土佐町ストーリーズ

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蛇穴(東石原)

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今から百六十年前のこと、東石原村(現在の東石原)に、郷士(名前は定かでない)がおったそうな。

郷士と言うのは、お百姓さんが武士の待遇を受けておったもので、戦いが始まると、くわやかまのかわりに刀を持って戦いに出よったそうな。

その郷士の治める領地の中に、それは大きくて見ごとな欅(けやき)の木があったと。

たぶん祠かお堂があって、そこに植えたものが大きくなったんじゃろう。

その欅の木には大きな穴があって、水がごうごう流れる音がしよったと。

村の人たちはあの穴の中には蛇が棲みよるらしいと言いよった。

ある年のこと、その欅を江戸の水野出羽守のところへ出すことになり、野村儀八と大館達次の二人が何日もかかって切りたおしたと。

まあ木は無事に江戸へとどきお役に立ったそうなが、後がおおごと。木を切った二人は、その日から大病にかかって苦しんだそうな。

また、そのころには村に名本(なもと)と言って、今の区長さんのような仕事をする人がおったが、その名本さんのところまでは五百メートルぐらいあるのに欅を切った時の木屑が、流れていって大さわぎをするし、木の切り株がごうごうと大きな音を出して鳴るんじゃと。

きっと、これはあの穴の中に棲む蛇のたたりじゃと言って村の人がいっぱい集まって、お通夜をしたり切った後をきよめて、いろいろのものを供えてお祭りをしたそうな。

すると、だんだんと鳴るのがおさまって、もとのとおりの株になったそうな。

皆山集より(町史「土佐町の民話」)

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早明浦の蛇の神様

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蛇の神様がいる、という。
早明浦ダム近くのさめうら荘の上の道をくねくね登って、行き着いたところを西へ少し行ったところ。
小さな神社があり、蛇の神様はそこにいるらしい。
その蛇の神様は「作物がよく実りますように」という願い事に加え、「おねしょしませんように」という願い事をかなえてくれるのだそうだ。

土佐町の人の中には、子どもの頃、おねしょが止まるようにお参りに行ったという人がたくさんいるという。

 

蛇の神様へのお供え物は生卵。カラスに卵を取られないように神社の扉には鍵がかかっていて、その扉は誰でも開けられる。ぎい、と扉を開くとそこに白色の蛇の神様がいるとのこと。

供えられた卵を定期的に片付けている人がいるらしいが、いつ行っても何十個と卵がお供えしてあるのだそうだ。おねしょで困っている人は、どうもたくさんいるらしい。

 

『三島神社の横のかけ道を登って、頂上にいる蛇の神様までどんどん歩きます。蛇の神様には生卵をお供えして「おねしょしませんように」「おしっこもれませんように」とみんなでお祈りしました』と保育園からのお手紙に書いてあった。

次の日、先生に話を聞いた。
「○○くんはね『どうかおねしょしませんように』って手を合わせてつぶやいててかわいかった〜。」

そして「私はね『どうか尿もれしませんように』ってお願いしてきた。」と大笑いしながら、なかなか切実なことを言う。

早明浦の蛇の神様、どうか先生の願いをかなえてやってください。

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蛇の家(黒丸)

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ずっと昔、黒丸での話よ。

ある晩のこと、きれいな娘さんが「この川には渕はいくつもあるけんど、どの渕も先客がおるので泊まる所がない。どうか泊めてくだされ」言うてやって来たと。

それじゃあと言うことで泊めてやることにしたが、寝る時に桶を貸してくれえ言うたと。

大きな桶もなかったので、楮(かじ)を蒸す桶でもかまん、誰もあけてくれな言うてそれをすっぽりかぶって寝たと。

夜中に、体が蛇にもどったもんよ。

桶がバリバリ言うて割れたそうな。朝になってみると、娘さんの姿は見えざったそうな。

そのことがあった後、すぐ隣の家から火が出たそうな。

昔のことじゃきに草葺きよね。近くの家はどんどん焼けてしもうたけんど、その家だけ焼け残ったと。

娘さんを泊めた時に、私の寝姿さえ見んかったら、どんな火事にも焼けんから言うて寝たそうなが、その御利益だったもんよ。

草葺ではなくなったけんど、その家は今もあらあね。

蛇の娘がどこから来て、どこへ行ったかは聞いちょりません。

 

町史(「土佐町の民話」より)

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蛇神様(北境)

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応仁の乱から百年余りが過ぎ、やっとのこと平和が訪れようとしておった。

その頃、南越村(みなごしむら・現在の北境)の名本(今の区長さんのような仕事をする人)藤大夫(ふじだゆう)の弟で和田孫三郎が須山に分家した。

それがこの地に人が住むようになった最初であった。

その下方には十二戸の百姓が住み、長い戦乱に生き残ったのは、蛇神様が守ってくれたおかげだと、住民は毎日酒や魚を供えておった。

杉の平から落ちて来る谷川に蛇渕があって、大きな蛇が棲んでおった。

渕は青々として底は知れず、周りはしめなわで囲まれ、色とりどりの花が飾られておった。

住民は幸せで、境村や和田村から多くの人に来てもろうて盛大に蛇神様祭りをしておった。

それは天録から宝永にかけてのことじゃった。

いつの間にやら蛇神様が南越村の蛇渕へ移っちょった。

「これは大変じゃ。どうやったら戻ってくれるろう。」とさわぎよった。

ちょうどその頃雨が降り始めた。雨は毎日降り続き、次第に滝のような雨になった。そして急に山が崩れて、十二戸はアッと言う間もなく八ヶ内川に押し流されて生き残った人はいなかった。

反対に、南越村は五戸しかなかったのに、方々から人が来て二十三戸になりにぎわった。

そして、それはそれは盛大な蛇神様祭りをしておった。

 

そんなことが百年余り続いたある年、「どうも近頃蛇神様が見えんようになったが、どう言うもんじゃろう。大夫さんに見てもらおう。」と言うことになり、毎日毎日笛や太鼓で蛇神様迎えの祭りをしたが、帰って来てはくれざった。

それから間もなく、大崩れがしたり、伝染病で家が絶えたりして、昔の五戸に戻ってしもうた。

それから久しいことたってから、蛇神様は汗見川へ移ったことが分かった。

そういうことは、地元の人は気付いてない風であったが、石ころだらけで人の住める所ではなかった沢ヶ内に人が来て住みだし、やがて店もでき大きい集落となったそうじゃ。

 

和田輝喜(「土佐町の民話」より)

 

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土佐町ヘビ祭り!

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勝手にやります!土佐町ヘビ祭り!

 

「土佐町ストーリーズ」では、これまで土佐町のちょっとした日常の話から戦争のような昔の話、それからこの地での神話や民話をごちゃまぜに紹介してきました。

「戦争の話」とか「民話」とか、ひとつひとつジャンル分けしないでご紹介してきたのは、そういったここで起こる全てのお話が、ひと続きの「土佐町」を現すものだと考えたからです。

昨日もらった果物も、戦争の体験も、人を化かすタヌキも、それぞれが違う角度から土佐町を照らす小さなロウソクの光のような気がします。

さて話は若干変わりますが、土佐町に伝わる民話や神話を読んでいると、ヘビの話がとても多いことに気がつきます。

人に(特に若い娘に)化けるヘビ、人から畏れられ崇められるヘビ、水を支配する(すなわち五穀豊穣を司る)蛇神さま。ちなみに「蛇神」は「じゃがみ」と読むことが多いみたい。

思いつくままに思いだしてみれば、世界のあちこちの神話で、ヘビって意外と特別な位置にいます。

アペプ(エジプト)、ヴィシュヌの蛇(インド)、ヨルムンガンド(北欧)、ケツァルコアトル(南米)、虹の蛇(オーストラリア)、そして我らがヤマタノオロチ。

アダムとイブに智慧のりんごを食べさせたのもヘビでしたね。

数多ある神話の中でも他の動物と違って、ヘビはなんとなく妖しく艶っぽく、セクシャルな雰囲気を漂わせています。ヘビはタヌキのようにポンポコおなかを叩いて踊ったりしない(まず叩く手がない)し、キツネのように手袋を買いにいったりもしない(手袋つけられない)。

中途半端なジョークはあんまり通じないようなシリアスさがあるのもヘビの特徴。見つめられたら動けなくなるカエルの気持ちも少しはわかります。蛇の目=邪眼という説も昔からありますね。

その上、世界のヘビ神話はこの世の成り立ちに直結している話が多い。大きなヘビがいるからこの世があるんだ(水を支配しているので)、またはこの大地は巨大なヘビの上に載ってるんだって感じの話です。

興味ある方はぜひ「虹の蛇」や「ヴィシュヌの蛇」を調べてみてください。

そんな、ちょっと特異な役割を果たしているヘビの話。今回、土佐町バージョンを集めてみました。明日28日から7日連続でご紹介したいと思います。

私たちより遥か昔にこの地に住んでいた人々にとって、ヘビがどれほど恐ろしく頼りがいのある存在だったのか。少しだけお仕事の手を止めて想像してみるのも、たまにはいいと思いませんか?

あ、大事なこと忘れてた、、、。

苦手な人、ごめんなさい!

 

 

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ポッポ広場

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土佐町には子育て支援センター『ポッポ広場』があります。

平成18年に開設され、ちょうどその頃長男を出産した私は、ポッポ広場へほぼ毎日のように遊びに来ていました。

今でこそ4人の子どもの親をやっている私ですが、
当時は我が子にも、他の子どもにも、そして他のお母さん達にもどう接したらいいかわからず、
ただただ家で長男と二人きりでこもるストレスから逃れるためにポッポ広場を利用していました。

 

そんなポッポ広場で、私を変える出会いがありました。

 

次男を出産してから、ポッポ広場を訪れた時のことです。
人のお母さんがニコニコと話しかけてきたのです。

『もしかして、上にお兄ちゃんがいます?多分同級生なんですよ~』

彼女の名前は加藤さん。
転勤族で、土佐町に引っ越してきたとのことでした。
人見知りだった私は、こうやって初対面の人が話しかけてくれるということが衝撃的でした。

 

下の子も同級生ということもあって、加藤さんとよくポッポ広場で話をするようになりました。
いつでも穏やかに笑っている加藤さんの周りには自然と輪ができて、私もみんなと喋るようになりました。
あっという間に何でも喋れるようになって、子育ての悩みや家庭の愚痴、どこそこのスーパーであれが安かった、
これがおいしかった・・・こないだ教えてもらったアレ、やってみたでー!など、情報交換も盛んになりました。

今までは子ども同士の玩具や遊具の取り合いなどのトラブルがあるとすぐに介入していたのですが、
みんなが『えいえい、ケガがなかったら放っちょって~』という雰囲気だったので、
ちょっとしたことでオタオタすることもなくなりました。

消しゴムハンコの作り方やパンの焼き方を習ったり、簡単なレシピを教えてもらったり、
誰かの家に集まって、わいわいお茶をしたり。
私は勝手に『ポッポ広場の黄金期』と呼んでいます(笑)

転勤族だった加藤さんとは、数年後にお別れすることになってしまうのですが、
あの時加藤さんが話しかけてくれなかったら、子育てを楽しむという気持ちは生まれていなかったと思います。

今でもポッポ広場には色んなお母さん、お父さん、おばあちゃん、おじいちゃんがやってきます。
転勤族の人、里帰り出産の人、他町村からの人、ポッポ広場は誰でも利用できます。
お弁当を持って、子どもと一緒に食べてから帰ることもできるようになりました。

初めての子育ては何もかもが手探りで、不安でいっぱいで孤独を感じるものです。
仕事をしていると、他の保護者の方と話す機会も少ないのでなおさらです。

そんな保護者の方達に、ぜひポッポ広場に足を運んでもらいたいです。
いつでも開いていますよ。

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本当にあった怖い話

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南越(みなごし)トンネルは、土佐町役場方面から、早明浦ダム湖周辺に向けて抜けているトンネルです。

トンネルといえば、怖いイメージがつきものですが、南越トンネルも例にもれず「あのトンネルは怖い」という噂があります。

祖母も「私が若い頃は、一人であそこをよう歩かんかった。一人で歩きよったら何かがついてくるんじゃ」と言っていました。

 

そんな南越トンネル付近の怖い話を、最近聞きました。

それは、私の書いた「家の主」という記事を読んだ町長が話してくれたものです。

 

「何年か前ににゃあ、『オンビキ(ヒキガエル)がようけおるき、何とかしてくれんか』ゆうて言われて、南越トンネルの辺に行ったらにゃあ」

 

「オンビキが100匹ばぁ、ゴゾゴゾ這いよってにゃあ」

 

「側溝にもみっしり詰まっちょった」

 

「何とかしてくれと言われても何ともできなぁー、殺すのも気持ち悪いし!!」

 

 

ぎゃーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

今後、南越トンネル付近を通るたびに、背筋がゾクゾクしそうです。

 

 

 

 

 

・『家の主』の記事はこちら!

家の主

 

 

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千体流し

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みなさんは、千体流しを知っていますか?

8月15日のお盆の日、お寺で法要があり、お地蔵さまの絵像の描かれた千枚の紙をいただきます。

それを川に持って行き、『おんかかかびさんまえいそわか』と唱えながら一枚一枚川に流すのです。

この『おんかかかびさんまえいそわか』というのはお地蔵さまの真言だそうです。

千体流しは、子どもの頃からずっと、お盆の我が家の恒例行事でした。

JA土佐れいほくの前に『フタマタ』という川へ下りる細い道があって、そこから川へ下りて千体流しをします。

私が最後に千体流しをしたのは、もう10年以上も前ですが、千体流しに行くたびに祖母や母が『お盆の日には、地獄の釜の蓋が開くき川で絶対に泳いだらいかん』と言っていたのをよく覚えています。

裸足で川に入って千体流しをしていたので、川の水の冷たさと、地獄の釜の蓋が開いて引きずり込まれるイメージとで背中がゾクゾクしたものです。

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早明浦と言う地名について(早明浦)

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日本歴史の中でも、源氏と平家の勢力争いは、最も有名で深刻なものでありました。

屋島の戦い、壇の浦の決戦などは、皆様のよくご承知のことであります。

それ以来、全国至る所で、両勢力の闘争がくり返されたものでありました。

 

ある平家の残党(生き残った仲間)が、源氏の兵どもに追われて、吉野川をさかのぼりつつ、この地まで落ちのびて来た時の話であります。

源氏の兵どもは、それを追って、鳥越峠(現在のさめうら荘の近く)を越えて逃げて行く平家の残党を、今夜中に、ここで一気に全滅させようと、勇みに勇んで、この峠に立ちましたが、幸か不幸か夜は白々と明け始めていました。

この時、峠に立って、西の方を眺めると、あたりは一面の雲海で海を思わせる風景であったのでしょう。そこで、源氏の大将は峠に立ちはだかり、

「えれ、残念、早や夜が明けたか。」

と地だんだふんで残念がったということであります。

平家の残党は、夜明けを幸い、落ちのびることができました。

こういう伝説が、いつか早や明けの浦となり、早明浦となったということであります。

 

澤田南海男(館報)ー「土佐町の民話」より

 

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りんご

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土佐町に来て驚いたことがある。それは桃園とりんご園があること。

桃といえば岡山。りんごといえば長野や青森。
単純にそう思っていた私には衝撃的であり、嬉しいことの一つだった。
調べてみると、佐川町にもりんご園があるみたい。それもびっくり。

りんごといえば、初めてのひとり旅に私は長野県を選んだ。
京都の短大を卒業した後、同じ短大の専攻科に進級した1年生の秋に
大阪梅田のバスターミナルから長野行きのバスに乗って、上高地へ行った。
なんで長野県だったのか理由は忘れたけどその旅は学校を辞めようか悩んでいた、いわば傷心(?)の旅だった。

上高地へ向かう私鉄の車窓から目に飛び込んで来たのは、真っ赤なりんごがたくさんなった木。
その電車はりんご畑の中を通っている電車だった。
(はっきりは覚えてないので本当かどうかは今になっては不明・・・)

「りんごが木になっちゅう!!」

当たり前だけど、お店でしかりんごの姿を見たことがなく、
木に果物がなるといえば高知では柑橘類、あとは道々にある柿やびわくらいしか見たことなかったので、
それはそれは嬉しかった。りんごの良心市があるのも驚いた。

 

土佐町に来た時、りんご園があると知って、私は真っ先にその学生時代の悩んだ時期のこと、
りんごが木になっているのをみて嬉しかったことを思い出した。
りんごのように甘酸っぱい思い出。

 


りんごの季節になると、土佐町のりんご園のりんごが近くの道の駅や産直市に並ぶ。
その光景も高知では珍しく、薄赤いりんごが並ぶのはほんの一瞬の土佐町の味。
爽やかな秋風と同じように、土佐町のりんごは爽やかな酸味と甘味。
生ではシャキシャキとした食感が気持ちいいけれど、少しの水と一緒に似て煮りんごも甘みが増して美味しい。

 

うちの3歳の子は離乳食時期、生のりんごは食べなかったけど煮りんごはよく食べた。
じっくり火を通して、焼きりんごもいいな。
同じ時期に採れるサツマイモやジャガイモと合わせてポテトサラダにも。
ホクホクとシャキシャキを一緒に楽しめるおかずの一品にもなります。


ジャガイモとりんごのサラダ
材料:
りんご・ジャガイモ・(あれば)パセリ・塩・こしょう
オリーブオイルまたはマヨネーズ

作り方:
茹でたジャガイモを塊が残るくらい軽くつぶし、いちょう切りにしたりんご、みじん切りにしたパセリと合わせる。
塩こしょうと少しのオリーブオイルで味を整える。マヨネーズの場合はマヨネーズの味が出過ぎないように少なめに。
そうするとりんごとジャガイモの美味しさが際立ちます!

 

胃腸の虚弱を強くしてくれるジャガイモとりんごの組み合わせ。
夏に冷たいものを取りすぎたりして胃腸を弱くしている人にはオススメです。
特にこれからは乾燥も気になる季節。
今が旬の梨もそうですが、りんごも体の渇きを潤してくれます。
ぜひ普段のポテトサラダに、旬のりんごを入れてみてください。

りんごは体を温めも冷やしもしない「平」という性質。
冷蔵庫で冷やしたりせず常温で食べるのがポイントです。

胃腸の不調を整えたり、消化吸収が良いので便秘を改善。
下痢や吐き下しに良いとされています。
子供の時、熱が出たらりんごを食べさせてもらったりしませんでした?
「一日一個のりんごで医者いらず」よく言ったものでした。
特に皮には胃腸の働きを良くしたり、コレステロール値を下げるペクチンが豊富に含まれているので、
皮も食べると効果的!
イライラした時リラックスしたい時に食べたり、甘酸っぱい香りを楽しむだけでも心を落ち着かせてくれます。

りんご園のりんごを見た時、学生の頃を思い出して心がほっこりした気分になったのも、
りんごの持つ薬効だったのかもしれないですね。

 

 

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