、それにはほど遠いドキッとするおちでちょっと怖い。

18の短編からできています。

「おとなしい妻」では、早苗はものすごく気の弱い女で、美人ではないけれど童顔で笑うと愛嬌のある、そんな妻を愛していた。頬をはらした男がどなりこんできたが、妻はしらないとうつむいて首を横にふるが、モニターをみると歴然。精神科での診察を受けた後、夫は医師と話していると、待合室から男の怒鳴り声。

看護師がなだめても「やかましい、ぶっ殺すぞ」

「やっかいな患者さんですね」夫が言うと、医師は少し困った顔で言った。

「貴方の奥さんですよ」

ないようであるような怖い話の連続です。

 

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私の一冊

矢野ゆかり

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「風の谷のナウシカ」 宮崎駿 徳間書店

ご無沙汰しております、皆様お久しゅうございます。私の1冊のレアキャラ、沈黙のゆかりでございます。

COVID-19も第1波をなんとか落ち着き、薫風を背に梅雨前の湿気を肌に楽しむ日々です。ナウシカの世界でも、火の7日間の前も後も、過ぎさる季節をそれぞれの形で味わっていたのではないでしょうか。

COVID-19の緊急事態宣言により、都会ではテレワークや休業で休みとなり、普段家族と過ごす時間の少ない人も多くの時間を在宅で過ごさざるを得なくなりました。まさかまさかそれによって、DVや虐待が増加し、ネットでの誹謗中傷の件数も増えるとは、考えつきもしませんでしたが。先日はネットでの誹謗中傷により、女子プロレスラーの方が自殺に追い込まれてしまいました。心よりお悔やみ申し上げるとともに、ネットで何かを発信する1人の人間として改めて責任を感じることとなりました。

土佐町ではその頃、ほとんどいつもと変わらない暮らしがおくられていました。もちろん、保健・衛生 ・医療・接客に関わる方々等は細心の注意を払っていらっしゃいました。小中学校、高校も休校でした。私達も不要不急の外出は控え、常にマスクを着用し、手洗い・うがいと消毒を欠かしませんでした。でも普段と同じく朝を迎え迎え夜は寝る。野も山も春。山菜を取り、農床をし稲の芽は出て、田には水がはられ、田植えをする。各家庭の畑や庭に手入れをし花が咲き乱れ、八十八夜のお茶を摘む。今日は私の部屋から蛍が飛んでいるのが見えました。私はCOVID-19が、初めからそこにいたような錯覚に囚われました。確かに病というものは幾千幾万とあり、その中に人間が罹ってしまうものがある。とすると、共存していくしかないじゃないかと思うのです。そして何よりも恐ろしいのは、COVID-19といった病でなく、人そのものだと気づいた時、ナウシカの中に似たシーンがあったことを思い出したことでした。まだそのシーンは先なのですが(笑)。

さて、前回のつづきから、3巻の真ん中あたりのお話からです。ユパ、アスベル、ケチャが乗った船が墜落した場所を土鬼の戦艦が発見し、蟲使いに生死を確かめさせています。そこに現れたのは"森の人"。蟲使いにとって森の人は尊び敬う貴人のです。土鬼の上官の命令を無視して退散してしまいました。そして、ユパ、アスベル、ケチャは森の人に保護され、彼らの生活に腐海のことを知っていきます。

一方ナウシカは、トルメキア軍最南端拠点土鬼サパタ土侯国の都城の、原隊に合流します。戦場の様子は圧倒的にトルメキアが不利、進路も退路も絶たれ、籠城を余儀なくされている状態でした。この拠点に配属された兵は、元々クシャナ子飼いの最速の機動力を誇る精鋭騎兵たちです。父王と兄皇子の謀略によって、己のことしか見えていない将軍の元に配属され、最前線のこの都城の守りを任されたのでした。守りより攻めることに重点を置かれた彼らにとって、それは暗にそこで死ねという露骨な厄介祓いでした。そこにクシャナが合流したことで、彼らの目には生気が戻りクシャナ自身もまず目標への1歩を踏み出せたようで瞳に強さが漲ります。

一方ナウシカは捕虜にされたサパタの人々を目にします。トルメキア兵は、捕虜を本国で売り、奴隷として労働力にすると言います。そこにはどんな正義もなく、ナウシカはクシャナにサパタの捕虜を解放するよう直訴します。クシャナは解放する旨の書類になんの躊躇いもなくサインしますが、『手を汚すまいとするお前の言いなりになるのは不愉快だ 戦友としての忠告ならきかぬでもない』と言い放ちます。私ここで(さすがクシャナ殿下!!)と感動してしまいます。サパタの人々を捕虜にしたのはクシャナの部下たちです。そこにどんな正義があろうともなかろうとも、何かしらの代償をはらわなければ、今まで戦った部下たちに申し訳がたちません。クシャナ自身が部下2000人の命以外に興味が無くとも、戦友の忠告という大義名分が必要だったわけです。しかしながら、ナウシカの類まれなる戦闘力や不思議な力を知るクシャナが、サパタ攻略にナウシカを出陣させないはずはないので、冷酷無慈悲な"白い魔女"の異名は伊達ではないなと感心しきりです。

さて、戦闘シーンは割愛します。理由は簡単。私ごときの文章力で説明するとめちゃくちゃダサいからです。無粋です。

ただナウシカは、ここで正気のまま人を殺し(以前は怒りで我を忘れていました)、今まで共に居たカイを失い、深く傷つき心に晴れることのない影を抱くこととなります。そして4巻の冒頭で、ナウシカは深い悲しみに溺れてしまう前に、テトと共にメーヴェで舞い上がりました。ナウシカは人の醜さを自身の罪深さを知ってなお、まだ先を見すえて命と向き合って進んでいきます。王蟲の言う南の森の謎と大海嘯を鎮めるために。この先で多くの命が失われることがないように。自分の心の奥底に影を抱きつつも、前に前に飛んでいきます。

ではこの辺で、筆を置きます。また次でお会いしましょう。

何時になるかは悪しからずお待ちくださいませ(笑)

最後に

COVID-19と戦う様々な分野の方々に深い感謝を。失われた命にどうぞ安らぎを。

  

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私の一冊

古川佳代子

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「舟を編む」 三浦しおん 光文社

 

本好きの人間にとって決しておろそかにしてはいけない書籍に「国語辞典」があります。

その中でも私の宝物は岩波書店の『広辞苑 第6版』。10センチはあろうかという分厚い辞書ですから持ち運びには不便なのですが、この中にありとあらゆる言葉がぎっしりと詰まっているかと思うとそれだけでありがたく、顔がにやけてしまいます。

けれども、そのありがたい辞書がどのようにつくられるのかについては、全く知りませんでした。その過程をドラマティックに示してくれたのがこの『舟を編む』。

言葉に対するずばぬけたセンスを見こまれて、辞書編集部に引き抜かれた青年を中心に綴られる、エキサイティングで地道な作業の数々の愛おしいこと。 できることなら、来世は辞書作りに関わってみたいなぁ。

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私の一冊

鳥山百合子

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「もりのへなそうる」 わたなべしげお作, やまわきゆりこ絵 福音館書店

このお話は、てつたくんとみつやくんの兄弟が森へ探検へ出かけ「でっかいたまご」を見つけるところから始まります。次の日、また森へ行くと、たまごのあったところに立っていた「へんなどうぶつ」。それが、へなそうる。「ぼか、へなそうるのこどもだい」と胸を張って答えるところがとても良いのです。

てつたくんとみつやくんと仲良くなってかくれんぼをしていると、お腹を蚊に刺されたへなそうる。初めての経験に驚きながら「かに(へなそうるは蚊を蟹と言っている)にさされたよう!バンデージはってよう!」とお腹をぼりぼりかきながら、大きな声で二人に伝えます。

最近、2年生の娘とこの本を読んだのですが、へなそうるが蚊にさされたページを声にした時、私自身がこどもだった頃のことが思い出されました。多分、私をはじめ2人の弟たちにもせがまれたのでしょう、私の母はこの本を何度も読んでくれました。バンデージを貼ってほしいと必死に訴えるへなそうるが何だか気の毒でたまらなかったこと。「バンデージ」はバンドエイドのことで、同じ物なのに色々な言い方があるんだなと子ども心に思っていたこと…。記憶の中の母の声色と共に蘇りました。

そしてもうひとつ。てつたくんとみつやくんのお母さんが作ってくれるお弁当が実に美味しそうだったのです。

「いちごをとんとんとうすくきって、それに、はちみつをとろとろっとかけた」サンドイッチ。「たらこをやいて、それをほぐして、ごはんにまぜて、きゅっきゅっきゅっとにぎって」作ったおにぎり。

いちごの赤色とはちみつの黄金色、たらこの粒々が目の前に現れてきたのは娘も一緒だったようです。

「いいなあ。いちごのサンドイッチ、今度作ろう」

近いうちにサンドイッチを作ってみようと思います。

一緒に読んだという記憶は、新しい楽しみをつくってくれます。

 

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私の一冊

石川拓也

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「NEUTRAL COLORS」 2020 SPRING ISSUE 1

できたばっかり届いたばっかり。新しい雑誌「NEUTRAL COLORS(ニューカラー)」の創刊号です。

東京に住んでいた頃からの友人であり、旅雑誌「TRANSIT」の元編集長・加藤直徳氏が「手作り」と呼びたいぐらいの熱量で作った雑誌。創刊号のテーマは「インド」です。

一冊まるまるインドのことばっかり! しかも旅のガイド本ではなく、もっともっと突っ込んだインド文化・インド体験の一冊です。ひとことで言って「見たことない本」。

かく言う僕も、以前住んだニューヨークからインド、土佐町へと続く旅の記録を寄稿させてもらいました。

近年、よく思います。「出版する」という行為の本質的な目的ってなんだろう? 出版物がこれほど溢れている世界で、でも出版界は青色吐息で、なんのために本を出版するんだろう?

タマネギの皮を剥いていくように考えを巡らせば、中心に残るのはきっと「伝えたい」「世に問いたい」というシンプルな欲求であると思うのです。

それがいつしか業界ができあがり巨大システムができあがり、そのシンプルな欲求はあとまわしにされることが増え、「出版する」ことは周縁の人々の「利益発生装置」としての役割が最優先にされるような、動機なき行為と化してしまったのではないでしょうか?

この創刊号の表紙には「自分でつくると決めたインドの朝」とあります。

「作りたいから作るんだ」「伝えたいから作るんだ」そんな出版人の雄叫びが凝縮したような一冊。スーパー個人的な理由ですが、手元にあるだけでなんとはなしに嬉しくなる本なのです。

 

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私の一冊

古川佳代子

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「王国  その1  アンドロメダ・ハイツ」 よしもとばなな 新潮社

よしもとばななの小説に出会ったとき、これはすごい!と心の底から思いました。

『とかげ』『キッチン』『TUGUMI』…。出る端から読み漁り、読み終えればひたすら次を待つ。ずいぶん長い間「よしもとばなな病」を患っていたのですが、いつしかぱたりと縁が切れ、ご無沙汰していました。

再び「よしもとばなな病」を患うことになったのは、山の中で素敵なカフェを営む友人から「この本について語り合いたいから読んできてよ」とこの『王国』を渡されてから。 久々に読むばなな作品は新鮮で面白く、瞬く間に引き込まれてしまいました。

山奥に居を構え、薬草のお茶で病をいやす祖母との暮しから一変し、都会でくらすことになった18歳の少女雫石(しずくいし)。 雫石と目の不自由な占い師・楓との運命的な出会いからはじまる不思議な関係、ばなな作品特有の家族以上に親密な疑似家族の細やかな描写…。1巻を読み終えた後、続きを借りてこなかったことをどんなに悔やんだことか…。

よしもとばなな、やっぱりよいなぁ!

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私の一冊

田岡三代

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「綴る女  評伝・宮尾登美子」 林真理子 中央公論新社

宮尾登美子さんは、高知市出身の作家であるにもかかわらず、私は、一冊も読んだことがありません。

しかし、先日、この本を本屋さんで見かけた時、宮尾登美子さんとはどんな人だろうと興味津々となったのです。

宮尾さんは、高知市生まれ、父親の職業は「芸妓娼妓紹介業」。それだけでも、人格形成に大きな影響を与えたに違いないと思うのですが、その後、結婚、離婚、借金、再婚。そして、高知市での生活を捨て、東京へと…波瀾万丈。

その間、作家として書き続け、やがて、「一弦の琴」「陽暉楼」「櫂」「鬼龍院花子の生涯」「天璋院篤姫」などなど数多くの作品が映画化され大ヒットするなど、「宮尾ワールド」を築き上げていった。…と書いてありました。

私も、やっぱり、宮尾さんの本を読んでみようかな。

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