矢野ゆかり

 

 

山の人、町の人。先祖代々住む人、都会から越してきた人。猟師さん、農家さん、森の人、職人さん、商店さん、公務員…。

人口4,000人弱の土佐町にはいろいろな人がいて、いろいろな人生があります。

土佐町のいろいろな人々はどんな本を読んでいるのでしょうか?もしくは読んできたのでしょうか?

みなさんの好きな本、大切な本、誰かにおすすめしたい本を、かわりばんこに紹介してもらいます!

(敬称略・だいたい平日毎日お昼ごろ更新)

私の一冊

矢野ゆかり

「知識ゼロでも分かる日本酒はじめ」 SSI認定利酒師酒GO委員会著, 片桐 了漫画, SSI日本酒サービス研究会・酒匠研究会連合会監修

”新年あけましておめでとうございます”というのを今頃言うのも、素晴らしく野暮天ですね。どうぞ悪しからず。

新年そうそう出遅れてしまった私の一冊ですが、今回は『知識ゼロでも分かる日本酒はじめ』という本でお送りします。(年末年始暴飲暴食で体調を崩していた訳では無いですよ!!決して!!!毎回世間が賑わう時期はアテられて精神的にグロッキーなのです…。)

さて、どうして新年一発目がこのチョイスなのかというと、やはり年末年始のおきゃく、お屠蘇、神前仏前へのお神酒など、日本酒が欠かせないですよね。

更に、特に今の時期はどの酒造会社も、杉玉が熟した焦げ茶から、つやのある深緑に変わる時期です。私の住む酒造会社のある地区でもこの時期は、やはり、特別な時期なのです。

いつだったでしょう、高校生のころ早朝の寒稽古に行くため、裏口を出た瞬間でした。自分が吐いた真っ白な息と、辺り一面に漂う濃厚な、あまくふくよかな酒精の香り。霜が降りて全部蒼く凍えている中、道向かいのレンガの煙突からもうもうと綿飴のような湯気があがっていました。(今年もお酒ができたんだなぁ…)となんだか少し嬉しくなった思い出があります。

正式な社名は「株式会社土佐酒造 桂月」ですが、以降地元の呼び名”桂月”で通します。

さて、私の家族は桂月と共にあったと言っても過言ではありません。

「おまんくには桂月からパイプが通っちゅう」だの、「蛇口を捻れば桂月がでる」とまで言われる始末。お付き合いは初代社長からあったようで、祖父はその時からのヘビーユーザーです。そして桂月銀杯ひとすじ。

今回の著書の解説によると桂月銀杯は本醸造酒にあたり、大衆向けでどんな料理にも合い、燗にしても常温でも冷でもいけるタイプのようです(あってるかな???間違ってたらごめんなさい)。

ちなみに祖父は仕事から帰ると、桂月のワンカップ(耐熱)に一升瓶からまけまけいっぱい注ぎ、それをちゅちゅっと啜り適量にし、レンジで1分から1分半の燗にして飲みます。アテは基本的に竹輪の確率が85%ほど、たまに刺身や揚げ物。物心着いた時には行われていたルーティン。今もほぼ変わりません。

あいた一升瓶をためて、物置から74本も出てきた時は、(すぐ側で庭が広いきお客さんに駐車場と間違われるし、社員の家と間違われて「今日あいてますか?」なんてざらやし、それで案内しちゃったり、うちの物置も桂月の空き瓶置き場でええんちゃう?)と思ったことでした。

ちなみに、この祖父の夕方のルーティンは17時半頃なのですが、小学生低学年のある残暑厳しい日、あまりにも喉が渇いたので祖父母の家に寄りました。出来ればジュースがいいなと思いつつ冷蔵庫やら、戸棚やらを物色したのに、麦茶ひとつない!もう水でいいかと思ったところに、都合よく桂月のワンカップに入った水が。コレ幸いとゴクゴクと…そこに祖父登場。「あらァ!!そりゃワシのぜよおぉ!」という誤飲事故もありました。小学生の私は(怒るとこそこ!?)と思いながら、蛇口から水を飲んだ記憶があります。

あの時は不味かった日本酒も、好きな傾向もある程度定まって楽しめるようになりました。しかも今年度からは家族全員で、あーだこーだと言いながら飲めるのです。

今は桂月でアルバイトもしているので、著作の解説と現物を見ながらより深くお酒のことを知ることが出来ます。著作では、日本酒が大きく吟醸酒、純米酒、本醸造酒の3つにわかれることと、そこから更に香味を分ける、熟酒・醇酒・薫酒・  爽酒の4つの分類法。甘口と辛口の違いや判別の仕方。また、料理とのペアリングの仕方である、ハーモニー、マリアージュ、ウォッシュについても触れられています。詳しくは読んでください(笑)。

参考までに私は、爽酒の生酒に目がないです。桂月で言えば冬季限定蔵出し生原酒です。少し冷凍に入れて雪冷えの生原酒を飲みだしたら止まらないやめられない。アルコール度数はちょっと高めですが、くせも少なく喉越しもライトで苦手な人で手が出しやすい気がします。あと甘酒は無いと困るほど飲んでいます。

高知県民は特に、老いも若きも飲むこと食べることが好きですよね。

飲みあわせに関しても、各々かなりこだわりがあるように見受けられます。大酒飲みも多いですし、酔うことが好きです。

新成人の皆さんも、両親や友人や職場の人達と飲んだり食べたりして、こだわりを見つけていくのだと思います(弟よ、あんたもだぞ!!)。

でも何となくお酒との付き合い方が分からなくなったら、今回のような本に手を出してみるのもいいかと思います。結局は自分の好みが大事ってかいてますから。

では、お後がよろしいようで。

 

私の一冊

矢野ゆかり

「物語ること、生きること」 上橋菜穂子 講談社

師走真っ只中。私は、家族3人でクリスマスイブのケーキを食べています。

叔母のつてで、昔からイブのイブからケーキがありました。小さい頃はたまらなく嬉しく、プレゼントの気配にもつられて、楽しみに、きそきそしていたものでした。

今となっては、クリスマス前の苦行のひとつです。イブのイブからケーキがあるものですから、本番で歌う讃美歌「聖しこの夜」まで2曲ほど工面しなくてはなりません。

大体毎年、父と私でクリスマス・キャロル矢野家アレンジが即興で歌われます。今日は「ジングルベル、フフフハミングversion」でした。あと、その蝋燭の消しかたといったら!。今日は咳風邪で右肋軟骨(前回は左)を損傷し、鼻水ずるずるの母をからかってやろうと、吉本の芸人よろしく鼻息で蝋燭を消そうと父と企んでいました。

「絶対どつかれるね!笑」と言いあったのに、母はノリよく鼻息で蝋燭を消そうとしてくれたのでした。(名誉のために弁明しますが、本当に鼻水飛ばして鼻息で消したわけではありませんので、悪しからず!)

さて、前座はこの辺で。

私の書く一冊はどれも胃もたれすると思われるのもしゃくなので(笑)、今回は「守り人シリーズ」の著者である上橋菜穂子氏のエッセイ『物語ること、生きること』、構成・文は瀧晴巳氏です。

彼女は冒頭で自分がどのように物語を描くか触れています。 “物語を書いているときは、馬車を走らせているような気がすることがあります。私の周りに、たくさんの荒馬がいて、懸命にたずなを操って走らせているような気がするのです。~中略~それが、あるとき、まるで違うメロディが合わさって、ひとつの合唱になるみたいに、ものすごいスピードで一勢に走りだします。その瞬間、「ああ、書ける……」と、思う。“ 

彼女からすると、物語は生まれるもの、不意に降ってくるもの、急に見える風景なのかもしれません。

そして、「どうすれば作家になれるか?」という作家であれば一番多く聞かれるであろう質問に、彼女なりに答えてくれます。ただ彼女が “とても一言では言えそうにないんですよ。“ と述べている通り、このエッセイまるまる一冊かけて、答えてくれる訳ですが。

『第一章 生きとし生けるものたちと』の「おばあちゃんとわたし」の中に、昔話の話がでてきます。昔話と言えば私の場合、父が話してくれたことを覚えています。

「昔むかーしあるところに…」というお決まりのフレーズで始まりますが、大抵父が語る桃太郎は桃の時点でおばあさんに真っ二つ!かぐや姫は竹の時点で、お爺さんが鉈で一刀両断してしまいます。

大胆なアレンジから始まる昔話は、声音も表情も芸人コロッケもかくやと言うほどで、今夜のように底冷えするに日も楽しく眠ることができました。

そういえば、上橋氏のおばあさんは怖い話が十八番と述べられていましたが、私も小さい頃震え上がった怖い話があります。「耳なし芳一」です。

夏の夜に、妙に上手な琵琶の音真似で語られる芳一と平家の落ち人の話は、土佐のとめ言葉「昔まっこう猿まっこう」で終えられても、なかなか寝付けませんでした。

そもそも矢野家は、早明浦ダムが出来るまで平家の落ち人伝説の残る大川村にいたのです。なんだか他人事ではない気がして、夏布団から体を出さないようにして扇風機の音を聞いていたように思います。

実はこの話には後日談があります。それも十数年後のことです。大学4年生の夏、小学生の剣道強化合宿の手伝いをしていたときのことでした。

大学生には夜の重大任務が課せられました。自分の担当する部屋のガキンチョもとい、悪ことしな児童を定刻の時間に寝かしつけること(静かにさせて、別の部屋等へいかないように見張る)でした。なんというmission inpossible!!無茶ぶりにもほどがあるぜ!と感じた私は、ここで一計を案じました。

そう題して、「寝てもらえなくても、恐怖で静かにさせる作戦」。私秘蔵の怪談セレクションを、「まぁむかーしのことなんやけどねぇ…」と父譲りの演技力で語って聞かせました。

もちろん〆は、耳なし芳一から平家蟹のメドレーで「昔まっこう猿まっこう。お仕舞いおしまい」。私の部屋の担当は、わりと、おませな女の子ばかりだったので “昔話は効かないかも…” と思っていたものの、効果はてきめんでした。もはや泣き出す子もいる始末。

お陰で「はやく寝ようよぉ」とみんなすぐに寝てくれました。その後、一つしたの階を見回ったとき、どうやら担当の大学生が誰よりも早く寝たらしく、夜更かしを楽しんでいた悪ことし二人組を震え上がらせ、私の作戦はみごと成功したのでした。

さてさて話は変わりますが、この本を読んでいると思い出します。 “私も小説家になりたい、と一瞬でも思った事があったなぁ“ と。

でも私は、次から次に見つける面白い本を読むのが楽しく “ちまちま書くのは性に合わんにゃあ~“ と思い、小説を書いてみたいと思ったことさえ忘れていました。

しかし、今『私の一冊』というところで、何やらかんやら書かしてもらっているのは、奇遇なことだなぁと思います。 “あの物語は本当にすごいよ“ と少しでも伝えたくて、ちまちま書いています。それに誰かが伝えてくれた物語は、伝え得ずにはいられません。私は上橋氏のようにハイ・ファンタジーを描くことはできないけれど、物語ることはできる、受け継ぐことはできる。そう思えたのがこの本でした。

そして、小説家になりたい人、文を書くのが苦手な人はこの本を読むと、気が楽になるかも知れませんね。

尻切れトンボですけれど、それではまた。

 

私の一冊

矢野ゆかり

「精霊の守り人」 上橋菜穂子 偕成社

初めまして。名字でお気づきの方がいらっしゃいましたら、さすが土佐町、田舎のネットワークの凄さでしょうか。私の母は私がとても小さな頃から物語を語り読ませてくれました。母の1冊は私の1冊でもあります。

『まゆとおに』『14ひきのかぼちゃ』次は私が、誰かに物語るのでしょう。

さて、私の1冊目は私の運命を変えた本。この本がなかったら、私はわたしではなかったという本。『精霊の守り人』。この本はアニメ化や漫画化、NHKで実写ドラマ化もされ、知る方も多いのではないでしょうか。『守り人シリーズ』として外伝も含め10冊以上の物語でもあります。

私がこの本に出会ったのは忘れもしない、4年生の晩秋の放課後でした。今は廃校になった森小学校の図書室。昼休みに友人から勧められ、この本を手に取りました。ちょっと様子を見るつもりで、面白くなかったら返そうと思いながら、西日にページをあてました。ランドセルも背負ったままで。そして気がつくと見回りの教頭先生が、肩を叩いていました。周りは真っ暗で日が暮れていました。急いでその本と続編を借りて、家の勉強机で必死にページをめくっていました。

『精霊の守り人』は児童書ですが、主人公の凄腕女用心棒バルサのシンプルな強さ。タンダの包容力。トロガイ師の深い知性。チャグムの成長。登場する人物全てを引き立てる世界観。今まで読んだどんなファンタジーとも違うと感じました。作者がどのような人か、知りたいと思ったのもこの本が最初でした。著者は、民俗学研究をしておりアボリジニについて研究していました。しかし、彼女はアボリジニの文化に敬意を払い、決して自分の著作に流用はしないそうです。私はゼロから物語を作り出した著者のように、既成の価値観にとらわれないように、自分で自分の考えを持とうと思うようになりました。そしてバルサのような強くてカッコイイ女性になりたいと強く憧れました。中学校から大学まで剣道を続けたのも、バルサのような女性になりたいというのがあったからです。大学選びの時にも、民俗学に触れてみたい、世界を包む文化を学びたいという理由から、文化学部を志望し、志望動機にこの本の事を書きました。

『精霊の守り人』との出会いから10年以上経ちますが、今まで何度も読み返しました。読む度に理解が深くなり、新たな解釈が出来るようになっていきました。ジェンダーについて、差別について。宗教観についてetc. その度に私は初心に帰り、自分の視野の狭さを知ります。そしてバルサに憧れて始めた剣道でも、大学時代になぜ剣の道なのか改めて考えるようになりました。物語の中でバルサはひとかどの武人として、その界隈でも有名な人物として描かれています。しかし用心棒として人を守るために殺し恨まれ、命を天秤にかけ、その行為に深く傷つき、それでも戦いたいという内に眠る凶暴性が彼女を苦しめます。この衝動や暴力的な気持ちは、実際に剣道をしていても感じる時があります。つまり、体の強さや技術に伴って強くなる“勝ちたい“という衝動性や“勝つためなら手段を選ばない“という凶暴性を抑えるからこそ、道になるのではないかという理解にたどり着きました。更にバルサの深い苦しみと業を、ここまでリアルに描くことの出来る著者の見識と、観察眼は滅多なもので手に入るものでは無いと思いました。

さて話はかわりますが、今私はバルサのような女性になれたのかと、いつも考えています。なぜなら、もう少しでバルサが物語に登場する年齢になるからです。どう転んでも、バルサのようになれていない。私は心を患ってしまったし、他に持病も持っている。剣道も弱い。でも今まで、自分はベストを尽くした選択の末にここにいる、という気持ちは強くあります。バルサも小学生の頃憧れた、清く正しい正義のヒーローではありませんでしたし、等身大の同じ女性でした(※ただし、とんでもなくカッコよくて強くて思い切りがいい)。

何度も読んで、私も大人になって、それがわかって本当に良かったと思います。私はまだまだ頑張れる。バルサのような強くてカッコイイ女性になれると思えます。そしてまた私は何かのきっかけで『精霊の守り人』を手に取るのでしょう。あの、西日の当たる図書室でワクワクした気持ちを思い出すために。

矢野ゆかり