僕が高知に魅力を感じている理由の一つに、GKHがある。なんだかアイドルグループの名前みたいだが、実は「Gross Kochi Happiness(グロス・コウチ・ハピネス)」の略なのだ。学歴が低い、平均年収も低い、最低賃金も最低レベル、唯一高いのは森林率と離婚率だけという高知県は、もともと幸福度指標の都道府県別ランキングが著しく低かった。だが、その幸福度指標そのものに疑問を抱き、人にどう言われようが自分たちはハッピーだと感じていた高知の人たちが勝手に作ったのが、GKH、「高知らしい豊かさ」の指標だった。それがまた、実にユニークな内容なのだ。いくつかピックアップしてみよう。
- いざという時に頼れる人が身近にいる
- 家族との団欒がある
- 通勤、通学の時間が短い
- 子供達が安心して生活できる
- 地域での見守り環境が整っている
- 仕事と生活とのバランスが取れている
- 地域で困っている人を見かけた時に、声を掛けたり協力したりする雰囲気がある
- 女性が安心して飲みに行ける
- 食材は、新鮮で美味しいと感じる
- 飲食店で初対面の人と意気投合したことがある
ほっこりするだけではなく、僕にはこのGKHに惹かれる真面目な理由がある。まずは、「豊かさ」こそが、「成功」と「幸せ」の乖離を埋める概念だと思うからだ。今日の物質的な社会では、「成功」という物差しが絶大な力を持っている。学歴を持っているか、お金を持っているか、良い車を持っているか、自分の家を持っているか…。大抵は、どれだけ持っているか、ということに集約される。一方、「勝ち組」「負け組」という言葉が広く社会に浸透した今日、「幸せ」という物差しはあまりにもファジーで、ひとりよがりにさえ聞こえる。その点、「豊かさ」には、金銭的・物質的な充足ももちろん含まれるが、それだけではなく人間関係や精神的な充足も含まれる。
「あなたの人生は豊かですか?」
そんな問いと静かに向き合うことが、人間らしい健全な社会を取り戻す鍵となるのではないだろうか。
これまで機会がある度に紹介してきた、アメリカを代表する知識人であるノーム・チョムスキーの言葉がある。
「民衆を受け身で従順にしておく賢い方法は、議論の枠組みを厳しく制限し、そのなかで活発な議論を奨励すること。[1]」
GKHは、幸福度指標の「幸福」という議論の枠組みそのものを問う画期的な取り組みだ。もしそれができる高知県なら、教育でも同じように、議論の枠組みの問い直しができるのではないだろうか。
今、日本では、全国の自治体が全国学力調査の点数を上げようと、実に活発な議論をしている。結果が公表されると、各地の新聞もこぞって報道する。やれ我が県の小学生は全国平均より高かっただの、中学生は低かっただの…。だが、問われていないのは、そもそも何をもって「学力」と呼ぶのかという議論の枠組みそのものだ。
一度立ち止まって考えてみれば、生徒や教員そして学校を、国語と算数(数学)というたった2教科(理科と英語は3年に一度)で評価することが、どれだけ乱暴なことかはすぐわかる。社会、美術、音楽、体育など、他の教科で輝く子どもの評価はどうなってしまうのか?
ハーバード大学の発達心理学者、ハワード・ガードナーが「多重知性理論」を打ち出したのは、もう半世紀近く前のことだ。彼の問いはシンプルだった。人間の知性は、従来IQという一つの指標で測られてきたが、これだけ多様な人間がいる中で、本当にたった一つの指標で人間の「知性」を測れるのか?
答えは明確なNOだった。なぜならば、人間が多様であるように、人間の知性もまた多様だから。研究の中でガードナーは、人間の知性は少なくとも8つの領域 ― 言語的知性、論理・数学的知性、視覚・空間的知性、音楽的知性、身体運動的知性、対人的知性、内省的知性、博物学的知性 ― に分類できると指摘した。
もちろん国語や算数が得意な子もいる。だけど、筆を握らせれば素晴らしい絵を描く子もいれば、運動場で輝きを放つ子もいるし、「おまえはその人柄で生きていくんだぞ」と言いたくなる子だっている。そんな子はきっと人より共感力が高く、コミュニケーション能力に長けているのだろう。
そう考えると、日本の教育はこれまでどれだけ多くの子どもたちを落ちこぼしてきたのだろうか。不登校児童の増加に歯止めがかからないのも決して不思議ではない。
地域の隅々から、多様な知性をもった子どもたちが学校という場所に集ってくる。多様な経験や知識、考え方をもった先生たちが、その子たちと出会い、特性を見抜き、伸ばすことで、すべての子どもたちが色とりどりの知性を発揮し、互いを認め合える学校であって欲しいと思う。「学力向上!」の掛け声が、単なるテスト対策ではなく、自分探しを後押しする声援であって欲しいと思う。そして、その先にあるのは、人を押しのけて這い上がる「成功」ではなく、人と共に生きる「豊かさ」であって欲しいと思う。(つづく)
(これは雑誌『教育』2019年6月号に掲載された記事からの抜粋に加筆したものです)
[1] Chomsky, N.(1998), The common good, Berkeley, CA: Odonian Press.





