2020年3月

 

 

山の人、町の人。先祖代々住む人、都会から越してきた人。猟師さん、農家さん、森の人、職人さん、商店さん、公務員…。

人口4,000人弱の土佐町にはいろいろな人がいて、いろいろな人生があります。

土佐町のいろいろな人々はどんな本を読んでいるのでしょうか?もしくは読んできたのでしょうか?

みなさんの好きな本、大切な本、誰かにおすすめしたい本を、かわりばんこに紹介してもらいます!

(敬称略・だいたい平日毎日お昼ごろ更新)

私の一冊

古川佳代子

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「空色勾玉」 荻原規子 徳間書店(初版:福武書店)

その昔、朝日新聞紙上に「ヤングアダルト招待席」という書評コラムがありました。そこで英米文学の翻訳家で本の目利きでもある金原瑞人氏が熱を込めて紹介されていたのが、荻原規子さんのデビュー作『空色勾玉』でした。

ファンタジ―が大好きで、金原さんの選書眼に一目置いていた私はすぐにこの本に飛びついたのですが…。いや~、面白かった!

英米のファンタジーに比べると日本のファンタジーってどこかドメスティックというかちょっぴり貧乏くさくて(失礼)もの足りないなあと思うことが多かったのですが、これは違いました。 古事記を下敷きに紡ぎだされた世界は、そこに流れる空気感、森羅万象すべてが違和感なく肌に馴染み、親しみ深く、言の葉の国に生まれてよかったと思いながら読み進めていきました。

対立する闇(くら)の一族と耀(かぐ)の一族、彼らが敬うそれぞれの神の思惑に翻弄される水の乙女・狭也(さや)と神の末子の稚羽(ちは)矢(や)。旅あり恋あり裏切りありの波乱に富んだ物語を心ゆくまで堪能し、ファンタジー好きの友だちに端から薦めていったことでした。

デビュー20周年の年に、荻原さんを高知こどもの図書館主催の講演会にお招きできたのは、ファン冥利に尽きる懐かしい思い出です。

古川佳代子

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くだらな土佐弁辞典

そそろがたつ

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そそろがたつ

意味:とげが刺さる

 

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私の一冊

鳥山百合子

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「もりのひなまつり」 こいでやすこ 福音館書店

のねずみたちに「森のひな祭りをしたいからおひなさまを連れてきてほしい」と頼まれたねずみばあさんは、おひなさまを連れて森へ向かいます。

「はるかぜ ふけふけ ヤーポンポン
めをだせ はなさけ ヨーポンポン
きょうはもりのひなまつり
ピーヒャラ ピーヒャラ ピーヒャラ ポン」

こどもたちとこの絵本を読む時、森のひなまつりで歌われるこの歌を、私はなかなか良い感じに歌えます(笑)

そして、絵本のお話とはまた違ったところで、一冊の中のあちこちに散りばめられているこいでさんの“遊びごごろ”を探すのがいつも楽しみです。

ねずみがしているどんぐりの首飾りを、いつのまにかおひなさまが首に下げていたことに気付いた時の驚きといったら!

その首飾り、最後は誰が手にするでしょう? ぜひ探してみてください。

こういったところからもこいでさんという人のお人柄や、世の中を見つめる眼のあり方が感じられて、何だかとても親しみを覚えます。

鳥山百合子

 

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4001プロジェクト

高橋通世・輝さん

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とさちょうものがたりが長年に渡りお世話になっている上津川の高橋通世さん。

これまで「撮影協力」として多くの記事にお名前を記載させていただきました。

通世さんは山の人。猟に連れて行ってもらったり、ハチミツの収穫を体験させてもらったり、本当に多くのことを教えていただきました。

絵描きの下田さんが土佐町を訪れた際に、愛犬のビーグル輝さんと一緒に撮影しました。犬小屋付近に見える後ろ姿は夏さんです。

 

 

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私の一冊

西野内小代

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「ほがらかに品よく生きる」 斎藤茂太 新講社ワイド新書

劣等感は捉え方の問題であり、自信を持って受け止める。

不安が消えるように挑戦・努力する事によってチャンスとする。

年齢を重ねるという事は選択の範囲が狭くなるのではなく、やりたい事を絞り込んで行く過程であり、自分の世界を確立できる時期である。

等々ポジティブな方向へと思考を転換し、ストレスと上手に付き合うコツをサラッと気付かせてくれました。

西野内小代

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山峡のおぼろ

水車の幻想

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今は簡単に米が搗けるようになって姿を消したが、かつては山峡の村のあちこちに水車があった。それは生活に大変必要な役割を持っていた。

川のほとりの適当な場所に水車小屋を作り、近くの水を堰き止める。その堰を「車堰」といった。そこから小屋へ水路や樋で水を引き、小屋に付いた水車を回す。その水車の回転力が、小屋の中の杵を持ち上げて搗く。

水車は何戸かが共同で持ち、交代で使った。朝から翌朝まで使うのが普通だった。

小学生の頃から、祖母を手伝って、よく水車に行った。朝、玄米の入った米袋を、祖母の半分ぐらい背負って行き、夕方か翌朝、搗けた米を取りに行く。

時には夜になって、
「朝まで置いたら搗き過ぎるかもしれん。水路の水を半分ぐらいに減らしてきて」
と言われ、一人で提灯を持って水車小屋に行った。戦時中で懐中電灯などはなかった。提灯を持って一人で行くのが妙に楽しかったので、子どもが処理できる用件の時は、夜でも大体一人で行った。

提灯はろうそく一本の明かりだから、少し離れた場所は薄ぼんやりとしか見えない。

歩いて行く途中の岩や木などが、動物や人などに見えたりする。提灯を動かすと、それが微妙に変わるのが面白かった。その先は真っ暗だが、怖いとは思わなかった。

ある時は、歩く後ろの闇に青白く光るものが動いていた。動物の目だと思ったが、猪のように大きいものではなかった。

それが段々と近付いてきて、姿がぼんやりと見えるようになると、家からついてきた猫だった。淋しかったのか、私の足に身をすり寄せて鳴いた。抱き上げるとまた鳴いた。

水車小屋に入ると、ねずみの気配でも感じたのか元気に走り回ったが、ねずみは見えなかった。

蛍のシーズンには、提灯の灯を消してやると、幾つかの蛍が寄ってきて、目の前で舞ってくれた。

秋には、くつわ虫とすず虫がよく鳴いた。

くつわ虫は、提灯を近付けると一瞬鳴き止むが、またすぐに鳴いた。とまった葉をかすかに振動させて、ガチャガチャと賑やかに鳴いた。

くつわ虫と対照的なのが、すず虫である。

リーンと鳴く音はどこから来るのか判らず、提灯を突き出して探し回り、やっと石垣の中で鳴いているのを突き止めた。明かりが弱いので、姿は見えなかった。

そのため、ろうそくをはずして石垣に近付け、中を見るとすず虫がよく見えた。灯を逃げるように後ずさりしながらも、鳴き続けていた。限られた区画での幻想のようだった。

これよりも少し地味だが、こおろぎも鳴き続けていた。

冬には道端の雪が、提灯の明かりで薄黄色に変わったりした。

春にはふきのとうの影が、五重の塔みたいに見え、さらに提灯の位置をあちこち変えて、影が微妙に変化してゆくさまを楽しんだ。

このようにして水車への夜の行き帰りに、足をとめる楽しみが季節ごとにあった。

水車のきしむ音も、杵が米を搗くリズムのよい音も、山村での欠かせぬ生活音とでも言えるものだった。

それは相当な年数を経た今も、耳にこびりついている。

 

撮影協力:和田登美恵さん

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私の一冊

川村房子

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「一切なりゆき」 樹木希林 文藝春秋

とても味のある女優さんだったことはいうまでもなく、言葉のひとつひとつがユーモアがあって楽しくて力強い。

『亭主と顔を合わせるのは年に一回か二回。スーツを新調したいというから付き合ったら「お前もなんか買え。お店の人にも生活があるのだから」って怒るの。3万円しか財布に無くても100万円使う。人のお金と自分のお金の区別がつかないだけで私よりずっとノーマルな人です』

そう思って言いきれるのが不思議。

「全身ガンなの」とはテレビでも聞いたことがある。ガンは逃げたって追いかけてくるのだから、やっつけようとすれば自分の体もへたばっちゃう。だから逃げることもせず、やっつけもできないからそのまんまいるって感じ。

私にそんなことできる??大声で泣き叫びながらあがいて戦う。力尽きてしまったとしても。

母から娘への言葉として「おごらず、他人と比べず、面白がって平気に生きればいい」。

その言葉が、心に残る。

川村房子

 

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くだらな土佐弁辞典

みぞい

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みぞい

【形容詞】短い

例:足がみぞい

 

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私の一冊

矢野ゆかり

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「風の谷のナウシカ」 宮崎駿 徳間書店

ご無沙汰しております、ゆかりです。今回書こうとしている物語が、あまりにも超大作、且つ、長編の名作で二の足をふんでおりました。作者の有名さもさることながら、ある映画の原作でもあります。

「風の谷のナウシカ」、原作漫画は宮崎駿。実は映画にするため原作として漫画を書いたのですが、映画は原作7巻の内2巻までの内容しかありません。更にその2巻の内容と映画とはほぼ別物です。「風の谷のナウシカ」のアニメはほとんどの日本人が1度は目にしたことがあるでしょう。しかし、原作は?どうでしょう。読んでみてわかったことは、とにもかくにも、宮崎駿氏という物語りの紡ぎ手は(他の作品群もそうですが)、膨大な知識に基づく想像力と激情といったエネルギーの坩堝なのだということです。

今回は自分でこれを書くと決めたものの、胸がいっぱいになりすぎてまとまりません。ですので「風の谷のナウシカ」という1つの物語を私なりにわけて書いていきたいと思います。今回は1巻と2巻です。

ジブリ作品の特徴のひとつだと思いますが、どんな端役の人物にも人生を歩んできたという描写があります。それは死に際の声であったり、目付きであったり、言葉で説明するよりも雄弁に人柄を表現します。主人公であるナウシカの描写は、まるで著者が彼女自身になったかのように克明に描写されます。そのため読者もナウシカ自身になったかのように怒りに燃え、喜び、慈しむことができるのだろうと思います。「風の谷のナウシカ」についての世界観は大体分かると思いますので、割愛します。ですが、現存する菌類・粘菌の生態や、自然のサイクルをモデルにした"腐海"と、中世ヨーロッパぐらいの文化度という世界観も、読者に違和感を与えず物語に没入させる物語のつくりだと思います。

「風の谷のナウシカ」の中に、私の好きなシーンはあまた星のごとくありますが、1巻ではP49からp67あたりが、かなり濃く印象に残っています。このシーンのポイントは"ナウシカが己のもつ感情の激しさに気づいたこと"なのではないでしょうか。P61で剣を構えるナウシカを見てユパは以下のように表現しています。"これがあのナウシカか……攻撃衝動にもえる王蟲のようにのように怒りで我を忘れている"。腐海を愛で、風の谷の住民を愛す心優しい彼女を知り、彼女の師でもあるユパにとって相当な衝撃だった事が、表情からも見受けられます。そして次のページで、彼女はトルメキアの重装備の親衛隊騎士を相手に圧倒的戦闘センスで翻弄します。長剣で戦斧をかわし、足場にして上に間合いをとり、騎士の脊髄に短剣を突き刺します。そして地面に着地し、なんと「フッ」と笑みを浮かべるのです。そして着地した返す力で「とどめ!!」と首を狙って踏み込むところで、ユパが仲裁に入るのです。剣士の命である右腕1本を犠牲にして。そこで初めてナウシカは我にかえることができます。初めてトルメキア第四皇女クシャナと出会うのはこの場面です。この巻ではアスベルとの出会いや、王蟲と深く心を通わせるシーンが印象的です。

次に2巻。ここではアニメにはない、物語上とても重要なポイントがあるので解説しておきます。また、他の説明が必要な点についても補足しておきます。

・トルメキア王国。首都はトラス。現国王はヴ王。3人の王子と前王の血を引くクシャナ。王位継承は多くが簒奪によってなされてきた。腐海のほとりの辺境諸国は同盟国だが、自治権の保証と引き換えに事実上は属領であり、戦時は招集令によって族長が参戦する盟約がある。

・土鬼(ドルク)、正式名称:土鬼諸侯国連合。首都は聖都シュワ。神聖皇帝である王兄ナムリス、王弟ミラルパが頂点に君臨するが、超常の力をもつ王弟ミラルパが実権を握る。父王の代からある宗教を利用し、政教一致となっている。皇帝領、7つの大侯国を主に計51の国から成り立っている。各国の族長、官僚、科学者なども僧会という宗教団体に属している。族長は僧正の地位に着く。

さて、広がる腐海のために、現在この国々はお互いを併合しようと戦争を繰り広げているわけです。2巻ではナウシカとアスベルが腐海の底から脱出した際に、土鬼のマニ族と出会います。戦闘になる訳ですが、実はここからアニメの王蟲が押し寄せるシーンに繋がっていきます。この巻で気に入っているシーンがあります。P36~P37の部分です。アスベルの思い切りの良さは痛快で、ナウシカを逃がした時に抱きつかれてぽかんとする描写は滑稽で(怒ったマニ族の戦士にボコボコにされていますが(笑))、状況は切迫しているのにあまり死の影がみえないのも好きです。そしてマニ僧正はナウシカを下記のように評します。"ほほほ まるでツバクラメ(おそらくツバメのこと)のように いってしもうたな イイ子じゃ……やさしさと猛々しさが混然として奥深い"マニ僧正は盲目ですが超常の力があり、ナウシカと心を通わせていました。彼女の中にある強い怒りの心や衝動と、親しみや慈悲や愛する心を感じていたのでしょう。

  どうしてナウシカはこんなに魅力的なんでしょう?

彼女は迷い惑いますが、己を偽らない。かと言って己の思うまま、自分勝手に生きている訳でもありません。彼女の背には様々なものが乗っています。族長として負う風の谷の民の命、戦場で守りたい命・失わせたくない命、心通わせる王蟲や虫たちの命。そして命を奪うことの業。そして腐海の生まれた意味を知りたいという彼女自身の命題。彼女は全ての責任を放棄しません。もがきながらも、その背にあるものをこぼすまいと足掻く姿は物語を読むこちらが辛くなります。しかし、彼女は笑顔を忘れません。たとえそれが心からのものでなくても、自分を奮い立たせるように微笑みを浮かべるのです。だからこそ読み手も何とか、彼女の旅路についていけるのではないでしょうか。

ただ、書評という点で彼女と歩みを見るためには、時間をかけて必死においかけておいかけていくものでした。やっとここまで追いつけました。またここから一生懸命がんばります。

矢野ゆかり

 

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4001プロジェクト

高石清賢・美和・和佳・昌悟 (上ノ土居)

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上ノ土居の高石清賢さんとご家族です。

撮影したこの日は記念日。2月23日に、上ノ土居の集会所で清賢さんの還暦のお祝いをしました。町の内外からすごい人数が集まってワイワイと盛り上がっていました。会の合間にご家族に出てきていただいて撮影した一枚です。

清賢さんがこれまで歩んできた道が垣間見えた会でもありました。

 

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