2021年9月

 

 

山の人、町の人。先祖代々住む人、都会から越してきた人。猟師さん、農家さん、森の人、職人さん、商店さん、公務員…。

人口4,000人弱の土佐町にはいろいろな人がいて、いろいろな人生があります。

土佐町のいろいろな人々はどんな本を読んでいるのでしょうか?もしくは読んできたのでしょうか?

みなさんの好きな本、大切な本、誰かにおすすめしたい本を、かわりばんこに紹介してもらいます!

(敬称略・だいたい平日毎日お昼ごろ更新)

私の一冊

川村房子

Share on FacebookTweet about this on TwitterEmail this to someone

 「魔笛」 野沢尚 講談社

我が家の本棚にあった一冊。迫真のサスペンスと書かれているので、私が買って忘れたとは思えない。

渋谷のスクランブル交差点で爆弾テロ。犯人は新興宗教の信者であった照屋礼子。元は公安警察が送り込んだ警察庁警備局の警察官。それを追うのは刑事鳴尾良輔。夫殺しの取調べをした犯人の妻藤子と獄中結婚をしたという複雑な事情をかかえている。

一方、内密に事を収めたい公安も黙ってはいない。次の爆弾テロの予告。鳴尾が犯人への糸口をつかんだことで、手錠で繋がったまま爆死したいと望んでいるのじゃないか、複雑な思いを抱いているのじゃないかと心をいためる藤子。

礼子は、身代金をのせた車を東京中、走らせ警察の目を集中させておいて、全く違う場所に爆弾を仕掛けた。来るともこないともわからない、きっと来る鳴尾の到着を待っていた。情念とも怨念ともわからない。いろいろな思いや行動がからまりあいながら解決へ。

読みすすめるうちにオウム真理教がダブってみえてきたりする。

 

 

Share on FacebookTweet about this on TwitterEmail this to someone
笹のいえ

くるみ

Share on FacebookTweet about this on TwitterEmail this to someone

五月、我が家に子猫がやってきた。

友人が保護している子猫の里親募集投稿をSNSで見た長女が「コネコ可愛い、飼いたい!」と言い出したのがきっかけだ。

「子猫はいずれ大人の猫になるんだよ」と諭したのを理解したのか、してないのか、「大丈夫、ちゃんと世話するから」と自信満々の彼女を信じて引き取ることにした。

猫に詳しい友人は、うちに居る雄猫との相性を考えて、一週間のお試し期間を設定してくれた。七日間一緒に暮らして問題が無ければ、無事家族として迎えることができる。

やって来た三毛猫は生後一二ヶ月。先輩猫であるいねおがどう反応するか分からなかったので、室内に小さなゲージを作って飼いはじめた。うちの子どもたちは柵の前に群がり、よちよち歩きの幼猫に興味津々だ。

食事は哺乳瓶に入れ適温に温めた粉ミルクを与え、排泄は日に数回、布で刺激して促す。自分の妹弟もこれくらい甲斐甲斐しくお世話をしてほしいものだと思うほど、長女はマメに面倒をみていた。

一方、突如現れた雌の子猫をいねおは最初訝しがりながらも、数日のうちに気にも留めなくなり、普段通り行動するようになった。これなら大丈夫と、お試し期間を終えて、ゲージから解放された子猫。身体にある茶色い斑がそう見えるからという理由で、長女に「くるみ」と名付けられた。さらに数日して、格好の遊び相手と判断したのか、いねおにちょっかいを出すようになった。尻尾に飛びついたり、耳を噛んだり。いつか怒られるのでは無いか、とヒヤヒヤしている周囲の心配を他所に、年上猫として適当にあしらういねおとの様子は非常に微笑ましく、僕らも子猫の存在に癒されていくのであった。

笹の猫となってから数ヶ月。実はとてもお天馬であることがわかってきた。

障子は引っ掻き傷でボロボロ、蚊帳に突進して大きな穴を開ける等々。ときには、いねおと喧嘩かと思うくらい激しい取っ組み合いや追いかけっこをして家中を走り回る。最近では狩りもするようになり、どこからか大きなカエルや虫を捕まえてきては、家の中で追いかけ回している。

そんなわけで、うちはまた少し大所帯となった。

Share on FacebookTweet about this on TwitterEmail this to someone
私の一冊

西野内小代

Share on FacebookTweet about this on TwitterEmail this to someone

「植物はすごい  生き残りをかけたしくみと工夫 」 田中修 中央公論新社

土佐町においての生活で欠かすことのできない大問題、草木の成長にどう対処していくか!決して先回りすることはできないばかりか、追いつくことすら困難…。弱々しい草に思いがけずとんでもない棘があり、悪戦苦闘です。とどのつまりは、どのように折り合いをつけていくかという境地に達する。自然の逞しさ、ずる賢さに太刀打ち不可です。畏敬の念を込めてこの本を読むことに。

郵便葉書の「葉」という漢字はハガキノキという植物(正式名称はタラヨウ)が語源で、葉っぱに文字がハッキリと浮かび上がるのだそうです。郵政局のシンボルツリーです。

とんでもなくビックリしたのは、あの美しい「シャクナゲ」にも毒があるという事実です。我が家の庭にも2本あり、毎年とても華やかな女王様のような花をたくさん咲かせてくれます。あれにも毒があるの?そういえば病気になったり、虫の餌食になったりしない…。

植物の知恵に敬服です。

自然の知恵を学べる一冊です。

 

Share on FacebookTweet about this on TwitterEmail this to someone
さめうらを記す

川村雅史さんの場合

Share on FacebookTweet about this on TwitterEmail this to someone

 

柿ノ木地区

 

早明浦ダム堤体の上から上流側を眺めると斜面に張り付いたように見える集落「大渕地区」があります。その大渕地区から標高差にして約400m下方、湖になる前の吉野川近くに『柿ノ木地区』はありました。

柿ノ木地区は465年前、大渕から分家した川村武市郎の「主(おも)」が始まりで、その後「主」から「山口」、「新宅」に分家。今回は「山口」出身で、早明浦ダム建設により大きく人生を動かされた川村雅史(まさふみ)さんにお話を伺いました。

ちなみに「柿ノ木」の名前の由来は、根回り2メートル、樹高20メートル、樹齢300年と言われる甘柿の木があったためです。

 

 

 

雅史さんは昭和12年生まれの現在83歳。張りのある声とハキハキとした口調、大口を開けて豪快に笑う姿はまさに竹を割ったような性格を印象付けます。早明浦ダム建設にまつわる歴史に「光」と「影」があるとしたら、雅史さんは「光」の歴史を包み隠すことなく教えて下さいました。

 

父は写真屋

 

雅史さんのお家は専業農家でしたが、生まれつき体が弱かったお父さんは独学で写真の勉強をし、中島地区に「ホワイト写真館」を開業。当時はカメラを持っている家庭などほとんどなく、稲村ダムや長沢ダムまで自転車に機材を積み泊まり掛けで写真を撮りに行ったこともあったそうです。当時はカメラもフィルムではなく写真乾板というガラス板に写すものだったそうで、機材の重量もかなりのものだったとのこと。

 

カメラの材料購入は高知市内の「キタムラ写真機店」。今もなお続く「カメラのキタムラ」の前身で、創業は昭和9年になるそうです。雅史さんのお父さんは材料の購入と同時にカメラに関する知識をお店の方に学ばせていただきました。戦時中は食糧難だったこともあり、お金だけでなく芋などの食料で物々交換をすることもあったそうです。

 

 

 

そんなお父さんの影響もあり、小さい頃から今もなお写真に親しんでいる雅史さん。母校である吉野小中学校を卒業すると実家の農業を継ぎました。早明浦ダム建設時には電源開発に声を掛けられ、臨時職員として勤務。全盛期は80名程が勤務していたとのこと。当時の給料は月35,000円程で同僚の女性職員は月13,000円程だったそうです。

電源開発の臨時職員は雅史さんも含め20名程でしたが、ボーナスはなく、労働組合もなし。健康保険もなく、発電所の完成とともに全員解雇されたとのこと。その後、雅史さんは所長に声を掛けられ、今度は正社員として26年勤務されたそうです。

 

 

 

柿ノ木の主

 

かつては「本山の柿本」、「寺家の村山」と並び嶺北地域きっての大地主だった「柿ノ木の川村」。旧吉野村の初代村長となった「柿ノ木の主」出身の川村壮郎、続く二代目はその長男・元衛であり、特に元衛は数多くの功績を讃えられ、吉野小学校脇に碑が建てられています。

 

「柿ノ木の主」が主有していた土地の多くが、ダム水没地だったこともあり、個人で一番多い補償金が下りたと言います。推定ではありますが、当時では数人分の生涯年収に値するほどの金額だったようです。水資源公団と補償金の交渉をする際には「宅地で 300 坪もあるのはここだけだ」と言われたそうです。家には馬場や射撃場があり、競馬をしたり、射的の大会を開催していたとのこと。

 

その補償金で高知市内の土地をたくさん買ったり、当時60万円したマツダ・ファミリア・ロータリークーペの現金一括購入に使われたとか。その後、ボルボを購入したと思ったら、今度はセスナ機を購入したといいます。そのセスナ機がダム湖上空を飛行する姿を雅史さんも目にしたとのことです。

 

 

柿ノ木の山口

 

雅史さんが生まれ育った「柿ノ木の山口」は大半の土地が山として残ったものの、自宅は1町5反(約4,500坪)の田畑とともにダム水没地となり、築101年の主屋は買い取られた後、平石地区の「湖畔りんご園」で今も大切に住まわれています。

 

 

 

ダム水没地で栽培していたブドウの木30本だけでも多くの補償金が下りたそうです。雅史さん曰く、そのお金を持って高知市内へ飛んで行き、日産のニューブルーバードの最高クラスを現金一括で購入したそうです。補償金はそれを2台購入してもお釣りが返ってくるくらいの金額だったとか

 

補償金の額は各地区から選出された交渉委員が水資源公団と田んぼ、家、木など1つずつ交渉し値段を付けます。柿ノ木地区ではダム建設に反対するものは一切おらず、交渉はとんとん拍子で進んだそうです。その理由は2つあり、1つは柿ノ木部落全戸が水没するため、取り残される者がいなかったこと。そしてもう1つは水資源公団の柿ノ木担当者が柿ノ木地区の女性を嫁に貰っていたため、お酒を飲み交わしたりする関係だったことです。

 

お金というもの

 

交渉後、契約書に判を交わし登記の手続きが終わると、補償金はすぐに四国銀行へ振り込まれました。当時の利息は7%以上だったため、2,000万円も入れたら、家族が利息だけで暮らせたそうです。契約書に判を押さず粘り続ける方もいたそうですが、雅史さんとしては「契約を引き伸ばしても一切得はない。早く交渉を済ませれば、その分利息でお金が増えた」と合理的な考えをされていました。柿ノ木を離れる際の心境については「住み慣れた所を出る寂しさはあったが、これも時代の流れ」と僕がダム水没に思い描いていたものとは違い、あっさりとしたものでした。
50年の時を経て、今となっては「お金というものは結局残らないもの」とのこと。実際に補償金を手に入れた方の多くがお酒を飲んだりすることでお金を失ったそうです。最初は雅史さんの話を聞いて、「大金を手にして羨ましい」と思った部分もありましたが、雅史さんに「今、数億もの金があったらどうする?」と聞かれた時に、大金を手にしても幸せになるために使う手立てが思いつかないことを実感しました。

 

編集後記

 

今回、雅史さんにお話を伺うにあたり、雅史さんの奥様である川村千枝子さんが生前に執筆された著書「ふるさと早明浦」を拝読いたしました。執筆には3年ほど掛かったらしく、色々な人に話を聞いたり、写真を借りたりしたそうです。人に借りた写真を出版社に持ち込む際は万が一に備え、雅史さんが全て複製して使用したとのことです。

雅史さんや雅史さんの父・兼福さんが撮った写真も多く使われており、内容としては町史などにはあまり描かれていない、個人や家族を中心としたストーリーが多く、よりリアルな生活風景が目に浮かぶものになっています。

 

僕は毎日「さめうらカヌーテラス」から見ている風景の中に数多くの歴史が眠っていることを知り、湖に隠れて見えないエリアに多くのイメージを思い描くことが出来るようになりました。ダムが出来る前を知っている方、知らない方どちらが読んでも、今ある風景により深みを感じることが出来る本ではないかと思います。

土佐町立図書館にも置いてありますので、是非手に取ってみてください。

 

 

Share on FacebookTweet about this on TwitterEmail this to someone
読んでほしい

もちきび

Share on FacebookTweet about this on TwitterEmail this to someone

土佐町に来てから初めて知った「もちきび」。

先日、近所の方からいただきました。
茶色や紫、白の粒々が隙間なく詰まっていて、手のひらに収まるサイズ。茹でて塩をぱらりとふってガブリとかじると、もちもちっとした弾力が。黄色のスイートコーンのようには甘くありませんが、噛めば噛むほど味が出る。かなりくせになります。

その人は「とうもろこしのひげと、粒の数は一緒なんやって」と教えてくれました。調べてみると『ひげは、とうもろこしの「めしべ」。めしべは一つひとつの粒から長く伸びているため、粒の数と同じ本数存在する』のだそう。

もちきびは、明治から昭和の初期まで、高知の山間部で盛んに栽培されていたそうです。毎年種を取り、また次の年に作って種をとる。その営みを繰り返してきた人たちがいるから、この地にも残っています。

土佐町で生まれ育った友人は、子供の頃よくおやつに食べたそうで「もちきび、美味しいでね!大好き」と話していました。

 

ゆがくと、一粒一粒がつやつやと光り、とてもきれい。

もちもち、ぷりぷり。

この歯応えを楽しみつつ、一つは取っておいて乾かし、来年の種にしてみようかと思います。

 

Share on FacebookTweet about this on TwitterEmail this to someone
土佐町ポストカードプロジェクト

2021 Sept. 溜井

Share on FacebookTweet about this on TwitterEmail this to someone

溜井 | 川村光太郎

 

 

9月。空と風が突如として秋モードになる日がありますね。

夏のジリジリと焼けるような暑さから、ふっと肩の力が抜けるような日。

そんなある日に、溜井のとある田んぼにお邪魔して撮影しました。折しも稲は色づきはじめ刈り入れ時を迎えつつあるタイミング。

この時期の田んぼは日本人のDNAをくすぐるような何かがありますね。

相川の棚田の写真を撮影した際にも感じたことですが、この風景を作り出しているのは地元の農家さんたち。

「風景を作る」ことを目的として稲作をしている方はあまりいないと思いますが、毎年お米を作ることが結果的にこの風景を作ることにもなっている。頭が下がる思いです。

貫禄の片鱗が見える後ろ姿は川村光太郎くんです。

 

 

 

Share on FacebookTweet about this on TwitterEmail this to someone
私の一冊

澤田みどり

Share on FacebookTweet about this on TwitterEmail this to someone

「世界一美味しい手抜きごはん」 はらぺこグリズリー KADOKAWA

秋です。食欲の秋です。私は一年中、食欲ありありです。私の必殺お助け本を紹介します。

朝ご飯は、夫婦二人で毎日、まあまあ同じメニューを食べてます。お昼ご飯は、従業員(長男)を含めて三人です。ちゃちゃっと出来て、材料費お安めを目指しております。そんな時お役に立つのが「世界一美味しい手抜きごはん」。はらぺこグリズリーさん著、KADOKAWAさんから出てます。初著書の「世界一美味しい煮卵の作り方」からお世話になっております。

一番作るのが、鶏肉料理と豚肉料理です。悲しい事に、我が家では赤うし料理は滅多に出てきません。この本の良いところは、家にある材料で、短時間で作れるレシピが多い事です。

まあ、とにかく表紙にも書いてあります。『最速!やる気のいらない100レシピ』。

やる気が出ないけど、とにかく作らなくては…という時、お役立てください。

 

Share on FacebookTweet about this on TwitterEmail this to someone
とさちょう山岳紀行

笹ヶ峰

Share on FacebookTweet about this on TwitterEmail this to someone

笹ヶ峰

笹ヶ峰は、土佐町南部と南国市にまたがる、標高1131mの山です。

「笹ヶ峰」という名前で呼ばれる山は石鎚山系にもうひとつあり、こちらは標高1859m、いの町本川村と西条市にまたがっています。

今回の記事は土佐町の笹ヶ峰のお話。

 

登山口

登山口までは車で上がれます。いくつかルートはありますが、相川地区から上がるのが最もわかりやすいルート。

通称「台の牧場」と呼ばれる牛舎を右手に、さらに上がると下の写真のような登山口手前につきます。

ここに車を停めて、ここから片道1時間程度の登山です。

 

 

 

 

天狗岩と小天狗岩

 

登山口付近に掲げられた道標。とても良い感じで苔むしています。空気もとてもきれいです。

この笹ヶ峰、道標に書かれているように「天狗岩」と「小天狗岩」のふたつの目的地があります。

ふたつともそう離れたところにあるわけではないので、どちらかに寄ってからもうひとつに行く。例えば小天狗岩に行ってしばし眺めを堪能したら天狗岩へというルートになります。

 

 

この苔の美しさ!ダイダラボッチが出てきてもおかしくなさそうです。いやおかしいか。

 

 

 

途中にはこんな岩も。子どもだったら絶対にくぐってるヤツですね。

 

 

左に行くと小天狗岩、右に行くと山頂+天狗岩という分岐。名前に「小」がつくけれど小天狗岩の方が眺めが良いで〜という地元の方は多いです。

 

 

小天狗岩に到着。ちょっとわかりずらいですが、中央に見える白っぽい岩が小天狗岩。ここによじ登ると待っているのは下のような眺望です。

 

小天狗岩から北側を臨んだ景色。眼下に広がるのは土佐町の風景です。この日はあいにくの曇り空でしたが、晴天の日には四国山脈が彼方まで見通せます。

 

 

小天狗岩を降りて再び山頂を目指します。後ろ姿は同行した高知新聞記者・森本さん。

 

1,131.4Mの山頂へ

 

 

山頂までもう一歩。

密とはほど遠い世界で、マスクをとって新鮮な空気を深呼吸できる環境です。

 

 

山頂に到着!

山頂に立つ1131.4Mの看板。

 

山頂には祠が鎮座しています。山神様がお住まいです。

 

こちらが山頂の天狗岩。

天狗岩に立って臨む土佐町。雲の下の雄大さが伝わるでしょうか?

 

ここからが帰り道。ちゃんと「帰路」と出ていますので迷いようがありません。

 

 

以上、笹ヶ峰往復報告でした!今回は撮影しながらの往復でしたので2時間半ほどかかったのですが、登山口からまっすぐ山頂を目指せば小1時間ほどで踏破できる距離です。

途中危険な箇所は皆無です(天狗岩から踏み外さないように気をつけてください)ので、低山トレイルには最適な山のひとつです。

 

 

Share on FacebookTweet about this on TwitterEmail this to someone
山峡のおぼろ

濁り網

Share on FacebookTweet about this on TwitterEmail this to someone

山育ちで同年配の人と話す時、多く出る思い出は、渓流での楽しみである。

竹の釣り竿や金突鉄砲などを、自分なりに工夫改善して作った苦労話などは、みんなに共通している。

大雨で増水した濁流を恨めしげに眺め、早く水が引いて澄んでほしいと、祈るような気持ちになった時、窮余の策としてとった方法も、

「やった、やった。俺もやった」

と、うなずく者が多い。その方法はー。

 

大増水すると、魚が濁流の中で浅い所へ散らばっているのではないかと思ったのである。そこで、長い柄を付けたすくい網を持って、渓流へ走った。

日頃はそこを歩いている河原も、濁流に沈んでいる。危なくて入ることは出来ない。

まずは安全な岸を歩いて激流を見ながら、ここと思う所を探す。

激流が河原を覆っているが、岸の近くになると流れが幾分ゆるくなり、地形によっては水がゆっくり回っている。そういう場所を狙った。激流に耐え兼ねた魚が、そこに逃げ込んでくるのでは、と思った。

そして岸に立って、濁り水を網ですくう。所かまわずすくうのである。

空振りをすることが多かったが、時には思わず複数の魚が入ってきた。濁って水中が見えないことが、却って期待感を増した。

とれる魚はさまざまであった。モツゴが一番多く、次いでハエ、イダ、ゴリで、アメゴも案外とれた。時にはウナギが入ることもあり、網の中で暴れ回るのを魚篭に入れるのに難儀した。

最初から意外に効果が上ったので、それからも濁流の時の恒例になった。

魚が多くとれる場所は、その時の濁りぐあいや水量などによって、そのつど違っていた。それを探すのが最初の仕事だが、次つぎと網を入れて回り、大当りした時は、空に向かって叫びたいような気分になった。

当然のことながら何度も行っているうちに、水量と濁りによって魚の集まる場所が、大体判ってくる。そこを自分の秘密の拠点にして、誰にも言わず真っ先にそこに行った。

そこが当る時も外れる時もあったが、当れば嬉しいし、外れても他を探す期待感の方が大きかった。

もちろん、澄んだ渓流での各種の魚とりが楽しいが、濁流から上げた網の中で跳ねる魚の姿も、まだ目に浮かぶ。

 

 

Share on FacebookTweet about this on TwitterEmail this to someone
私の一冊

石川拓也

Share on FacebookTweet about this on TwitterEmail this to someone

「人新世の資本論」 齋藤幸平 集英社新書

気候変動やコロナ禍のさなか、世界の(もしくは人類の)価値観は急速に変化を求められています。「今まで作ってきた世の中が、果たして正解だったのだろうか?」という根深い疑問がその根底に流れています。

資本主義という、「利己」を最大限に解放することで社会の原動力とする仕組みの力強さ。ここ100年ぐらい、その仕組みを御旗に進んできて、今、多くの人々が持つ「これ合ってないんじゃない?」という思い。

今までの価値観と仕組みの問題はどのようなものなのか。

では次の世の中をどういう価値観で進めていくか。

著者の経済哲学者・齋藤幸平は、マルクス主義を主戦場としている人です。

本書のキーワードは「脱成長」と「コモン」。もうすでに資本主義の「修正」でなんとかなる時期は通り越していて、資本主義ではない次の仕組みに移っていかなければ人類もこの惑星も、もう保たない。(その文脈で、著者はグリーンエコノミーやSDGsを「本質的な問題から目を逸らすことになる」として痛烈に批判しています)

表面的な取り組み云々では、次の世代が生きやすい環境を残すことも不可能で、根本的な価値観から見直す必要があるということ。

その価値観の話が「脱成長」。過去100年のエンジンとなった資本主義の宿命である「経済成長」、これを根本から疑っていく。「右肩上がりの成長を善としてきた価値観は正しいだろうか?」

そしてもうひとつの「コモン」。資本主義の「私有」の概念に対する疑い。

際限のない私有は社会をおかしな方向に導くし、公有も上手くいかない例が多い。その中間ともいえる「市民有」(私営・公営の中間にあたる「市民営」)がコモン。

いわゆる「共有」であり市民の共同管理。特に水や道路などインフラに近いものの運営のあり方は厳しく問われるべき。

例として、著者はスペインのスーパーブロック(バルセロナで行われている、車両乗り入れ禁止のブロックを作る都市計画)などを挙げています。

非常に興味深い内容で、この本がある意味「時代のバイブル」的な受け止められ方を一部でされていることも頷ける話です。

世界の価値観が現在進行形でどのように変化しているのか、そしてその変化をもとに自分の価値観がどのように変化していくのか。

さらに最も大事なことは、変化した価値観をもとにどういった行動を起こしていくのか。

動いては考えてを繰り返していこうと思います。

 

Share on FacebookTweet about this on TwitterEmail this to someone
2 / 41234