2019年12月

 

 

山の人、町の人。先祖代々住む人、都会から越してきた人。猟師さん、農家さん、森の人、職人さん、商店さん、公務員…。

人口4,000人弱の土佐町にはいろいろな人がいて、いろいろな人生があります。

土佐町のいろいろな人々はどんな本を読んでいるのでしょうか?もしくは読んできたのでしょうか?

みなさんの好きな本、大切な本、誰かにおすすめしたい本を、かわりばんこに紹介してもらいます!

(敬称略・だいたい平日毎日お昼ごろ更新)

私の一冊

矢野ゆかり

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「闇の守り人」 上橋菜穂子 偕成社

私は図書室で貸りた2冊を一晩で読みきり、守り人シリーズを進めてくれた友人に感謝を伝えにいきました。そのとき彼女は「私は闇の守り人が好き。特にバルサとヒョウルの舞う、槍舞いのところがすごい好き。想像できても言葉にできん。」確かこのように言っていたように思います。

今回の私の一冊は、「精霊の守り人」の続編、「闇の守り人」。

この巻は女用心棒として誰かを守ることで物語られるバルサが、自身の壮絶な過去と向き合う話です。

王弟の野心のため謀殺された父。親友である父の願いを受け入れ、地位も家族もすべてを捨て、自分を助け逃げ続けてくれたジグロ。追っ手として差し向けられたのは、かつてのジグロの盟友であり親友達。バルサの為に、彼らすべてを殺さなければならなかった、ジグロ。バルサは王弟に復讐するため、狂ったように短槍を振いました。ジグロは幼いバルサに槍術や体術と共に、様々な生きる術を叩き込んだのです。独りでも生きていけるように。しかし、バルサが夢みた復讐は王弟の病死であっけなく潰え、ジグロは病を得てあっという間に朽ちるように亡くなりました。それが6年前のこと、バルサが25~26歳の時です(私が前回物語に登場する歳に近づいたと表現したのは、このことからです)。彼女は過去をまざまざと思い出しながら、25年前、故郷のカンバル王国から新ヨゴ皇国へ逃げ道として使った、滝の流れ出る常闇の洞窟の前に立っていました。

「闇の守り人」は既に終わったはずの物語から、新たに始まる物語なのです。

故郷は記憶の通り貧しくとも、澄んだ空気に高い空に白く光る山々でとても美しい国でした。しかし、今だに続く陰謀が国を未曾有の危機にさらしていたのです。バルサも否応なく巻き込まれていきます。バルサは思います。どうして己はフクロウに追われるネズミのように、逃げ続けているのだろう。いっそ、この怒りの先に何があるか突き抜けてみよう。と。

バルサは、踏みにじられた父や己や養父ジグロの人生、人を殺す道を歩まざるを得なかった苦しみや痛み。復讐の相手はおらずとも、くすぶり続ける怒りと憎しみ。武人として戦わずにいられない暗い疼きと凶暴性。ジグロへの負い目や後悔。すべてに向き合い、怒りの向こう側へ向けて、答えを槍舞いに込めます。

私は「闇の守り人」に妙に引っ掛かりを覚えていました。読んでいると時々心がじくじくするのです。ジグロは王家の武術指南役で氏族長の次男であり、幼くして槍術の神童と呼ばれ誉高い人間でした。ですが、バルサを助けるために全てを捨てました。後悔がないとは言えないはずです。刺客たちは、かつての親友なのです。親友達の命を絶つ度に慟哭し身を割くような痛みを感じていたジグロ。一瞬でも、バルサさえいなければと、思わなかったはずがありません。著者はそのような場面を躊躇なく描きます。描写します。読者に想像させます。

私はこれを現実に置き換えてしまうことが度々あります。実の親子でもこの子さえ居なければ…“と思う一瞬が、誰にでもあるのではないかと思うのです。私は親ではないので、親の立場では分かりません。ただ慄くだけです。子としては、この子さえ居なければと親に思われる事があったのではないか、それだけの事を私はしたはずだといつも確信していました。私なんて、いない方がいい。この家族は4人家族でいいと、勝手に思ってしまうのです。この思考回路は、明らかに持病の一因です。

著者は、槍舞いで、体の動きや音や色を的確に描写し、二人の感情の全てを映し出しています。惜し気なくさらけだし、躊躇なくぶつかり合わせている。そうして、バルサはジグロの心を救い清め、シグロはバルサの心を慰め癒していく。舞い終わった後には新たな絆が結いなおされています。そういえば、この場面を最近私は体験したように思います。あれは多分、私と両親の槍舞いでした。私がこの世から居なくなりたいと思って行動した時、思っていたことを伝えた時、そうじゃない、ゆかりは大丈夫だと、大事だから必要だからと、両親に鼓舞されました。私は両親の言葉を信じました。なにかが結い直されたんんだと感じました。

今となっては、私の感じる「闇の守り人」に対する妙なじくじくした気持ちは、この感情をぶつけ合いへの羨ましさだったのかもしれません。今は守り人シリーズの中でも特別な1冊のひとつです。槍舞いは作中にある通り、ヒョウルを弔い、清める儀式。自分の中にあるどうにもならない気持ちを、どこかにぶつけて弔って清めてまた新しく、そんなイメージが持てるこの本は、私のような()ちょっと病んだ人や、悩める大人にオススメです。もちろん、小学生の時に出会っておくのも間違いありません。友達に「この本すっごくいいよ!」と自慢できるのですから。

それではこの辺で。

~ちょっと続き~

私に守り人シリーズを勧めてくれた大恩あるその友人は保育園、小中学校、高校、大学(学部は違えど)ほぼ一緒の腐れ縁です。彼女は今、白衣の天使もとい、白衣の阿修羅として日夜働いています(彼女を怒らせたくはありません!)。またしばらくしたら飲みに誘う予定です。近状報告と、守り人シリーズの話でもしながら。

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みんなのアルバム

相川小の二本杉

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「相川小学校の本棚から」シリーズです。

この二本杉、見覚えがある方々も多いのでは?

「みんなのアルバム」は土佐町の昔の写真を発掘して、みんなの「記憶の財産」として共有しましょう、という連載です。

昔を懐かしむためではなく、この地の人々はこうして町を作ってきたという道を少しでも知るために。

しばらく情報の全くわからない写真が続きますがひらにご容赦を!

公開した写真の情報は、どんな小さなことでも募集中です。なにかしらピンときた方は編集部までご連絡をお願いします。

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私の一冊

川村房子

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「女のいない男たち」 村上春樹 文藝春秋

題名にひかれ短篇集だという事もあって手に取った。世界の村上春樹といわれノーベル候補者。落選すると泪するファンもいるというほどの作家だから、とついつい読んでみる。

「ドライブマイカー」「イエスタディ」「独立器官」「シェラザード」「木野」「女のいない男たち」と6編で組まれている。

いろんな事情で女性に去られてしまった男たち、あるいは去られようとしている男たち。男と女の話であっても違う。哲学のなんたるかなど全くわかってないが、なんだか哲学的だと思ってしまう。

川村房子

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山峡のおぼろ

田ウナギ

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川でウナギをとるのは当然だが、懐かしく思い出すのは、田でとったウナギのことである。

と言っても、田の中にいつもウナギが居るわけではない。田へウナギをとりに行ったのは、大雨のあとであった。それも渓流から水を引き込んでいる田である。

渓流から田まで、狭い溝で水を引き入れていた。相当長い区間のものもあれば、渓流からすぐ近くで直結している田もあった。そういう田や溝へ大雨のあと、とくに夜激しく降ったあとの朝に、網と金突きを持って走った。

大雨で増水した渓流の水が、溝に勢いよく流れ込み、それが田に入っている。その水の中にウナギが居ることが多かった。

どうして溝にまぎれ込んできたのかは判らなかった。子供心に、大水に押されて、抵抗できずに迷い込んだのか、何か餌を追っかけてここまで来たのかと、色々想像をめぐらせた。

狭い溝だから、水が澄んでいる時はウナギを見つけやすかった。それを網ですくったり、網をこわがって逃げ回る時は、金突きで突いてとった。

溝に入ってウナギを追っていると、別のウナギが足に当たって逃げて行ったり、めったにないことだったが、右往左往逃げるウナギを踏みつけたこともあった。そのぬらりとした感触は、今も足に残っている。

ウナギは田にまで入り込んでいたが、稲があるので、田に入って追っかけるわけにはいかない。稲を踏みつけたり、網で倒してしまうので、その時は畦から、長い柄を付けた金突きで突いてとった。

水が溝や田から溢れている時は、ウナギが道に飛び出していることもあった。これはとるのが簡単で、くねくね暴れているのに網をかぶせてとった。

水が引いたあとも、何日かは目が放せなかった。溝に居たウナギは渓流に返ったが、田に入ったのは引く水に乗り切れず、田に残ったままになっていた。

出口を探してバチャバチャと水音をたてているウナギはすぐに判って、金突きで突いた。そのあとは田の畦を歩き回って、稲の間を丹念に探した。

今は田も少なくなり、渓流のウナギも激減した。

楽しかった体験は、思い出の中にあるだけである。

 

 

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私の一冊

鳥山百合子

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「とさの笑」 梅原デザイン事務所制作 高知県文化生活部・国際課

高知の人、食、笑、技…。高知ならではのそれぞれが詳しく書かれている「とさのかぜ」の本です。こちらはその中の一冊「とさの笑」。

高知の道ぞいにある良心市やよさこい祭の花メダル、桂浜の五色の石、沈下橋、ミレービスケット。高知ならではの文化を「勝手に重要文化財認定」して紹介しています。高知に来たら必ず耳にしたり、手にするものごとについて、それはそれは詳しく調べられているのでとても面白い。

中にはサバの姿寿司もあります。
「頭や尾の部分が残るが、それは翌日、焼いて食べるのが楽しみ。酢が戻り、サバの焼き汁がしゃりに染み込んで、これがまたすごくうまい!」。土佐町で40年以上さば寿司を作り続けて来た長野さんもそう言ってた!とうれしくなりました。

この本は高知に来てから手にしたのですが、私の本棚のいつも「いい場所」に並んでいます。無意識でしたがそれはなぜなのか?先ほどはっと気が付きました。
この本の作り手の愛情が伝わって来るからだ、と。高知という土地が培って来た文化、その文化をつくり引き継いで来た人たちへの尊敬の念。それを伝えたいと思った作り手の方たちの熱が伝わってくるのです。「熱」と「真摯な姿勢」がここにあります。そして作り手がこの本を作ることを楽しんでいるだろうことも伝わってきます。

背筋がピンと伸びるようなこの一冊。私はこれから何度もこの本のページを開くと思います。

鳥山百合子

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みんなのアルバム

若者たち

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こちらも、相川小学校の古いアルバムからの1枚。

現代でいえば、年頃は高校生ぐらいでしょうか。

卒業記念なのか何なのかわかりませんが、きっと当時は一人前になるのが今よりも早かった時代。

彼らもすでに大人の仲間入りをする頃なのではないでしょうか。

娘たちの着物は絵柄が豊かで、思わずカラーで見てみたいなあと思ってしまいます。

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私の一冊

田岡三代

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「むらさきのスカートの女」 今村夏子 朝日新聞出版

近所に住む「むらさきのスカートの女」が、気になって仕方のない(わたし)は、彼女と「ともだち」になるために、自分と同じ職場で働きだすよう誘導し、その生活を観察し続ける。

と、本の帯に書かれている芥川賞受賞作のこの本。読み進めても、読み進めても、不可解。

この「むらさきのスカートの女」は、結局、(わたし)自身だったのか?

いまだわかりません。

難解な本でした。

田岡三代

 

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山峡のおぼろ

岩屋に入って

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渓流には大きな岩が多い。家ほどの大岩もある。洞穴のあいた岩もあり、それは「岩屋」と呼ばれていた。

子どもの頃から夏には潜って、アメゴを突いた。

山の渓流は冷たいので、しばらく潜ると唇が紫色になる。そうなれば、手足も動かすのがしんどく、漁にならない。そんな時は、大きな岩の上に腹這いになる。いわゆる甲羅干しである。

そうして、夏の日を溜めた岩で腹を温め、背中は陽光に当てる。そして体力と気分が戻ればまた潜る。それを何度もくり返した。

 

岩の思い出は色々あるが、自分としては雷鳴の時の、恐怖感を伴った思いが消えない。

渓流に入っている時や、その行き帰りに雷に遭うことは珍しくなかった。

大体は余り近くに迫ることなく終るが、必死の思いで岩屋に逃げ込んだことも何度かあった。

まぶたに突き刺さるような稲光りが走り、地響きがするような雷鳴が、いきなり山を震わせることがあった。

狭い山間だから、その音は腹を殴られたような衝撃である。

すぐに近くの岩屋へ走り、金突鉄砲などの金属類を離れた場所に置き、岩屋内へころがり込むように入った。

そして岩屋の奥で身を縮めながら、稲光りと雷鳴が遠ざかるのを待った。

ピカピカ、バリッという稲光りと、腹にドカッと来る雷鳴までの不気味な緊張は、今も身体が覚えている。

ひどい雷鳴の時は振動を伴って、地震に遭ったようだった。

稲光りがした時、岩屋の中から外を見ると、杉や桧、その他の葉が不気味に光っていた。

 

旧制中学校の同窓会でそのことを話すと、山育ちの友人たちの殆どが、

「俺も岩屋へ逃げ込んだよ。雷はこわかったなあ」

と言う。

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私の一冊

石川拓也

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「本の未来を探す旅   台北」 内沼晋太郎綾女欣伸 編著 朝日出版社

夏の終わり頃に台北に行ってきました。

台湾の人は親日でフレンドリー、ご飯がおいしい、夜市が楽しい、などなどいろいろ事前に耳にしていた事柄が、まさにその通り!な旅になりました。

もうひとつ楽しかったのは、独立経営の小さな本屋さんが数多くあって、しかもそのどれもが独特な生き生きとしたエネルギーを放っていたこと。

そのことを台湾の親戚に話したところ、これ持ってってと手渡されたのがこの本です。

日本語の本なのですが、まさか台湾の人にもらうとは。。。

内容はそういった独立系書店の現在を紹介しながら、タイトル通り「本の未来を探す旅」。

本屋さんを紹介しているので「本の未来」ですが、これはそのまま「文化」や「アイデンティティ」に置き換えてもよさそうです。なぜなら、本というのは文化そのものでもあり、本屋さんは本の売り場という役割はもちろんのこと、文化の発信地としての役割も(特にこれからの本屋さんの在り方としては)担っているのですから。

おもしろい本屋さんがたくさん登場してきますが全部を紹介するわけにもいかないので、2枚目の写真に撮った「田園城市」だけ書きます。

ここは書店であり編集プロダクションであり、出版社でもあってギャラリーでもあるという会社です。「最初から最後まで自分たちでやる」というこの姿勢には直感的に正しさと美しさを感じます。もちろん口で言うほど簡単にできることではないということもわかりつつですが。

近いのは、農家さんが生産者であり、加工もやって販売もしてレストランもやる、というようなスタンスでしょうか。

食と違い、文化に関しては地産地消に似た価値観はあまり聞きませんが、でも実は自分たちの文化を自分たちで作る、その出発点から最終ゴールまでを自分たちで全て(もしくはできる限り)賄うという姿勢はとても大切な気がしています。

仕事のひとつひとつが細分化専門化して全体が見えずらくなっているこの時代では特に、この田園城市のスタンスは光を放つのではないでしょうか。

台湾に滞在中に感じる自由さ肩の軽さというのは、もしかしたらこういう「やりたかったらやってしまえ」とでも言うような人々の姿勢に理由があるのかもしれません。

 

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4001プロジェクト

山根総介

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山口出身の山根くん。

地元のスーパー末広で勤務しながら、コーヒーが好きすぎて自分で販売もしています。11月に開催した「とさちょうものがたり in 高知蔦屋書店」ではポップアップストア「山根くんのコーヒー」が好評でした。

実は山根くん、今月から船橋に居を移しコーヒーの仕事を始めます。土佐町生活の最後に一緒に仕事できたのが良い思い出になりました。

 

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